第2話:工房街の恐怖あるいは神秘 (Fear and Arcane in Dreadnought)・追跡者
時々、老師の口癖を思い浮かべることがある。『――その人間の在り方を形作るは、その人間の立場なりや』と、老師はよく門下生たちに説いていた。おれにはよくわからないが、要するに、人間というのは生まれつき良し悪しは存在しないらしい。最低の犯罪者もその立場になかったら、犯罪を起こしたりしなかったかも知れないとか。逆に、大衆に善良なイメージで通っている決戦教団《Religion Bataille Decisive》の枢機卿もその立場になかったら、最低の犯罪者になっていた可能性もあるという理屈らしい。いまだおれには老師の教えはよくわからん。昔、あまりにも理解しないおれを見かねたのか、老師は『森羅万象は表裏一体なりや』と、更に教えを説いたこともあった。
『やはり、よくわからん』
老師のさらなる教えを聞いても尚、おれは首を傾げていた。しかし、そう、よくわからない物は、わかりやすい物に変えてやればいいじゃないか。突然、閃きが降りてきたのだ。当時のおれの閃きに気づいたのか、他の門下生たちは『老師への反逆者が現れた』とカンカンに怒っていた。なにを馬鹿な。おれは老師をわかりやすい物に変えてやるついでに、他の門下生たちにもそうしてやった。シンプルな作業だった。おれは、そのシンプルな作業の間、自分に降りてきた閃きを自らに説いていた。
『その人間の在り方は結果だけが語る。森羅万象は裏表を持たない自然体である。その過程を創造すはこのおれなりや』
鋭いワンツーストレートで老師の顔面を爆砕させ、流れるような動きで繰り出した中段回し蹴りは門下生たちの体を横に二分割した。
『ようやく、わかりやすい』
当時のおれは人生も武闘も何もかも難しく思っていた。自分の在り方を定められなかった。しかし、自分に説いたこの閃きがすべてを明確にさせてくれたのだ。そう……世の中によくわからない物、難しきが蔓延るのなら、おれはそれをわかりやすい物に変える善意の伝道師となろう。これからの人生においても試練に出くわしたら、きっとそうしてあげよう。そう誓った。
だから、いま追っている訳の分からないネズミ共も、わかりやすい物に変えてやろうではないか。そうしてやればいいだけの話だ。
「おーい!!灰色の瞳野郎!!拳で壁という壁、洗いざらい破壊すればいいってもんじゃないんだぜ?俺たちを捕まえてみろ!!世紀の怪盗、この『寿』をな!!」
「馬鹿ムイが。自分の口で『世紀の怪盗』だなんて惨めにも程があるぞ!!挑発はいいから、急げ!」
バカめ。この素敵な灰色の瞳がどうしたと言うのだ。『寿』はベンチでくつろいでいる少年とやりとりしては、わざわざおれの挑発までして建物に上がり込んだ。その看板は……『探偵事務所レーヴ』か。あの少年もグルかもな。それにしても、なかなか捕まらない奴らだ。この工房街ドレッドノートに出入りする全ての者はコーボーくん達によって隈なく記録される。なのに、『どこからと無く現れては、あっちこっちでトラブルを起こし、何の痕跡も残さないで消える』らしい。その情報通り、奴らはおれの嫌いなよくわからない奴らのようだ。しかしながら、面白い。決戦教団からの葬り屋依頼が来たのは幸運と言ってもいい。
『面白い奴らを、わかりやすい物に変えてやれば……もっと良いものになるだろうな?』
おれは二つ返事で依頼を承諾し、あの『寿』を追っているのだ。すでに決戦教団の建物を2軒――いや3軒ほど、粉にしてしまったが、それは『寿』こと、カムイ・コトブキとヤチコ・レイゲンがやったことにしておこう。すでに、おれがやったことだという噂が流れているだろうが、どっちみち、クライアントはおれの報告と請求を呑み込むしかない。それが契約条件だからな。工房街ドレッドノートの噂は恐ろしいものだが、契約条件そのものが噂に影響されない内容であれば怖いものは何もない。
