102話 口足らず、されど
セミの鳴く声が外で響く。
僕は湿気のこもったタマの部屋で、汗を拭った。
「…とりあえず、扇風機つけていい?」
「ぐすっ……はい、どうぞ」
タマの傍に置いてあった扇風機の“強”ボタンを構わず押し、その風を一身に受けた。にじんでいた汗が熱と共に蒸発していく。
「タマちゃんも当たる?」
「…はい」
首振り機能をオンにして、シナシナになっているタマと向かい合った。汗で額に張り付いた前髪が、風で少しだけそよいでいる。
「イチカのことは、ユユには知られたくない感じ?」
「…ユユ先輩にというよりも、知り合いには誰にも知られたくないです」
「一応聞くけど、なんで?」
「恥ずかしいんです…あんなだらしない姿。きっと見たら幻滅されてしまいます」
「ははぁ…なるほど」
普段しっかりしすぎてる分、皆見たら安心しそうな気もするが、タマの心情的にはそうでもないのだろう。タマ自身が安心するにはどうすればいいのか…。
「あー、っと…ユユにはどういう風に話してるの」
「体の調子が悪くなって、立ち上がれなくなるとだけ…イチカが部屋が散らかしてしまうので、ユユ先輩はそれを片付けに来てくれるんです…イチカには、誰とも喋らないようにお願いしてます」
「あら…そういえば、イチカとは意思疎通できるんだね」
「はい、一応…」
タマは深呼吸をしてから、目をつぶった。
イチカと話しているのだろうか。
数秒もすると、目は開かれる。
「ダメでした…さっき喧嘩したので口を聞いてくれません」
「そっか…イチカのことを知ってるのは、僕以外にいる?」
「いえ…シンイチさんが初めてです…」
と、話している内にタマの目に涙か溜まっていく。
また、三角座りになって顔を伏せてしまった。
「ごめんなさい…あんなみっともない姿を見せてしまって…」
「みっともないって…そんなに?僕には年相応の女の子って感じしたけど」
「そんなこと…ありません。私は、私は…あんなんじゃないんです…だから外には出るなと言ったのに…!」
タマの膝に置かれた手に力が入っていた。
イチカの存在を、どうやらタマは邪魔に感じているようだ。どういう経緯でイチカという人格が生まれたのかは知らない。が、別の人格とはいえ自分自身を否定しながら生きるというのは、割と辛い。
僕は経験上、それを知っていた。
「…タマちゃんはさ。イチカのことが嫌いなの?」
「……嫌いです。あんなに我儘で、自分のことしか考えていない人」
「僕はいいと思うけどなぁ。あれくらいの我儘なら、皆付き合ってくれるよ」
「私が嫌なんです…私なんかのために、他人の時間を取るなんて、あっちゃダメなんです」
「タマちゃんの周りには、そんなに偉い人ばっかり?」
「…はい。ユユ先輩も、ニオちゃんもアカリちゃんも、本当は私なんかが関わっていい人じゃない…」
普段明るい印象だが、根っこではかなりネガティブらしい。こういう子が、自分のありのままを受け入れるには…。
「……あー」
「…?どうかしました?」
頭を抱え、嘆息した。
今の僕は亜人管理官ではないのだった。
何をメンタルケアじみたことをしようとしているんだか。今の僕はサナダじゃない。彼女の気を遣うなんて、する必要はないはずだ。今の僕は、自分のしたいようにするべきだ。
「タマちゃん、気にしないでいいよ。イチカの事が知られても、皆そんなに気にならないよ」
「…!?な、そんなことないです!ていうか、私が嫌なんです!」
「いやいやいや、二重人格ってことはさ、タマちゃんの一部だよ。イチカのやろうとしてる事は、タマちゃんのやりたかったこと。わらび餅、買ってきたの食べた?」
「えっ…?い、いや、まだです」
「イチカはタマちゃんにも食べてもらいたいって、僕に多めにねだったんだよ?」
冷蔵庫を開け、奥にしまってあった開封済みの紙箱を取り出した。
パッケージには丁寧に“タマの分”と汚い文字で綴られたメモがセロハンテープで貼り付けてあった。
僕はパッケージごと、爪楊枝と共にタマの前へと出した。
「これが…?」
「昨日MI-Aがテレビで紹介してた」
「えっ!!MI-Aが?!」
途端にタマの目がキラキラと光り出す。
この女、飯を情報で食うタイプの女だ。
僕は苦笑しながらも、タマに食べるのを勧めた。
タマは少し躊躇いながらも、わらび餅を口に運んだ。
「…おいしいです」
「多分、イチカはタマが喜ぶと思って買ったんだと思う。だらしないヤツかもしれないけどさ、僕はそんな悪い性格じゃないと思うんだよね」
「はい」
「喧嘩したんならさ、仲直りはしといた方がいいよ。これからも長い付き合いになるんだからさ」
「…はい」
また、タマはポロポロと泣き始める。
人が涙を見るのは嫌いだが、今のこの涙はマシな方だ。比較的マシな涙。後悔、されど取り戻せる涙。
ボクはわらび餅を1つつまみ、口へと放り投げてから立ち上がった。
「んじゃ、僕はもう行くから。ユユが心配してるからさ、話すなら自分で話しといてよ?」
「はい…ありがとうございます。シンイチさん」
「わらび餅奢ったお礼は、毎日の朝ごはん貰ってるから十分だよ」
タマは深々と頭を下げると、また目をつぶり始めた。
仲直りの邪魔をしてはいけない。僕はさっさとタマの部屋から出ていった。
今日の朝ごはん
クルネのココア
イチカのわらび餅
以上




