59話 一時の
部屋に入ると、毛布にくるまったリルが部屋の隅で縮こまっていた。リニスの言った通り、いつもの彼女に比べてなんだか大人しい。何があったのだろうか。
「どうした?体の具合が良くないか?」
「う、ううん…全然…むしろ調子いい…」
と、言ってはいるが、明らかにいつもと調子が違う。ハキハキと騒がしいくらいの声量で喋っているはずの彼女が、今は見る影もないではないか。
「ジュース飲むか?あっちにあるぞ」
「散歩から帰った時に飲んだから、いらない」
「散歩の時も元気がなかったみたいだが…」
「そんな気分じゃなかったから」
「…だ、大豆バー食べるか?爆発しないやつだぞ」
「……いらない」
「…!!」
これは由々しき事態だ。あのリルが、食べ物に対してなんの興味も示さないのだ。常に食欲MAXな彼女はいったいどこへ…?
「…む?」
と、思ったところでふと、ある考えに思い至る。
彼女が常に食欲旺盛なのも、いつも落ち着きがないように見えていたのも、元を辿ると制御しきれていない“獣化”という彼女の能力がそうさせていたはずだ。今、彼女が妙に大人しいのはつまり。
「リル、毛布を取ってくれるか」
「…!見せなきゃダメ…?」
「ああ、必要なことだ」
リルは恐る恐る、くるまっていた毛布を取った。
思った通り、いつも頭から伸びていた獣耳と後ろに出ていた尻尾が無くなっていた。
今のリルは、能力の発動を完全に解除した状態。能力の制御ができているのだ。
「は、恥ずかしい…」
「何を恥ずかしがることがある。能力を操れているんだ。調子がいい証拠じゃないか」
「でもなんか、いつもと違うんだ…耳とか尻尾とかだけじゃなくて。サナダ、私なんか、嫌なんだよ」
「嫌?何が嫌なんだ」
「なんか、サナダの顔が見れないんだ…いつもは見れてるのに」
頬を赤く染めて、手で顔を覆っている。
合点がいった。理性が本来のものに戻ったから、今までの行いを思い出し、恥じらいを感じているのだろう。今まである種の犬のような振る舞いをしていたのだ。シラフで恥ずかしくなることもあるだろう。
「誰しも、褒められたいとかそういう欲は往々にしてあるものだ。恥ずべきことではないぞ。以前のリルはそれを口に出していただけだ」
「ち、違う…そういうんじゃない…」
「…?だったら何故なんだ」
「分からない…分からないから嫌…嫌なの…」
「…?多分私の考えで合ってると思うんだがなぁ…ほら、よしよし」
「う、うううう……」
頭をいつものように撫でてやると、リルの顔はさらに紅潮し始める。やはり撫でられたり、以前のように振る舞うのが恥ずかしいだけなのだろう。
私は撫でるのを続けながら話す。
「褒められたいのなら、褒めて欲しいと言ってもいいんだぞ。私はいつだってお前のことを褒めよう」
「ち、違う。多分、これは違うぞ…恥ずかしいとかじゃなくて…もっと、なんか…」
「でも現に恥ずかしいとは思っているんだろう?」
「そ、それはそうだけど…」
「よーしよしよし。今のリルも、前のリルも、私は好きだぞー」
「う゛う゛う゛う゛…!!」
リルは耐えきれなくなったのか、唸り声を上げながら私の懐に飛び込んで来た。犬や猫がじゃれてきているようで、微笑ましい。
「ふふ、よしよし」
「…ああ。そっか。分かったサナダ。私がサナダの顔が見れなくなった理由」
「お、そうか。なんだ。どうしてだ?」
「“首輪”解除して」
「…?あ、ああ」
言われるがまま、“解除”を押した。
しばらくもすると、リルの頭に耳、後ろから尻尾が伸びてくる。
「ちょっと、顔近づけてみて」
「…?」
なんだか、妙にリルの目が据わっている。
不思議に思いながら、顔を近づけたその時──────
「…♡」
私の唇とリルの唇が重なった。
「むぐ、っ…!?」
「んむっ……ちゅ……れろ…♡」
口の中を舌が生き物のように這い回っている。
咄嗟にリルから離れようとするも、私の腕力ではリルはビクともしない。
私はただされるがままに、口内を蹂躙された。
「んんっ…ん……はぁっ♡えへへ♡」
「はぁっ…!はぁっ…!ごほっ、ごほっ…!」
ようやく解放され、大きく咳き込む。
一瞬食われるかと思った。口から呼吸できることをこれほどありがたく感じたことはない。
「はぁ…はぁっ…はははっ!サナダって、結構力弱いんだ…♡」
「ま、待て、リル。一旦落ち着こう…」
「なんで…?もっとしようよ…」
「いや待て。多分、今のお前は正気じゃないんだ。一度落ち着くんだ。互いのために」
「うーん……」
「分かってくれるか?」
「…ん。ダーメ♡」
イタズラに笑みを浮かべたと思うと、リルはいとも容易く私を押し倒した。
荒い息遣い。紅潮した顔。艶っぽい瞳。冷静ではない言動。間違いないこれは…!
““発情期””
獣化により引き起こされている、ある種の暴走状態に違いない。今の彼女はリルであってリルではない。元に戻すにはきっと、一度“獣化”を解除させる必要がある。
そして、そうするためには“首輪”が必要だが…。
「くっ…!届かん…!」
「サナダ♡…ムチュー…」
「ぐっ、待っ……んぐっ、んんっ…!」
「ちゅ……ん……♡はぁっ…♡♡…あれ?サナダ、ここ何か硬いよ…?」
「…!!ちがっ、やめ…!」
「…!あはっ♡サナダサナダサナダ…♡」
私の腰のベルトに、リルの手がかかり始める。
本格的にやばくなってきた。由々しき事態…かくなる上は…。
「っ、ミルモ!!ヘルプ!ヘールプ!!んぐ、ぁっ…!」
「んむっ…黙って、サナダは私だけの──────」
「──────はい、呼びましたか」
ドアを開ける音もしなかった。
いつの間にか部屋の中にミルモは立っていた。
「ヘルプとは…?」
「一旦でいい。リルを落ち着かせてくれ…!」
「はあ、いいですけど。これ、何してるんですか?」
「っ、どいてっ!!」
怒りの形相でミルモへと飛びかかるリル。
ミルモは少し困った顔をしながらも、指を折り曲げた状態で前へと突き出した。
「えいっ」
「ぎゃんっ!!」
ミルモが指を弾くと、リルの体は放り投げられた人形のように吹き飛び、壁へと激突した。
リルはそのまま気を失うと、壁にもたれるように力なく倒れ込んだ。
一件落着、でいいのだろうか。
息を整えると、どっと溢れた疲れが私の体を侵食した。




