第2話:工房街の恐怖あるいは神秘 (Fear and Arcane in Dreadnought)・レーヴ編
人間という生物は不思議なもので、高度な社会と高度な知識が整ったら、出産率がガタ落ちするらしい。それはこの工房街ドレッドノートにも当てはまるという発表もあったっけ。ただし、その逆は出産率が伸びに伸びる傾向があるとか。僕にはこの統計の正確な理屈はわからないが、僕の浅はかな推測だと、『高度な社会や高度な知識という物理的-精神的インフラが整った事による暮らしやすさは、そのまま生物としての生存本能や生殖本能に影響し、せがれを必要としなくなる現象なのでは?』という結論に至った。
「せがれ――か。僕には縁のない話だな。生まれてこの方一人ぼっちだし、女子に告白なんてしたこともないし……」
もちろん、社会学者でもなければ、学生ですらない僕の個人的な研究や思索は世の中に何の足しにもならないし、当の僕もそれをしっかり認識している。しかし、人を喰らうという恐怖と神秘の工房街ドレッドノートの一員として、この街に対する理解を深めたいと思うのは不自然では無いはず。そう、僕はこの吹き溜まりの存在意義が知りたい。
道行く人にいくら聞いても工房街ドレッドノートに郷土愛を持ったりするのはおかしいと言う。せめて、『普通ですー』程度に評価する者すら誰一人として居ない。その割には、この街に改革をもたらそうという指導層はいないし、革命を画策する政治経済勢力も存在しない。誰もが驚くほどにこの街を悪く言いながら、驚くほどにこの街を維持しようとする。
( 言うなれば、嫌いになれないってのが、工房街ドレッドノートの魅力なんじゃないかな?だって、この街には、無いもの以外は全部あるんだから )
世にも陳腐な独り言をつぶやいてみたりして。しかし、この街にはこの街の長所がある。あくまでもオブラートに包めば……の話だけど。まぁ、短所が大きすぎるから、長所なんて見えないんだろうな。工房街ドレッドノートは典型的な犯罪と快楽にまみれたメトロポリスだ。いくら取り繕うとも、膿が漏れ出る。
そんな、腐りきった工房街ドレッドノートの日常は殺伐としている。空高くそびえ立つ摩天楼郡を背景とし、極東風美人の踊るホログラムは夜な夜な炭酸飲料の宣伝に映し出される。極東風美人の踊りが炭酸飲料|キッカス・クーラー《KICKASS COOLER》の宣伝に一体どんな関係があるのかは誰も説明できないけど、宣伝効果だけは抜群なのだろうか、昼夜鳴り止まない銃声から逃げ惑う逃亡者達の手にはいつもキッカス・クーラーが握られている。例え、流れ弾が逃亡者達の太ももを掠って血が出ようとも、逃亡者達はキッカス・クーラーだけは離さない。逃げて逃げて息切れが激しくなったときに迅速にコンディションを整えるため、キッカス・クーラーは肌身離さず逃げ惑うのがセオリーだとか。足を止めれば即刻ハチの巣にされるから当然な風習だと言えるだろう。まぁ、誰だって体が風穴だらけのまま永遠に生きていきたくはないというわけ。だから、その逃亡者達がキッカス・クーラーを手放す時は決まっていつも――
僕の目の前に現れて飲み干したキッカス・クーラーの空き缶を投げてくるときなのだ……って、そんなことあるか!
