117話 大人なれども
“親衛隊長”が去り、部屋には静寂が訪れる。
部屋には特別、僕の興味を引くようなものはなく、心理学に関する小難しい本が立ち並んでいるだけである。
今の立場を任されている以上、何か学ぶべきなのかもしれないが、全くもってやる気になれない。
かといって他に何かやることがあるわけでもない。
窓から、談笑している学生達を眺めていた。
“セントラル”には男子学生がいる。
おそらく亜人ではない女子学生も。
だが、人間だろうと亜人だろうと、ここにいる生徒は皆分け隔てなく接していた。ここが“明星”シティと名付けられるだけある。
「──────なに黄昏てるの」
「うわっ…ユユ。いつからいたの」
「昼休み始まってからずっといたよ」
そう言ってユユは体の半分を透明にした。
普段からこれ見よがしに使用するような能力ではないので、たまにユユの能力が“透明化”だということを忘れてしまう。
……というか、そもそも能力を使っていたとしても僕には見えないのか。
「…ま、いいや。僕、何か恥ずかしいこと言ってなかった?」
「シンイチさんはいつも恥ずかしいでしょ」
「生きてるだけで…?どうしろってのさ」
「うーん…“サナダ”さんに戻ってみるのはどうかな?」
「絶対嫌」
断固として拒否した。
もう僕が“サナダ”に戻ることなど1度としてないだろう。あれほど空しい時間はない。
「それで、何してんの。生徒は昼休みの時間でしょ…あっ、もしかして友達いない?」
「最悪〜思っても聞いちゃだめでしょ。そういうことは」
「さっき“サナダ”の話をしたお返しだよ」
「もう…シンイチさんの様子を見てただけ。ちゃんとお仕事してるかなって」
「やってるよ。さっきの見てたでしょ?」
「うん…見てたけど…」
「…まあ、あれでいいのか、とは流石に僕も思ってるよ」
“親衛隊長”は助言とかをする前に飛び出して行ってしまったものだから。カウンセラーらしい仕事はまだした気分ではない。
「とりあえず、心配しなくても真面目にするよ。もちろん“天使探し”の方も」
「ああ、良かった。忘れてはないんだ」
「当たり前」
ガチャ
と、他愛もない会話に割って入るように扉が開けられた。扉から覗いたのは、異様なまでに長い頭髪の生徒。床にまでつきそうな程だ。
「あ、じゃあ私戻るから。ちゃんとやってね」
「言われなくても」
生徒と入れ替わるようにして、ユユは部屋を出ていった。
出ていく様子を、入ってきた生徒じっと眺める。
やがてユユの姿が見えなくなると、その生徒は僕の方へと向き直った。
「さっきの…五十棲ユユって人…?」
「そうだと思うよ」
本当に人気だなアイツ。知り合いでもない人間に名前と姿まで覚えられてる。
「…それで、アンタがシンイチって人…?」
「え…?そう、だけど」
「話を聞いてくれるんだって?私の話聞いてよ」
そう言いながら生徒は席に着いた。
異様なまでに長い髪の間から除く瞳は、影の中で爛々と光っている。どこか不気味な雰囲気を感じさせる生徒だった。
「私の名前はアリス。よろしくね」
「はい、よろしく。今日は何かの相談で来た感じかな」
「相談…そうだね。相談と言ったら相談かも。聞いていい?」
「僕に答えられることなんでも」
「私ね。嫌いな人がいるの。とっても嫌いな人。なんとかして、その人に会いに行こうとしてるんだけど、なかなか上手くいかなくて…」
「んん…?嫌いな人に、会いたいってこと?」
「そう。どうしたらいいかな」
「ま、待って…会ってから、どうするの?仲直りとか、そういう話?」
「仲直り…?ううん、多分そういうことはしないと思う」
「ええっと…じゃあ何するの」
「わかんないけど〜…最悪殺すかも〜」
いきなり物騒な話になった。
うら若き乙女が誰かを殺そうなんて考えるのか。だが彼女の話しぶりに恨みや妬み、嫉みは感じられない。休日の予定でも話すみたいなノリで僕に話しかけている。
冗談…なのだろうか。
「…話の本題にはいつ入るのかな」
「本題、って?もう入ってると思うけど」
「そう?……ホントに?本当かな?」
「えぇ…本題、ホンダイ、ホンダイ…?他に何か意味のある言葉だったかな〜」
この話が終わる気配がない。彼女は目線を上に、フラフラと横揺れしながら考えていた。
冗談じゃない気がしてきた。
「まあいっかー…とにかく私が聞きたいのは、その私の嫌いな人の会い方。それだけでも教えて欲しいなーって」
「会い方ぁ…?なんでそんなの僕に聞くの」
「えぇー…?だって知り合いなんでしょ?」
「知り合い?誰、誰のこと?」
「んーっとね──────」
直後、アリスの纏っていた空気が一変する。
ヒヤリ、と辺りの気温が一気に下がったような感覚に陥った。
「──────天野ミルモ」
「……え」
ついていた頬杖を反射的に離す。
そして、椅子に下ろしていた腰を即座に上げた。
「殺したいの。あの天使様を」
思わず後退る僕に向かって、アリスは口端をわずかにつり上げた。