工房街ドレッドノートは噂が好きな街で、噂はあっという間に街全体に広まる。特に新規旅行者の噂は最高のタネだ。その新規旅行者は地獄を味わうだろう。街のみんなが敵に回るということだ。もちろん、直接的な攻撃は加えないが――例えば、ホテルだ。新規旅行者がそのホテルの605号室で泊まったら、そいつらが街を出ていくことを断念するまで、誰かによって605号室のドアには鍵がかかるのだ。いつの間にか窓も閉鎖される。鍵をかけて窓を閉鎖したその誰かとは、ホテルのオーナー、掃除係、隣の部屋の客、あるいは、ホームレスか、はたまたタクシー運転手か……犯人は誰でもいいし、永久にわからない。ルームサービスは来ない。電話も通じない。叫んでも誰も答えてくれやしない。結局、新規旅行者は街を出ていくことを諦め、工房街ドレッドノートの一部となる。人を喰らうという工房街ドレッドノートの悪名はこうやって出来上がるのだ。
そんなドレッドノートには名物ネズミ狩りがある。指名手配犯が公式的に誰かに追われるようになったら、その追う側は必死になって追うことはない。優雅にブランチを食べて、紅茶一杯の余裕を楽しめばいい。そうしている間にも指名手配犯は自動的にピンチに追い込まれていく。追う側には全ての情報が勝手に揃うのだ。街のみんなが『お小遣い』目当てで追う側に協力してくれるからである。
それなのに、おれはいま珍妙なネズミ狩りをさせられている。ネズミ共はピンチに追い込まれてもいないし、追う側であるおれに情報も揃わない。まさか、『寿』の人望ってヤツか?結局、おれは必死になってネズミ共を追うことにした。
そのネズミ共は賞金稼ぎを騙り、保安警備の名目で決戦教団記念博物館に潜り込んだら、その最深部に眠る重要展示物を盗み出したとか。これは決戦教団の永き歴史上でも前代未聞の出来事らしく、見せしめが必要だってことで、おれが雇われたわけだ。おれは決戦教団所属の便利屋でも何でもない、ただのフリーの掃除屋にすぎんが……勝手に葬り屋と勘違いして依頼してきたのだ。なにやら、『犯罪者という名のゴミを掃除する』とか言う暗喩にでも思ったのだろうか。国家機関という連中はこういう使い勝手のいい犬っころが好きらしい。犬畜生のことは同じ犬畜生がよくわかるってことか。
それじゃ、探偵事務所レーヴは『寿』の損害賠償その4軒目にしよう。
瞑想するかのように集中を始め、力を溜めたら、脳の奥からおれによく似ていてどこか違う姿の悪魔が浮かび上がり、やがて、おれと同化する。その気になったら、こいつだけ戦わせる事も可能だが……今は同化させて、おれのパワーを上げるだけでいい。何も、アーキタイプやキノタイプ、そして、それらを使う時に、脳の奥から浮かんで来るこの悪魔は、みんな『摂理』とかいう物からの恩恵らしい。どっちみち……おれにはよくわからないし、興味もない。おれのアーキタイプの餌食になってグチャグチャにされた看板が楽しみだ。
「死ぬなよ?生け捕りという命令だ。――行くぞ!|カイオト・ハ・カドッシュ《Chayot Ha Kodesh》!!!」
超一点集中の正拳突きが炸裂すると、轟音と共に目の前にあった建物がふっ飛び、やがて建物は粒子状になって地面に降り注ぐ。そして、おれの期待通りに看板も落ちてくる。その看板は風圧で飛ばされただけなので、グチャグチャになるぐらいで済んでいる。だからこそ芸術性に富むわけだが。
――ん??看板の下に光るものは何だ?
「ああ。最近流行りのファッションブランドであるStrayなんとかのキーホルダーか。何で猟犬の絵がロゴなのだ?よくわからないし、くだらん……」
キーホルダーを踏みにじり、踵を返して歩き出したおれは、一度だけ後ろを確認し、改めて理解する。『探偵事務所レーヴ』をわかりやすい物に変えてやったことを。
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