4話 つららとツンドラ
“明けの明星”本部ビル3階。
私は半日かけてようやく仕事を終えるところだった。“空気清浄機”最後の設置場所は、本が所狭しと並んでいる書庫である。
比較的慣れた足取りでポイントへと向かう。
実は給仕の時にここにはよく足を運んでいた。
給仕の仕事ついでにここにあった本をよく見ていたからだ。
もちろん読みはしない。
“世羽根”の毒で汚染されているのだから本は持ち出せない。その場で読もうにも、ここに留まり続けるのは気が気でないだろう。
ただ地下に篭もり続けていると、些細な娯楽さえも貴重に思える。表紙やタイトルを見るだけでも想像力が膨らむというものだ。
『お前、案外根暗だな』
このことを話したら、叔父が無遠慮にそう言ったのを覚えている。許すまじ。
「──────給仕さん?今日は早いですね」
と、薄暗い本棚の森の中、微かに灯った光の方向から声が聞こえてくる。
無視するのも忍びないので、一応声のする方へと向かった。
「こんばんわ。今日は月が綺麗な日ですよ」
「私は亜人管理官だ」
「…喋れたんですね」
「今日同じことを他の奴にも言われた。私は亜人管理官だから喋ることを禁じられていない」
「亜人管理官…?ふふ、昇進したんですか?おめでとうございます」
少女は氷でできた椅子に座りながら、上品に微笑む。
彼女とは初対面ではない。私視点では、だが。
彼女は私がたまに給仕していた亜人だった。私と同様、この書庫によく出没する。なので、給仕ついでに本も見れるという、私にとっては都合のいい存在であった。
何度も会っているはずだが、彼女からすれば同じ格好をした人間が一言も喋らず毎日給仕だけして帰っていくのだ。
それぞれが誰なのか見分けられるはずもない。
「じゃあ、亜人管理官さんは今日は何しにきたのですか?まさかまた、本を見に来たのですか?」
「……近いうちに“世羽根の毒”を取り除く空気清浄機を設置する。今日はその設置場所の下見だ」
「まあ…!それは素晴らしいです!やっとアナタの、給仕さんのお顔がやって見られるんですね」
どうも彼女は私のことを知っている風に話す。
おかしい。まさかここに来た給仕は皆、私と同じように本を見て帰っていってるのだろうか。
「…どうかしました?」
「お前はもしや、同じ格好をした、給仕の人間を見分けることが出来るのか?」
「…?いいえ」
「ではやはり、ここに来る給仕は皆が本を見に来てると…」
「それもいいえ。ここに来てわざわざ本の題名と表紙を眺めていかれるのは貴方だけですよ。給仕さん」
「…?!」
水色の瞳が、ガスマスクのレンズ越しに私を見つめている。まるで私の全身が見られているかのような感覚…彼女の亜人としての能力だろうか。
「ずっと見てました。いつかお話できるまで、ずっと、ずっと…」
「…!」
途端に、気温が下がった気がした。
灯りの横で揺れているはずの瞳孔から、光が消えた。ただならぬ雰囲気に、私は思わず息を呑んだ。
「わ、私は…」
「…なーんて、冗談ですよ、冗談。ここに来る人はみんな違ったことをして帰っていくから覚えてるだけです。あなたは毎度を本をまじまじと見ていくので、覚えやすかったですよ」
「そ、そうか」
ほぅ、と息をついた。
確かに改めて考えてみれば、他の者と比べれば不審な動きをしていたかもしれない。そんな私が突然話しかけてきたのなら、警戒するのも無理はない。
先程の刺すような視線も、そういうことなのだろう。
「空気清浄機?の下見、頑張ってください!」
「いや、朝から続けてるから、もうほとんど終わっている。ここで最後だ」
「あら。そういえばもう夜も更けてきましたものね」
「ああ…ついでで悪いが、亜人管理官の仕事として、お前に聞きたいことがある」
いつも通り、メモ帳を取り出して目の前の彼女に聞く。
「名前を聞かせてくれ。散々会っておいて今更になるが」
「まぁ…!やっと知って貰えるのですね。私は雪宮シズクです。以後お見知りおきを」
そう言うとシズクは氷でできた椅子から立ち、お姫様のようにロングスカートの裾を両手で軽く持ち上げた。
私がその仕草を物珍しげに眺めると、シズクは照れくさそうに笑った。
「本で読んで、一度してみたかったんです。そんなまじまじと見ないでください」
「いや、私も一度はこういうのを見てみたいと思っていた。まるで童話から飛び出したみたいだぞ」
「あら、うふふ…お上手ですね」
「ふむ…好きな物と嫌いな物を教えてくれるか」