「ク――!!いつもキッカス・クーラーは美味えわ!そこのガキ!空き缶あげるから、ちょっと俺たち匿ってくれねえか!?沈黙を以て肯定の念を示したまえ!」
「もちろん、あたしたち何もやましい事はしてないから、安心していいぞ!?」
そして、彼らは玄関前のベンチに座ってくつろいでいた僕に無理な申し出をぶつけてきて返事も待たず勝手に僕の自宅兼職場『探偵事務所レーヴ』に入って行くのだった……
それを他人事のように見届け、何の感想も浮かんでこない自分の感覚のズレ加減にはほとほと感心するものがある。あの人達は見慣れない顔だし、きっと新規旅行者なのだろう。工房街ドレッドノートでの立ち回りをわきまえず、好き勝手やってくれたら3日も経たないうちにあんな事になるのが、工房街ドレッドノートの恐怖あるいは神秘ではないだろうか。とにかく、誰に追われているかは知らないけど、このままだとベンチに座っている僕からまず追跡者に狙われるだろう。とんだ面倒ごとに巻き込まれてしまったようだが……仕方がない。こうなったからには、とことん付き合うしか無いな。
僕はさっきパスされた空き缶の裏に、ただでもう一缶くれる『当たり』のロゴである『道に迷ったわんこ君』が刻まれているのを見て苦笑いをこぼした。このがめつい街のどこで交換してもらえっていうの?僕はため息交じりに空き缶を捨てて玄関のドアを開け、事務所に戻った。
「――――ん?あれ?これ、どうなってる……」
事務所に戻った……つもりが、気づけば、ドアを背にして、『ベンチのある玄関前』に立っている。狐につままれたのか、僕はどうなっているのか理解しようと、いつもの癖が出てしまう。両手の人差し指で左右のこめかみをぐいぐい押しながら考える癖だ。考えるんだ、レーヴ。ドアを背にして目の前に広がる光景が『ベンチのある玄関前』なら、『僕が事務所の中から外へ出かけた』という事になる。だから、そのまま後ずさりしたら、きっと事務所の中に戻るはずだ。僕は、ゆっくり後ずさりを始めた。
( ――後ずさりしても事務所に戻らない?ふむ。どうやら、ニルヴァーナか? いや、ただのおもちゃレベルか。これは調べる価値ありだな )
当然の理屈すら打ち砕かれ、僕は愛しの事務所に戻れないでいる。玄関のドアを開けてからを基準点にして、その中も、その外も、さっきまで僕がいた『ベンチのある玄関前』になってしまっている。僕は特注品の『ニルヴァーナ粒子探知機』を取り出し、すぐさまドアを検査してみた。
( ここには微弱ながらニルヴァーナ粒子を応用した力場がある。アーキタイプかキノタイプではないにしても、何らかの道具が人の出入りをシャットアウトしている…… )
やはり、僕の推測は正しかったな。きっと、さっきの彼らの仕業だな。
「先程の逃亡者様たち?聞こえてますよね?あなた方が今いらっしゃる場所は僕の私有地なので権利行使を……」
「バカ!早く入って来いよ!もたもたするとやられるぞ!?」
その瞬間、怒鳴り声と共に、まるで蜃気楼が晴れていくかのように玄関のドア向こうの風景が変わり始める。そしたら、中から手が伸びてきて、僕の胸ぐらをつかんで引き込んだ。そのあまりの強引さで僕はバランスを失い、盛大にすっ転んでしまう。どんな転び方をしてしまったら、胸ポケットに入れてあった名刺までもポケットから漏れて周囲に舞い散るのか……
「俺のトリックアイテムに驚いたか、ガキ?ははっ!泣くことはないだろうに……」
無様に転ぶ僕の後ろから小馬鹿にしたような笑い声が聞こえる。誰も泣いてなんか無いんだが。まぁ、その声に悪意が無いのは伝わってきたのでそんなに怒る気にならない。正確には僕はとっくに興ざめしていて、別に何をされようが、どうでも良くなっているだけなのだ。たとえ、盛大にすっ転んでしまったとしてもな。そんな僕の目の前にはスタンドミラーがあったので、床に突っ伏したままの虚しい目でそれを眺めてみる――
ぱっと見るからに18歳。薄いネイビー色のオールバック髪型。両眼の瞳は緑色。全体的にヒョロガリな体型。今朝着替えた胸ポケット付きのちょっと派手めなパーカー。どこからどう見てもこの探偵事務所レーヴの所長こと僕、『レーヴ』である。
先程のつまらないトリックアイテムの件で僕はますます冷めてきたから、何のリアクションもせず、ごく普通の話をすることにした。
「あなた方、もしかしたら、依頼ですか?」
スタンドミラーに映る風景の奥に見える二人の脚に向かってそう言い放ち、僕は少しだけ身を起こし、体育座りに姿勢を変えた。そしたら、一人が僕のとこまで歩いてきて、床に散り散りになった名刺を1つ拾いながら淡々と答える。
「ほう……探偵事務所レーヴか。こりゃいい。じゃあ、正式に依頼するぜ。依頼内容は俺たちの保護及び濡れ衣の調査。そして、俺たちの名は――」
「そっちのサル顔が賞金稼ぎ……いや、今は賞金首のカムイ・コトブキ。あたしは彼の助手ヤチコ・レイゲンさ。よろしく頼むぞ」
その瞬間、間近で耳が裂けるんじゃないかってぐらいの爆発音が鳴り、僕たちは気を失った。いや、僕だけかも。
聖エデン世紀1160年7月21日08時03分
探偵事務所レーヴ、壊滅
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