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花言葉は、「また会う日を楽しみに」

少し血の表現有ります。苦手な方はご注意下さい。


「呼んだ!?呼んだよね!?オレのこと呼んでくれたよね!?うっわーー!!やったやったー!!まさかオレを呼び出してくれるなんて!!これは正に愛の成せる技だよね!?えへへ!」


「――、」


目の前に見知らぬ少年が立っていた。

年齢は10代前半ごろ。薄い長そでのシャツ一枚に短めの半ズボン、という防御力のなさそうな布を纏った彼は、シミ一つない白磁の肌と庇護欲を誘うか細い体躯を惜しげもなく晒して、全身で歓喜を表すように飛び跳ねている。

短く切りそろえられた限りなく黒に近い暗緑色の髪が、身体の動きに合わせてピョンピョンと浮き沈みを繰り返していた。

同時に何やら色々と言葉を紡いでいたが、…早口過ぎてまともに理解が出来そうにない。


え、誰?

何時の間にここに?


聞こうとして、口が何かで塞がれており声を発することが出来ない現状を察する。

それと時間を置かず、自身の身体が何らかの拘束具によって雁字搦めに磔にされているらしいことにも気付いた。

唯一自由な目で周囲の様子を確認すると、チカチカと点滅を繰り返す明かりが頭上に一つだけ瞬く、金属で囲まれた独房のような狭い室内。


――どういうわけか、全く見覚えがなかった。


おっと?目の前の少年が何者か聞く前に、自分の置かれた状況さえも全く理解できないぞ??

そもそも自分が誰なのかすら分からないんだけど?

え?僕の方が誰?ここ、何??


整列も何も無く一気に押し寄せてきた情報に頭を混乱させていると、ひと段落ついた歓喜の舞に少しだけ息を乱した様子の少年が、そんな僕に不思議そうに近寄る。


「センセイ?」


くりりと大きな黒目はまるで愛玩動物を思わせるような可愛さを持っていた。

彼自身もそれを理解しているように、折れそうな程細いその首を愛らしくコテンと傾げて見せる。


『センセイ』、とは僕を指す呼び名だろうか?

『センセイ』という名前?

それとも師事する者のことを示す『先生』という意味?

いや、呼称が何であれ、まずはこの拘束具を外さないことにはまともに話も出来ない。


ダメ元で出来る限り身体を動かそうと試みるが、硬質なベルトや太い鎖、その他諸々のよくわからないものに全身がガチリと覆われている現状では自由に身動きを取ることも至難の業である。

結局僕は無様に少し揺れただけだった。


そんな僕を終始きょとんとした顔で見つめていた少年は、次いで、何で拘束具(それ)外さないの?とでも言うように問いかけてくる。


「センセイどしたの?具合悪い?」

「――、」


体調は良くも悪くもなく普通の中の普通ではあったのだが、彼の問いを肯定するように(首は動かないので)身体を出来る限り揺らす。蓑虫もかくやといった動きである。


どこかに都合良く、僕の拘束を解くボタンとかないだろうか。その自由な手足で室内を探してくれると嬉しいんだけど。


「そっかそっか!具合悪いならこれ外せないのも仕方ないよね!だって具合悪いんだもんね!でもオレはいつでも健康だから大丈夫だよ!センセイが具合悪くてもオレが何でもできるからね!センセイがそうしてくれたんだもんね!今自由にしてあげる!」


少年は僕の訴えを正常に察知したらしかった。

相変わらず矢継ぎ早に言葉を紡いだかと思うと、彼はふいに右手の人差し指を立ててから、軽く横に一本線を引くようにして動かす。


その不可思議な行動に、彼が『魔術師』である可能性が頭を過った、


刹那。


バキン


「――っ、」


僕の身体を拘束していたのであろう金属が、一斉にばらばらと仲良く砕けて床を彩った。

固定されていた身体が急に解放されるという予期しなかった出来事に、支えも無く、何の準備も出来ていない肉体が重力に任せたまま前に傾く。

しかしその身体は無様に床に打ち伏されること無く、ふわりと何かの力ーー間違いなく『魔術』によるそれに勢いを殺されてから、目の前の少年の胸に優しく抱き留められた。


――『魔術』とは、体内の魔力を使用する行為の中で、この世のあらゆる法則や原理に基づいて行使されるものの総称だ。平たく言えば、『根拠が説明できる不思議パワー』というやつである。魔術適性に関しては血統や才能なんかが重視されるらしいが……、

感覚的に分かる、僕は魔術を使えない。

だって、魔術って色々小難しすぎる……。


「セ、センセぇ~~!!自らオレのところに飛び込んでくるってことはもうこれは相思相愛だよね?オレはセンセイが大好きでセンセイもオレのことをこの世界の誰よりも何よりも一番に愛してるんだってそう認識していいんだよね?だってオレを選んでくれて身を預けてくれるんだもんね?ああ嬉しいな嬉しいな!ねえ式はいつにしよっか?あっ犬畜生は呼ばなくていいよね?」