「嫌いというか、苦手なものは虫ですかね。特に蜘蛛。好きなのは本と……」
「本と…なんだ?」
メモ帳に書き綴るのを止め、顔を上げるとシズクは紅潮した顔で私の方を見ていた。
「…分かりません?」
「…?後ろに何かあるか?…本棚。も、好きというわけか?」
「…はい。本棚も好きなんです」
「好きな物、本と本棚…」
「本棚の木目とか…眺めてると暇が潰れるんですよね〜…」
中々マニアック?なやつだ。
何やら回りくどい伝え方だったが、これも本好きが故だろう。映画のような気の利いた言い回しで伝えたがるのがシズクの癖なのだ。
「よし…協力感謝する。では、私はこれで」
「あっ、あの!」
「なんだ」
「あの、その…防護服もガスマスクも必要なくなったら、またここに来てくれますか?」
「もちろんだ。いずれここの本から毒を取り除いて、誰でも手に取れるようにする予定だ」
「そっ、そうじゃなくて」
シズクは何やら顔を赤らめて俯いている。
また何か回りくどい言い回しを考えているのだろうか。もう今日の仕事も終わりだ。それくらい付き合ってやろう。
「その、本じゃなくて私と会い──────」
「あっ!こんなとこにいましたか!!」
と、ようやく話そうとしたところで乱入が入る。
声が書庫を鳴り響いたと同時に、ツカツカと高い足音が私の方へと向かってくる。
「やっと見つけました。サナダさん、どこをほっつき歩いてるんですか」
「…サラか」
「サっ…?!」
現れたのは赤髪の亜人、明石サラであった。
何やら不機嫌な様子で私のことを探していたらしい。
「つい今まで、亜人管理官の仕事をこなしていた」
「可愛い女の子とお喋りしながらほっつき歩くのが仕事ですか。いいご身分ですね」
「身分は…給仕と比べれば確かによくなった方だ」
「皮肉です。それくらいも分からないんですか」
「…わかった上であえてだ」
「性格悪っ。亜人管理官なんて呼び名ならもっと人に気遣えるように」
「──────あっ、あの!!」
と、次々に言葉を連ねようとしたサラを、シズクの一声が止めた。
助かった。不機嫌なサラはどうもかなり扱いに困るらしい。どうにか彼女を宥めるような言葉を…。
「サ、サナダって、この人の名前ですか…?」
息を荒げて紡いだ言葉は、私についてだった。
「…?ええ、このオッサンはサナダっていう名前だけど」
「オッサンではない。まだ26だ」
「オッサンじゃないですか。てかなんですかその格好。そんなので隠しても、いやらしい中の目付きは分かりますからね」
「これは“毒”から身を守るための装備だ」
「目つ…き…?あの、サラ、さん?もしかして、この人の素顔、ご覧になったことが…?」
「え?ええそりゃまぁ…見せないもんなんです?」
「ああ、見せたのはサラくらいだろうな」
「ずっ!ど、どっ?!どん、どんな!どんな関係なんですかおふたりは?!」
シズクは今まで聞いたことないくらいの声量で、サラを問い詰める。
いつもの彼女からは考えられない、必死の形相である。
「どんな関係…?世話する人とされる人」
「亜人管理官はそんな職ではない」
「あの、恋仲とかでは…?」
「誰がこんなオッサンと色恋なんてやりますか」
「オッサンではない」
「ほっ…」
サラの表情が再び不機嫌に歪み始めた。
今日の仕事は終えたというのに、何やら面倒なことになってきた。部屋に戻ってすぐに寝たいというのに。
私はごく自然に、回れ右をしてからこの部屋を後にしようとした。
「ちょっと!まだ私の要件伝えてないんですけど」
「後日聞く」
「今日じゃないとダメなんです!」
「他の者に頼む」
「サ、サナダさん!」
立ち去ろうとしたところを2人の亜人に掴み止められた。
亜人は特殊能力に加え、身体能力が常人の数倍あるという。
振り解けない。完全に捕まってしまった。
「離してくれ。サラ、シズク」
「ダメです。あなたには責任がありますからね」
「せっ、責任?!一体何したんですかサナダさん!」
「いや何もしてないつもりだが…してないよな?」
「忘れたフリ止めてください」
「えぇ…っと?」
「わ、私には内緒ってことですか…?ずるい…私だって、私だって──────」
ヒヤッ、と辺りの気温が凍りつくような感覚。
嫌な予感がした。シズクは“冷気を操る”力を持っている。今の彼女はなにか様子がおかしい。彼女に力の制御をする余裕がないとするなら…。
「──────給仕さんともっと仲良くなりたいのに!!」
刹那、シズクの手から私の全身にかけて冷気が駆け巡る──────私の意識はそこで途絶えた。