57話 滴る毒
「お…?」
支部のシェルターを歩いていたところ、見知った顔を見かけ、私は立ち止まった。
「おー?亜人管理官サンじゃないか…シェルターで会うのは初めてだね」
「いつも番台にいる…ええと…」
「岩戸ユルムだよ。こうして改まって自己紹介するのは初めてだね」
長く伸びた、緑がかった黒髪を触りながらユルムは喋る。初対面の時と比べると、彼女は私に対して随分と砕けた態度であった。
どうも今日は防護服を着込んでいるが、それでも遠目で彼女だと分かるくらい、ユルムは長身であった。
「私も、わざわざ自己紹介まではしていなかったな。改めて、本部から派遣されてきた亜人管理官のサナダだ。よろしく頼む」
「お、握手かい?真面目な亜人管理官様だね」
ユルムは手を差し出されたことに少し驚きつつも、気さくに握手に応じた。
基本的にここの亜人はシェルターを出歩かない。ここでは、亜人は常に“毒”を微量ながら放出しているというデマが広まっているからだ。
「わざわざシェルターにいるということは、何か用事があったのか?」
「まあね。私の能力は人の怪我を治せるんだ。最近あった戦闘で負傷者がいくつか出たから、やむを得ず呼ばれたワケさ」
「やむを得ずか…案外、防護服を着ていれば許されるんだな」
「さあねぇ…ここの連中にとっちゃ気休め程度だと思うよ。着てても、嫌な顔はされたさ」
「と、いうか…実際どうなんだ?亜人が“世羽根の毒”持っているなんてデマ。どこまで広まってるんだ」
「……ああ。じゃあ、本部の人間は分かってるんだねぇ」
ユルムは顎に手を当て、感心した。
その口ぶりからするにユルムはこの組織の持つ亜人に対しての知識が、間違ったものだと分かっているようだった。
「ここの人間は9割方が信じてるよ。D部隊の子達だってそうさ。亜人はそういうものだって思ってる」
「ユルム以外にも、知ってるやつはいるのか」
「数人いるけど…広めたところで亜人が危険な存在なのには変わりないんだ。誰も、声高に言ってやろうなんて考えないよ」
ユルムは呆れたように息を吐いた。
現状は、概ね予想通りである。“明けの明星”が、叔父が作り上げた環境が特殊だったのだ。これが普通。誰しも自分とは違う存在を前にすれば、遠ざけたくもなる。
「かく言う私も、知っていながら知らないフリをしてる1人さ。まあ自分のことなんだからどうにかしたいとは思ってるんだけどね」
「いや、しょうがないだろ。私とて、同じ立場だったなら見て見ぬふりをしていたさ」
「そうかい?でも、D部隊の子達から聞いてるよ。アンタは亜人だろうと平等に接してくれる人間だってね」
「そんなことを言ってくれるヤツがいたのか」
「まあ大体は09なんだけどね…あと、他のやつも、神のような人だって言ってたよ」
「それは…誰が言った、とは言わなくていいぞ」
そうかい?とユルムは首を傾げる。
ハルラはともかく、D部隊の皆は案外、私に心を開いてくれているのかもしれない。そう思うと、少し胸の内が熱くなった。
これは何としても、亜人が安心して過ごせる環境を作らねば。
「でもまあ、ここの奴らは馬鹿だよねぇ。亜人は危険と言っても、有効活用してやればいくらでも役に立つってのにさ。リニスの電気とか、特に」
「…安心してくれ。そろそろ私も、ここの連中の意識を改革するべく動く気だ」
「見て見ぬふりをするんじゃないのかい」
「それは、私がここの組織の者だったなら…だ。今の私は違う。亜人管理官であり、こことは違う本部の人間だ」
「どうするんだい」
「立場的には、ここの連中より私の方が上なのだ。単純にコチラの調査結果を見せてやればいいさ」
多分ミルモに頼めば、本部からいくらでも持ってきてくれる。支部に比べて、本部の研究設備は遥かに充実しているのだ。その結果を見れば、あのエドガワとやらも事実を認めざるを得ないはずだ。
「上手くいけば、お前らの“首輪”も取ってやれるかもしらん」
「どうだろうね…それでもやっぱり、私たち亜人が危険なことには変わりないと思うけどね」
「その時はその時。だが、今よりは良くなるはずだ…それなりに期待して、待っててくれ」
「……ああ。それなりに、ね」
ユルムの肩を叩くと、私は踵を返し、自分の部屋へと歩いていった。
シェルターの人間達を見て、分かる。彼らはどちらかと言えば“世羽根の毒”による死の方を恐れている。きっと、亜人を恐れている理由の大半はその得体の知れない能力よりも、デマの情報の方だ。
きっとその原因さえ取り除いてしまえば、この組織は──────
ゾク…
「──────?!」
突如として、私の背に冷たい感覚が走った。
原因は、後ろだ。だが、振り返ってみても見えるのは、背を向けて遠くへと歩いていくユルムの姿のみ…。
「な、なんだ…?」
ザワザワと妙な胸騒ぎがしていた。
その原因は、分からない。私はそれを分からないままにして、再び歩き出した。間違いなく何かが起こった。しかし、何なのかが分からない以上…どうすることも出来ない。
胸のざわつきを感じながら、ただ歩き続けた。




