26話 コウモリの氷漬け 〜邪な気持ちを添えて〜
雪宮シズクのサナダに対する感情はある種の狂信的なものであり、ある種の執着のようなものであった。
この狭く閉ざされた世界の中で、長きに渡って抱いてきた淡い恋心が、大蜘蛛と対峙した件の出来事で爆発した結果生まれた感情。
それは皆が憧れる“英雄”に恋焦がれるような。
届かない月に手を伸ばすような。
「アリガタキシアワセ」
そんな彼が虚ろな瞳で1人の女に世話を焼いている。
厳格でありながら、人に媚びることはしない彼が。
決して死んだような瞳を私の前では見せないアナタが。
目撃した直後、鈍器でぶち抜かれたようなショックがシズクを襲う。
気がつけばシズクは、手を伸ばしていた。
「──────初めまして」
「…?ええ、どうも」
ルピンは差し出された手を何気なしに取る。
ただの挨拶の握手。単に丁寧な人なのだろう。そう単純に考えていた。瞬間──────
「私、その人の恋人候補なんです」
「え…?あっ、ちょっと何を…!!」
ピキピキピキピキ
氷が割れるような音と共に、ルピンの体が握手した手から凍りつき始める。1cmずつ丁寧に、分厚い氷がルピンを覆っていく。
首から上を残した全身が氷漬けにされるまで、そうはかからなかった。
「つめたっ!あ、アナタ!急に何をするんです?!」
「いえ、暑そうでしたので。これで冷えてもらおうかと」
「そっ、そんなわけないでしょう!?私様にこんなことをしてただで済むと──────ひっ」
じっと、シズクは動けなくなったルピンの瞳を覗き込んでいた。
さながら獲物を捕食する爬虫類。
ルピンは恐怖のあまり息がつまり、固まったまま震えていた。
その様子にロコはガッツポーズをとる。
「やるじゃねぇかアイツ」
「あれは…ルピンさんに対して有効な手なんです?」
「氷漬けにするのは良い手だ。不死身だが無敵っわけじゃねぇからな。前にも1回、土に埋めて動きを封じるなんてしたことあったな」
「そこまでして」
「それに、アイツは調子に乗りやすいが、メンタルがクソザコな上に小物だ。1度勝てないって思わせりゃ、二度と逆らってこない」
完全に制されたかのように見えたルピンは、きっと目つきを尖らせ、シズクに向かって声を投げた。
「こ、この男の恋人候補?なんですってね…わ、私様に逆らえば、この男がどうなるかわ、分かりませんわよ!」
「サナダさんに何をしたんですか」
「わ、私様の能力を施しました。私様に噛み付かれた人間は私様の下僕となり、言うことを聞くだけの傀儡になるので」
「へぇ〜〜〜〜〜〜〜」
「ひっ…!」
「羨ましい限りですね。本当に羨ましい妬ましい羨ましい妬ましい」
「ひぃっ!!ちょ、ちょっとおかしぃですって!出会っていきなりこんな酷い仕打ちは!私を凍らせるのォ待ってくださらないぃぃ?!」
ピキピキと音を立てて、氷の勢はルピンの顎先にまで迫る。
依然として変わらず、シズクは冷たい瞳を覗かせる。
「サナダさんを解放してくださるのならいいですよ」
「いっ…いや、その、それはもう少しだけ待ってくださらない?」
「…?」
「あらそう、なら…」
「あっ、あっ、ちょちょちょ!!お待ち!お待ちになって!それ以外!一旦それ以外なら!なんでもいいですから!」
「サナダさん以外はどうでもいいです」
「そそそそそそうです!私の能力でっ、こ、このサナダを、アナタの思い通りに動かせるようにしますっ!それでっ、それでなら」
「……!!!」
「ひっ…!」
髪の毛を全て凍らせたところで、ルピンの凍結は止まる。
シズクは、目を見開かせたままルピンの瞳をより深く覗き込んでいた。
「それ、本当に言ってます…?」
「ほっ、本当本当!私様の手にかかれば少なくとも一日は、アナタの思い通りにして差し上げますわよ!だから、ねっ!」
「…………………」
パキィン、と軽快な音を立てて氷は砕ける。
自由の身となったルピンは、シズクから逃げるように部屋から出て行った。
「あっ逃げた」
「………すいません。ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「いや、その…しょうがないですよ。イマイチ状況も飲み込めていないでしょうし」
「大体は理解出来たつもりでした…でも、魔が差して…すいません」
「……おっかしいなぁ…」
「はい。すいません。おかしいですよね…」
「あ、いや別にアンタを責めてるわけじゃねぇんだよ。ルピンのことだよ」
「ルピンって、あの方のことですか…」
「いつものルピンなら、あそこで降参してたはずだ…なんだってあんな…」
「確かに亜人管理官を解放するのを渋ってましたけど…それがそんなに引っかかりますか」
「ああ、大体今回も始まりがおかしいんだよなぁ…アイツが暗躍する時ってのは大体気づかれないように、慎重に動くはずなんだよ。調子に乗るのも、それが成功してから…ってのによぉ…」
ロコはルピンの出て行った扉を眺めながら、納得いかないような顔で頬杖をついていた。
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管理局から離れた位置にて。
シズクから逃げ切ったルピンは暗闇の中、傀儡となったサナダに向かって、陰のある声で尋ねる。
「ねぇ。マサムネが亡くなったというのは本当なのですか」
「アリガタキシアワセ」
「……ねぇ」
「アリガタキシアワセ」
「嘘なんでしょ…ねぇ…!」
サナダ着ている白衣を引っ張り、ただをこねる子供のように叫んだ。彼の持っているバインダーも、あの部屋にあったボトルシップも、全て見覚えのある物である。
預けこそすれ、アイツが他の者にあげるなんてするはずがなかった。
「くそっ、ふざけないでよ…!」
恨むような声で呟いた。




