73話 特になんでもなく
気づくと、私はエレベーターの中、ヘルザに担がれていた。それほど時間の経過は感じられなかった。
抵抗するでもなく、私はエレベーターが到着するのを黙って待った。
チーン
到着を知らせる呼び鈴の音。
扉が開くと、ヘルザは私を担いだまま前へと進んだ。
辿り着いた場所はヘルザの言う通り、研究施設といった感じの場所で、一つの机の上には顕微鏡や立てられた試験管が置かれていた。
警察の取り調べ室のように、向かいのガラスには隣にある部屋の様子が見えていた。
「おーい!誰かいないか!」
ヘルザは誰もいないその部屋に呼びかける。
返答はない代わりに、近づいてくる足音が人の存在を知らせていた。
「ヘルザ。連れてきてくれたのですね」
「ミルモ嬢!!」
1トーン上がった声色でヘルザは声を上げる。
向こうから歩いて来ているのはミルモであった。いつも通り、なんの変化もやいミルモの姿に私はほっと息をついた。
「そう、君のために連れてきたよ。会いたかったんだろう?」
「ええ、ありがとうございます。昨日の今日だというのに、ヘルザは優しいのですね」
「あっ…ははは、まあね。君のためなら、このくらいは…」
「ところで、そろそろサナダを下ろしてあげては?窮屈そうなのです」
「えっ…ああ、起きていたのか。そうだね、下ろそう」
担ぎ上げられる前とは違い、丁寧に下ろされた。
ヘルザは私やリニスの時の堂々とした立ち振る舞いとは違い、どこかしおらしい態度でミルモと接していた。
「何日ぶりか分からんが、大事ないか」
「ええ。少し事情があってここにいますけど、至って普通の待遇なのです。サナダは無事ですか」
「あー…見ての通りだ。五体満足で生きている」
「…!危ない、忘れていたのです」
「…?」
ミルモは何か思い出したのか、私に手招きをして、目の前で屈むように促す。私はそれに従うがままに、ミルモと同じ目線になるよう屈んだ。
すると、ミルモはおもむろに顔を近づけてくる。
「応急処置なのです」
「んんっ───!」
なんの前触れもなくキスされた。
「んん…!!んんむぅ…!!」
「んっ……ぷぅっ。これでひとまずは」
「はぁっ、はぁっ…これ、前もやったな…何をしてるんだ…?」
「アナタの体内にある、細胞と結合していないAC因子をできるだけ取り除いているのです。全部とまではいきませんが、気休め程度にはなるのです」
「あ、ぁぁ…ありがたいが、できれば別の方法で頼みたい」
「これが1番早いのです」
「そうか…」
「ミ、ミル、ミルモ嬢…?!い、いったい何を…!」
「彼はAC因子に身体を侵されているのです。今、AC因子を吸い上げていました」
「だ、だからって、こんな汚らわしい、オスとっ、く、くく口付けなんて!!」
「大体のAC因子は呼吸器から取り込まれるのでこれが1番手っ取り早いのです」
「っ…サナダぁ…!お前っ、くっそ、ちぃっ…!!調子に乗るなよ!!」
「私に罪はない」
ヘルザは途端に口汚く言葉を発し始める。さらに、私のことを性犯罪者でも見るみたいに睨んでくる。先にも言ったが私に罪はない。どちらかと言えば被害を被った側だろう。絵面はともかく、断じて、私に罪はない。
「まあいい、サナダくん。ミルモ嬢に話があるんだったね。ね?」
ヘルザは笑顔で取り繕いながら、私に言葉を投げかけま。イラつきを表しているのか、靴でコツコツと床を何度も叩いていた。ミルモがここに留まるよう説得しなければ、殴りかかってきそうな勢いだ。
私は恐る恐る口を開く。
「…あー、ミルモ。聞きたいことがある」
「なんです?」
「実は──────」
「なんだいなんだい。今日は人が多いねぇ」
私の言葉を遮るように、ヒール音と共に彼女は現れた。
緑がかった黒髪に、私を超えるほどの長身。明るい口調で彼女は私に話しかけてくる。
「やあ、通信室ぶりだね亜人管理官サン」
「ユルム…!こんなところにいたのか…!」
突然の邂逅に私は思わず身構える。
今の状況も、私の身体を蝕んでいるというAC因子も、元をたどればコイツが原因だ。次は何をしでかすのか、予想できたもんじゃない。
「はは、そんな警戒しないでおくれよ。私はアンタに何もしないさ」
「…本当か?」
「本当本当。アンタにAC因子をぶち込んだのも理由あってのことさ。今はもうそんな理由もないからね」
「…信用ならないな」
「サナダ。ユルムの言っていることは本当なのです。今の彼女にあなたを攻撃する理由はありません」
「その理由とやらを聞かないと納得できないが」
「全てはあの組織を潰すためだったのさ。他所の名を騙って、釣られて訪れた亜人達を奴隷同然の扱いをする…あんな組織生かしちゃおけないだろ?」
「それで、なぜ俺を殺そうとした」
「アンタが更正しようとしてたからさ。あれで真人間に戻られちゃ、気持ちよく潰せないからねぇ」
悪びれもしない。ユルムはイタズラな笑みを浮かべて語った。
「…おいミルモ。結構笑えない理由だったぞ」
「そうなのです?私は納得できる理由だと思ったのですが」
「ははは!まあいいじゃないか!陰湿なヤツらが減ったんだ。この世もちょっとはマシになっただろ?」
「ノーコメントだ。私がこの世紀末な世界観に慣れていないだけかもしれんからな。だが、同意はしないぞ」
「はは、真人間だねぇ…まあお互い水に長そうじゃないか」
「はぁ…今はそういうことにしておこう」
薄暗い研究施設の中、ユルムは爽やかな笑顔で手を差し出してくる。都合のいいように扱われているようで、納得し難いが、とりあえず私は差し出された手を握った。
間違っても、信用したわけではない。




