20話 真夜中読書倶楽部
天野ミルモは夜を往く。
人気のない、ビルを歩く。
昼の騒がしさが嘘かのように、夜は誰もいない。時計の針が“12”を指し、地に影が落ちると皆、バッテリーが切れたみたいに眠ってしまうのだ。
天野ミルモは退屈だった。
夜の風景はもう、何もかも撮りきってしまった。ここに住まう“亜人”の寝顔も、全て撮りきってしまった。暇を潰そうにも、誰もいないのではやり方が分からない。何かないかと、歩き回ることでしか、ミルモは時間の過ごし方を知らなかった。
「“サナダー♪サナダー♪その名はサナダー♪”」
いつか聞いた“海色ディーヴァ”の演奏を口ずさむ。
口という部位から出ていくただの音の波。
この感覚が、不思議と心地よかった。
今のこの姿も、この声も、“視る者”本来のものではない。この星に溶け込み、同じ視点で観察するための仮の姿だった。だがしかし、この姿に引っ張られるように、“視る者”としての思考が徐々に“人間”へと近づいているのを彼女自身は感じていた。
「楽器…今度貸してもらうのです」
寝静まっているところを拝借すればいい。
そう無意識に考えられなかったのも、多分“人間”に近づいているからである。
「わ──────」
「…?」
消え入るような声が、一瞬だけ聞こえた。
さほど遠くはない気配。だが、天野ミルモの視界には誰も映っていない。
…耳をすますと足音が聞こえる。
「誰かそこにいるのですか?」
返答はない。
「…“視る者”から隠れようなど、いい度胸なのです」
ミルモは目を凝らし、空気中に微かに漂う“世羽根”の揺らぎを見つめた。そして、ミルモは見つける。遠ざかっているが、どこかへ歩き去っていく、自分と同じくらいの人影を。
揺らぎ目掛けて歩み寄り、ミルモは輪郭を掴んだ。
「待つのです」
「ひゃぁっ!!」
「何故姿を消しているのです」
「えっ…ユユが見えてるの?」
ユユ。五十棲ユユ。姿を消す能力。
昼にその姿を見たことはあった。撮ったこともある。
誰もいない夜中に、どうしてわざわざ姿を消しているのか。
「あっ、もしかして噂の天使さん…?」
「天野ミルモなのです。私には見えますが、何故わざわざ姿を消しているのですか?」
「ユ、ユユはね。透明になるのがうまくできないの。いっつも勝手に透明になっちゃうの」
「能力の制御ができない個体…幼さ故に精神が安定していないのかもしれないのです…」
「…?なに、どうしたの?」
「いえ。どこかへ向かっている様子でしたが、どこへ向かってるのです?」
「書庫!本がいっぱいあるところだよ!」
「書庫。何故?」
ミルモは頭の中に覚えている情報を巡らせた。
書庫、書物をしまっておく部屋。書物、文章を書き記した紙を1冊に綴じた物。
ここの書庫に保管された本は、ほとんど人間の考えた物語が記された物だったはず。
そんなところになんの用があるのか。
「シズクお姉ちゃんに読み聞かせてもらうんだよ。天…ミルモちゃんも、眠くないなら来る?」
「読み聞かせ…?こんな時間にやることですか」
「えへへ、ちょっとお昼寝しちゃったから今日は全然眠くないんだ〜。シズクお姉ちゃんも同じだって言ってたから」
「はぁ…天使は眠くならない。眠らずとも生きていけますが、アナタ達は違うのです。生活習慣の乱れが精神の安定に悪影響を及ぼすのです。さっさと眠るのが吉なのです」
「え〜、でもユユ全然眠くないよ…シズクお姉ちゃんとも約束しちゃったし…」
「アナタが行くにしても私は──────」
ミルモは全くもって付き合うつもりはなかった。ユユとシズクを部屋に帰らせ、より安定した進化を促すつもりだった。
口を尖らせて俯くユユに、夜に俯くその姿に、何故だか断ることができなかった。
「…?どうしたの」
「──────でも、暇だから少しだけ付き合うのです。すぐに帰るのですよ」
「ほんと?やった…!」
そう言ってユユははにかんだ。
読み聞かせを聞いて何になるのか。自分で読んだ方が早い。それに、架空の物語など知ったところで、なんの足しにもならない。
そう思いつつも、大人しくミルモはユユの後をついて行った。
〜〜〜〜〜〜
「──────それで、シズク。次は」
「ミ、ミルモちゃん…もうすぐ3時だよ。私もう寝ないと…」
そこから数時間経った頃、ミルモはシズクに物語の読み聞かせをせがんでいた。
彼女にとって人間の考えた架空の物語は大変興味深く、かつシズクの穏やかに奏でる声は彼女の“天野ミルモとしての心”に安らぎを与えていた。
要するに、シズクの読み聞かせにハマっていた。
「安心するのです。私は天使。眠くなることはないし、眠らなくても生きていけるのです」
「ほ、ほらでも、ユユちゃんが…ふあぁ…」
「…!私としたことが…」
そこでやっと、クルネは隣で船を漕いでいるユユに気づいた。眠そうに目を擦っているシズクの様子にも。
“亜人”とは、天使にとっては大切な同胞。そんな彼らの健康、精神を害するのは言わば、彼ら亜人の進化を阻害することに等しい。それを無意識にやってしまっていたことに、クルネは深く後悔した。