「――ま、っ、」


久々に…、いや自分が最後に声を発したのがいつなのかも記憶には無いが、恐らく久しぶりなのだろう。

まともな音にはならなかった言葉を引っ込め、引きつれた喉を唾液で潤して、咳ばらいをして、しかしそれでもまだ掠れの残る声で僕は少年に言った。


「……、ごめん、もう少しゆっくり言って欲しい。 聞きとれない」

「ああっそうだよね随分久しぶりだもんね!オレ興奮しちゃってごめんねセン、

…ごめんね、センセイ。 これでいい?」


僕を地面に座らせ、その前で姿勢よく正座した少年は、口調をゆっくりした速度に変えてくれてからしおらしくこちらを窺う。

確認するようなそれに「ありがとう」と礼を返し、笑いかけようとして…、頬の筋肉が引きつる感覚を覚えた。


…今ちゃんと笑えたかな?子供に怖がられたくはないんだけど…。

そう思いつつチラリと少年を見やるが、彼は最初からそれほど変わらず機嫌良さそうにしている。

よ、良かった。問題ないみたい。


ほっと息を付いたついでに、僕は少年に問う。

気になっていることも、教えて欲しいことも、両手では数え切れないくらいにあったが、まずは――、


「…その、センセイっていうのは、僕のこと?」

「うん? そうだよ」

「先生、って意味?」

「…ああ、固有名詞か敬称かってこと? 勿論敬称だよ、ジン先生! …あ、もしかして、オレに名前呼んで欲しかったの? 可愛いなあもう!!」


少年はそう言うと、感極まった風に僕の腹に飛び込んで頬を擦りつけ始める。

僕が身に纏っていたのは、膝下ぐらいまで長く丈がある、簡素で着ぬぎしやすそうな上衣一枚だけであった。何となく主に下半身に並々ならぬ解放感がある気がするがそれは考えないようにしようそうしよう。

一見その布は白く清潔そうに見えたが、こんなところに拘束されていた僕の服だ。どのくらい洗われていないかわからないし、臭いとか思われたらショックだし、などとネガティブなことを考えて僕は少年を引きはがそうと伸ばした腕に力を入れる。

しかし、少年を押し退けるよりも前に、その時目に入った少年と同程度に細い己の腕を見て驚愕に目を見開いた。


いや細っっ!!


手の平の大きさ的に成年を過ぎていることは想像に安いが、それにしては病的なほどの細さだった。

視認できる皮膚に目立った皺が無い事や、体躯の感覚から、年老いた末の栄養不足というわけでもなさそうなのだが…。


何!?ちゃんと栄養とりなさいよ僕!!


実際に少年の頭を押し退けようとしてみたところ、僕は力の入らない細腕に地味にショックを受け、早々に無駄な抵抗を辞める。

そうして、少年を好きにさせる他なくなった僕は、現実逃避をするかのように先ほど彼が発した言葉を反芻し始めるのだった。


彼の人違いでなければ、僕の名は『ジン』で、なんと彼に師事する人間であるらしい。

…そ、想像が全くできない!僕、誰かに何かを教えられるような人間なんだろうか。……まさか魔術の、――なわけないだろうしな…。


何も覚えていない僕からしてみれば酷く現実味に欠けた情報に首をひねっていると、下方からまんまるの瞳をジッと向けられていることに気付く。

視線を合わせようと下を向いた僕の目は、しかし少年の大きなそれを捕まえることは出来なかった。


彼が見ていたのは、どうやら僕の目や顔ではなく、


「髪の毛、短くなったんだね」

「髪──?」


不意に顔の横に伸びてきた指が、視界の端をチラついていたものを優しく掬う。

それは、細い彼の指の隙間から零れるように滑り落ちると、僕の眼前にはらりと垂れて姿を主張してきた。

艶なくパサついた髪は、一部は長く、また一部は短く、お世辞にも統一性を持って整えられているとは言えない状態だ。


そして何より、その色。

色素の抜け落ち切ったそれは、正しく老化の進行とともに増えていく──、


「し、白髪(しらが)っっ!!?」


「長いのも好きだったけど短いのも似合うね! カッコいい~!」

「……、かっ……カッコいい? ……そ、そう??」


自身の頭髪が、若くして(?)老人のような白色だったことに衝撃を受けたが、直後素直に褒められ、満更でもない気持ちにさせられる。

……似合ってるなら、いいか。


「そういえば、君はここに一人で来たの? 親御さんは居る? …ここにいた僕が言うのも何だけど、多分君みたいな子供がいて良いような場所じゃないよ。 早く元居たところに戻った方が良いと思うけど、」

「――、あー、また忘れさせられちゃったんだ。 センセイ」


腹部からこちらに大きな目を向けて、やけにあっさりと告げられた子供の言葉に、僕は意図せずポカンと間抜け面を晒してしまった。


忘れさせられた?

また、って何だ?前にもこんなことがあったのか?

この子は、何を知っている?


