5話 ココアとガンパウダー
10年前。
その日は当たり障りのない1日だった。
まだ、学生だった俺は普通に学校に行こうとしていた。
いつも通り。
しかしそれは、適当につけていたテレビから流れてくる速報で簡単に崩れ去る。
『──────未確認生命体が、宇宙より飛来しています』
SF映画みたいな文言。
直接見て確かめたわけではない。
まだその情報の真偽すらも確かでないというのに、異様な緊張感が走っていたのを、今でも覚えている。
〜〜〜〜〜〜
「──────サナダくーん。生きているかねー」
間延びした呼び声に目を覚ます。
目を覚まし、匂いと景色から情報を得た。
おそらくここは医療的な処置を行う場所だ。
鈍い体を起こし、状況を確認する。
「…すいません。私は何故ここに?」
「何故って、氷漬けにされたからだろう?覚えてないのかい」
「氷漬け…?」
意識が途切れるその瞬間まで記憶を辿る。
私は“亜人管理官”としての仕事、空気清浄機の設置場所の下見をやり切った。そこまでは覚えている。たしか部屋に帰ろうとして、そこを亜人2人に止められて、それで…。
「──────シズクか。しまったな…」
「どうかしたかい?」
「亜人…あの年頃の子は繊細です。自分の力が人を傷つけたのだとすれば、罪悪感で何も手がつかなくなるでしょう…俺の失態です」
「そこで自分を責める当たり、やはり君はあの男の親戚らしい」
横に座っていたクリーム色の頭髪をした少女は呟きながら、マグカップに入った飲み物をあおった。
「…叔父のことですか」
「ああ。君のことは聞いているよサナダくん。気難しい性格らしいな」
「ということは…亜人か。礼を言う。助けられたな」
「分かるや否や口調を変えるじゃないか」
「亜人と接する時は、叔父の真似をしながら接すると決めている」
「ほほ、なるほど…確かに気難しい性格みたいだ」
少女はコロコロと鈴の音が鳴るみたいに笑う。
叔父の知り合いの亜人ということは彼女のデータはどこかにあるはずだが、叔父の残した記録をわざわざ探す気にはなれない。
近くの棚に置いてあったメモ帳とペンを手に取った。
「いきなりだが、名前は」
「ふむ…立石クルネだ。好きな物はココア。嫌いな物は野菜だ。将来の夢は“天使”の解剖」
「お前、メモ帳読んだか?」
「退屈しのぎにちょうど良かったよ…なに、おかしなことは書いてなかったさ」
「そういう問題ではない」
「怒らないでくれたまえよ。お礼といってはなんだが、書いてある子達の身長体重、あとスリーサイズを書き記しておいた」
「余計なことをするな」
ニヤニヤとした表情で見られているところ、クルネのデータを書き込み、そのままメモ帳を閉じる。
「確認しないのかい?」
「データとしては記録すべきだが、私のメモ帳には必要のない情報だ」
「後で見るつもりだね?案外ムッツリだ」
「はぁ…お前の相手はウンザリするな。叔父はどうやって会話してたんだ」
「さあね。あ、好きな物に人の困り顔、というのも追加しておいてくれたまえ」
先に聞いておきたかった。知っていれば嫌でも表情に出さなかったというのに。
ポーン ポーン
直後、嫌でも耳に入ってくるような電子音が部屋中に響く。聞こえ方からして、シェルター内全体へのアナウンスだろう。数秒後、よく通る声がアナウンスを始める。
『変異生物が上部ビル内に侵入しました。シェルター内の人間は、ビルの方に出ないように』
“変異生物”
亜人と同じように“世羽根の毒”によって突然変異した野生動物などのことだ。個体によって変異の仕方は大きく異なるが、基本的に武装をしていない人間の手では傷一つ付けられない。
こういう事態になった場合は“駆除隊”と呼ばれる武装した部隊が侵入した場へと駆けつけるが…。
「変異生物か…シェルター内じゃないのなら、まあ安心だろうね」
「ああ…そうだといいが」
「…?どうしたんだい。まだ安静にしておいた方が」
『場所はビル3階、書庫。蜘蛛から変異した個体のようです。くれぐれも近づかないようにお願い申し上げます』
「っ…都合が悪すぎるな」
私はすぐさま着替え、机に置いてあった支給品の拳銃とガスマスクを手に取った。
「防護服は、ここにはないか。着てる時間が惜しいな…!」
「待て待て待て。何をする気だい?」
「無論だが、変異生物の場所に赴く」
「…!君、死ぬぞ」
「私は“亜人管理官”だ。行く必要がある」
「はぁ…言っておくがね、亜人は例外無く君よりもはるかに強い。変異生物など簡単に退けられる。カッコつけたいのなら、もっと他でやりたまえよ」
「嘘をつけ。強いわけがあるか。いくら身体が強かろうと、中身は普通の女の子だ」
メモ帳にも記した、シズクのデータを思い出す。
『嫌いというか、苦手なものは虫ですかね。特に蜘蛛。好きなのは本と……』
拳銃の弾丸が込められていることを確認し、ガスマスクを被った。
死の覚悟などしている暇は無い。
しない方がいい。
「退治は駆除隊の仕事だ」
「駆除隊は準備に時間がかかる。その間に事が起きてみろ…亜人の精神の安定、問題の解決をサポートするのが“亜人管理官”だ」
「っ…くだらない仕事だよ、それは」
「叔父から引き継いだ仕事だ」
「バカか…死にたいんだねぇ君は」
「死ぬ気は無い。変異生物と戦う気もない。私は亜人を助けに行くだけだ」
「あっ、おい!人の話を聞きたまえ!」
「…離してくれ」
掴まれた手を振りほどいた。
睨んでくるクルネの瞳を、何気なく見つめ返した。
「──────っ、君ら親族は…全く…!」
私の目を見た途端にクルネはそっぽを向き、説得を諦めた様子だった。
叔父も多分、同じ目をしていたのだろう。
すまない、と心の中で呟いてから部屋を出た。
叔父も多分、こうしていたのだろう。