「申し訳ないのです…私はアナタ達への迷惑などよそに、物語を聞くことに夢中になっていました」
「大丈夫。私はミルモちゃんが物語を楽しんでくれた事の方が嬉しいよ」
「そう、なのですか…?では、私はユユを部屋まで連れていくのです。彼女の部屋はどこなのですか?」
「ありがとうね。部屋の場所は、えーっと…」
ミルモはシズクから場所を聞くと、ユユを背負い書庫から出ていく。
「今日はありがとうなのです。よく寝て、お休むのですよ」
「うん。おやすみ」
ユユを背負って歩く間、ミルモの頭の中には物語の余韻と、後悔の念で二分していた。この複雑な感情はミルモにとっては慣れないものだった。今までなら、一つのまとまった意思のみに留まっていたものを…。“視る者”ではなく“天野ミルモ”という人間として、変化していることを実感していた。
「…ん…んみゅ…?あれ…私、どうしてたんだっけ…?」
背負っていたユユが目を覚ます。
「ユユ。今、書庫からアナタの部屋へと帰るところなのです」
「あ…寝ちゃってたんだ…ありがとうミルモちゃん」
「礼を言うのは私の…いや、私はユユに謝らなければいけません。いつの間にか私のワガママに付き合わせてしまっていました」
「そんなことないよ…私、ミルモちゃんがいたから今日は楽しかったんだよ」
ギュ、とユユの掴まる力が強まる。
視界に映るユユの腕。思えば、透明だったユユの姿はいつの間にかはっきりと姿を現していた。それは会った時、夜を1人で歩いていた時よりも精神が安定している証拠。
「私は何もしてないのです。本の読み聞かせをしていたのはシズクの方なのです」
「そうだけど。ミルモちゃんと一緒に聞いたから楽しかったのも、あるよ」
「そうなのです?それなら、幾分か良かった。でも、今日は起きすぎです。今度はもっと早い時間に集まった方がいいのです。あのペースでは、きっと全部読み切れないのです」
「全部って…あの書庫の全部読むのぉ…?」
「当たり前なのです。ユユは気にならないのですか」
「気になるけどさ…ふふ、ミルモちゃんおかしー」
「おかしいものですか。私が全部読むということは、ユユやシズクも全部読むということなのですよ」
「…えへへ…変なの…でも、ありがとうミルモちゃん。今日は、私のためについて来てくれたんでしょ?」
「…私は」
「ありがとう…夜は…1人じゃ…寂しいから…」
ユユはつぶやきながら、再び眠りへと落ちた。
「私は、ユユのために…?」
最初はただ同胞の進化のためと思い、書庫へと向かった。“五十棲ユユ”のためではなく、“亜人”という同胞のために。だが、いつの間にか自分が物語を楽しむがためにあそこに留まり…今こうして私が考えているのは──────
〜〜〜〜〜〜
「サナダ。私の部屋を用意しなさい」
突然、ミルモが亜人管理局を訪ねてきた。
普段ここに来るといえば、やれ端末の容量が無くなっただの、あそこの景色が変わっているだの、自分の撮っている写真のことばかりだったはず。
「部屋だと?どういう風の吹き回しだ。お前は前、眠らなくてもいいのだから部屋はいらないと言ってただろう?それに荷物の置き場も“滞在するだけなら必要ない”と、つい最近聞いたばかりなんだが」
「必要になりました。部屋の場所も決めてきたのです」
そう言うとミルモは印刷してきたであろうマップを広げ、赤い丸で印した部分を示した。
「ちょうど空き部屋だが、なんでこの部屋なんだ」
「ユユの部屋と隣なのです。ユユが寂しくなった時にいつでも駆けつけられるのです」
「なるほど…とはならん。何故そこでユユが出てくる」
「亜人の中でも幼い彼女は能力の制御が他より不安定なのです。よく監視するべきなのです」
「助かるが、亜人管理官にとって随分都合がいい。お前何か企んでるんじゃないのか?」
「何も企んでません。亜人は私にとっての同胞。気遣うのは当たり前なのです」
人形のような瞳で私を見てくる。
断れば、首を掴んで絞め殺してやるとでも言いそうなくらい…まあ別に断る理由もないのだが。
「…いいだろう。下に連絡しておく」
「いいのですか?ありがとうございます」
丁寧にお辞儀をすると、嬉しそうな足取りで部屋から出ていく。走っていく先には、姿をはっきりと現したユユの姿。
合流すると、手を繋いでどこかへと消えていった。
「…?」
「亜人管理官。どうかしました」
「いや、アイツあんな表情豊かだったか?」
「豊か…でしたか?表情筋の質量はいつも通りといった感じでしたが」
「あ、いやそうなんだが…なんていうか…感情的っていうのか。表情はいつも通りなんだが」
「はあそうですか。変なこと言ってないで手を動かしてください」
上手く言語化できず、エイルに一蹴される。
エイルの言う通り、ミルモの表情の変化はいつも通り乏しかった。それでも何か、変化があった。“天使”である彼女が、私たち“人間”に近づいていような気が、しないでもなかった。
否、気のせいだったのかもしれない。




