1話 初出勤
20xx年○月✕日
世界に未確認生命体が襲来した。
それは人類を滅ぼすべく宇宙より現れた。4体の“ソレ”は世界各地に降り注ぎ、その地に“未知の物体”を振りまいた。これにより地球全体は、人間の住むことのできない環境へと姿を変えていった。
〜〜〜〜〜〜
「──────メンター、対応をお願いします!」
“メンター”
それは私のことを指す言葉だった。
とあるシェルター内。
その一室。
辺り一帯が真っ白なこの部屋には、騒々しい警告音が鳴り響いていた。床には白衣を着込んだ人達が泡を吹いて倒れている。
私は重苦しい足取りのまま近づき、ガラス越しの“彼女”を睨んだ。
どうやら“彼女”の方から、私は見えていないらしい。
「何かデータは」
「彼女の咆哮により職員が気絶しています。D-072。一時的ですが登録名はサラマンダーと」
「サラマンダー…火でも吹くのか」
「吹きます」
「そうか…私が火傷した時に備えて、氷枕でも用意しておいてくれ」
火傷ですむといいですね、なんて軽口には返答しない。なおも重い足取りで二重の自動ドアをくぐった。
そうして私は“彼女”と対峙する。
「やあ、ごきげんよ──────」
ボ ウ ッ !!
入室、そして挨拶したと同時に火を吹かれる。
惜しくも火は私には命中せず、横になびいていた私の頭髪を黒く焼くのみであった。
「っ…!近づくなぁ!!」
長く伸びた烈火のような頭髪。オレンジ色の瞳。鋭く伸びた犬歯。スレンダーな身体はどこかの学校の制服に包まれていた。
16歳半ば、“亜人”にはよくいる年齢層だった。
「……少し話をしよう。大丈夫だ。見ての通り私はバインダーとペン、紙くらいしかもっていない。あと、これ以上君に近づくこともない。約束しよう」
「ふぅ…!ふぅ…!」
彼女は歯をギリギリと軋ませながら私を睨んでいる。
無理もない。彼女は“外”で発見されるや否や、武装した集団によって沈静化、拘束されてこの“シェルター”に連れてかれたのだから。
手に拘束具がはめられていれば、なおさらだ。
「まずは自己紹介からだ。私はサナダ。君は?」
「人攫いに教える名前なんてない!パパとママはどこにいったの!」
「私は…君の両親の所在を知らない。今はそう簡単に確認できるような世の中じゃないからだ」
「嘘をつくな…!お前らがどこかにやったんだろ!パパとママを返せ!!」
「恐らく今の世は、君の知るような時世ではないよ。“世羽根”という言葉に聞き覚えはあるか」
「…?」
「“天使”は」
「し、知らない!」
「“亜人”は」
「何を言ってるの…!」
ペンを滑らせ“記憶なし”にチェックを入れる。
全て、この時代に生きる人間ならば知っているはずの言葉だった。
“天使”
人類は宇宙から襲来した未確認生物のことをそう呼ぶようになった。それは天使が落とす“未知の物体”が鳥類の羽根に似ていたことから由来している。
“世羽根”はその天使が落とす未知の極小毒性粒子を放つ物体のこと。
そして、“亜人”とは…。
「君の両親のことは後で私が調べておこう。君が今すべきことは、自分の身体の変化について知ることだ」
ポケットを探り、持ってきた手鏡を彼女へと放り投げた。
鏡で己の姿を確認すると、彼女は大きく目を見開いた。
「なに、これ」
「髪色、目の色、色々と変化があるか?君は我々で言うところの“亜人”という存在になった」
「亜人…?」
「今世界に蔓延している“世羽根の毒”は、吸った人間の体を蝕み、死に至らせる。だがごく稀に、その毒を大量に浴びても身体を変異させて生き延びる人間がいる。それが今の君だ」
“天使”が現れて約10年、“世羽根”の放つ毒による突然変異により“亜人”…天使に対抗しうる新人類が生まれた。
この亜人へと変化する人間の年齢は総じて10代から20代の若者であった。これは年齢による免疫力の違いからきているものだと推測されている。
「君の知る、国家を統治していた政府は事実上その力を失っている。今は我々が一時的のこの星の治安を維持している」
「そんなこと、信じられるわけないでしょ!“この星の治安”って…!」
「国際自営団兼亜人調査団体“明けの明星”──────それが我々の呼び名だ」
バインダーにも刻まれた組織名をつらつらと読んだ。
突然の情報の連続におそらく彼女は混乱しているのだろう。鋭く尖っていた表情が、みるみるしぼんでいくのが分かる。
緊張からか、それとも不安からか。
歳相応の、当然の反応だろう。“亜人”になった影響でおそらく10年は記憶が欠落しているのだ。
私はバインダーから目線を外し、目の前の彼女を見据える。
「……と、ここまでがマニュアルだ。後で資料を渡す。今の長ったらしい話は一旦忘れてくれていい」
「え…?忘れて、いいの」
「外のつまらない話より、今は君自信のことの方が大事だろう」
1度嘆息し、バインダーに挟まった紙とは別の、メモ帳を胸ポケットから取り出した。
「この聴取が終わったらすぐに君の部屋を手配する。腹が減っているだろう?好きな物は?嫌いな物は?一応アレルギーがないかも聞いておきたい」
「なっ、ちょっと待ってください!さっきまでの変な話は?!急にそんな、普通のこと」
「忘れていいと言っただろう?私は堅苦しいのが嫌いだ。マニュアル通りの応対などすぐに済ませたかった」
彼女は面食らった顔で私を見る。
気にせずに話を続けた。
「好きな食べ物は」
「けっ、ケーキ」
「食後に持ってこさせよう。嫌いな食べ物は」
「豆。系」
「アレルギーは」
「多分ない」
「…将来の夢は」
「えっ?」
「早く」
「え、パッ、パティシエ!」
「余裕が出来たら挑戦するといい」
話しながら、メモに書き綴る。
その間、彼女は顔を赤く染めながら私を睨んでいた。だが、部屋に入った直後とは大分違う目付きだ。殺意など微塵もない。歳相応の、不機嫌なだけの少女の目付きである。
「最後に」
「…なんですか」
「名前は」
「ぷっ…それ、最後に聞くことですか」
「大事なことだからな。最後に聞く」
目的は達成した。
ウィニングランみたいなものだ。
私は強ばっていた肩を撫で下ろし、笑顔で話す彼女の目を見る。
「サラです。明石サラ」
オレンジ色の瞳がキラリと光った。
好きな食べ物:ケーキ
嫌いな食べ物:豆類
夢:パティシエになること
明石サラ
短く書き記した内容を確認し、メモ帳を閉じた。
名前以外の文字はミミズがのたうち回ったみたいにガタガタだった。今ならもう、死んでもいい気分だ。