更に質量を増していく疑問と、決して自身だけでは解決することのない思考にしばし茫然としている間に、少年が続ける。


「折角前に呼ばれた時、オレのことたっくさん教えたのになー! 身体の黒子の位置まで一緒に確認しあった仲なのにー!」

「ほ、ほくろ?」

「センセイのも全部覚えてるよ? えっとね、左手の小指の第一関節でしょ、右手の甲に1つと、両腕にそれぞれ2つ、背中の右の肩甲骨に1つ、これ、オレはちょっとエロいと思ってるやつね。 あと、」

「ちょいちょいちょい!!!」

「む、疑ってる? オレ結構頭の出来いいんだよ? ホントに全部覚えてるよ?」

「わかった、わかったから、疑ってないから! それより自分のヤバさに怯えてるところだから!!」


指折り数える少年を黙らせ、僕は背を丸めて頭を抱えた。


何!?身体の黒子を確認しあうって何!?

過去の僕、こんなまだ体も出来上がっていないような少年に一体どんな無体を敷いて!?

も、もしかして本当は口にするのも憚られるような淫行を犯してここに閉じ込められてるんじゃないか…?あ、そんな気がしてきた!!だから拘束されていたんだろ!?そうなんだろ!?

こっ怖い!!何をしでかしたか分からない過去の自分が何よりも怖い!!



「いいよ? 何度だってオレとセンセイのこと話してあげる。 何にも苦じゃないよ?」


少年は、苦悶に満ちた唸り声を漏らす僕を面白そうに眺めた後、おもむろに立ち上がり、両腕を左右目いっぱいに大きく広げる。


その軽やかな腕の動きに合わせて、何も無かった周囲に、パンパンッ!と華やかな色の火花と紙吹雪が舞った。


「オレの名前はエルマ! センセイが(いっっち)番可愛がってた使い魔です! 今日は直々にセンセイにご指名されちゃいました! 嬉しい!」


チカチカ瞬く、何かのお祝いのような賑やかな視界の中、

晴れやかに笑う少年――エルマに呆気に取られながら、僕は言われた言葉をぎこちなく繰り返す。


「使い、魔」

「あ、使い魔ってわかる?」

「う、うん、」

「じゃあ前と同じだ! 元ある知識なんかの意味記憶はそのままで、経験の記憶だけがまるっと抜け落ちてるんだね! 大丈夫大丈夫! そんなセンセイも新鮮って感じ! もっと好きになっちゃう!」


エルマはまたも僕に抱き着いて来て、心臓の音を聞くみたいに胸に耳をつけてうっとりと目を閉じた。

僕からしてみたら初対面なのにも拘らず、妙にこちらに好意的で終始明るくテンションが高い彼に、何だか毒気が抜かれてしまう。

通常であれば、もっと沢山悩んで、色々不安に感じるところなんだろうけど、

この少年に心から大丈夫と明るく笑い飛ばされると、多分本当は全然大丈夫じゃなくても、ふっ、と同じように笑い飛ばしたくなってしまう。

不思議な気分だ。


それにしてもこのエルマ、先ほど自分のことを使い魔と言い切ったけど、


「使い魔、って、魔術師が契約の元従える動物とか、精霊とかのことだよな? ……流石に人間は、使い魔にはなれないんじゃ……、というか、その場合僕が魔術師ってことに…?」


僕の頼りない記憶の中では、使い魔はあくまで知能の低い、そして自分よりも弱い生物というイメージだ。

それでさえ、契約でいうことを聞いてもらうことに苦労するらしいし、一歩間違えれば寝首を掻かれるっていうのに、自我も知性も理性もある人間なんて契約で制御しようと思う方が無謀だ。

倫理的な問題もあるし……、

うん。たとえ魔術を使えたのだとしても、今の僕だったら絶対やろうとは思わないな。常識死んでたのかな、前の僕。本当に怖い。


僕が自身への不信感を高めている最中、僕の骨と皮だけで出来た胸板にしな垂れかかっていたエルマが、

ニコリと、愛らしく口角を上げて言った。


「――人間に見える?」

「え?」


エルマは僕の胸に凭れたまま、一瞬で彼自身の手中に小型のナイフを出現させて、まるで果物でも切る様な動きで、


自身の首を深く掻ききった。


直後、彼の背に添えていただけの腕が質量を増し、力の抜けた小さな身体を実感させられる。


「―――っな、にを、 エルマ!!!」


余りにも自然な動きで行われた不自然な出来事に、僕は詰まった呼吸と思考を無理矢理揺り起こして、止血のため、まだナイフが刺さったままの彼の細い首筋に手を伸ばしギュッと抑える。

その手が小刻みに震えているのがわかった。

力が入らない様子が情けなくて歯を食いしばる。

心臓がドクドクとあり得ないくらい早く律動して、今にも身体から飛び出してきそうだった。


人が目の前で死ぬところなんて、今の僕は経験したはずもないし、こうなるのも当然だろ。

いやきっと、経験していたとしても、さっきまでニコニコ明るく笑っていた少年がこと切れる瞬間なんて絶対に見たくないに決まってる!


ナイフは、抜かない方が良いんだったっけ。どうだったっけ。

ここがどんな場所なのかわからないけど、周囲に人はいるんだろうか。

助けを呼んだら誰か来てくれる?


焦りにごちゃごちゃと渦巻く思考を遮ったのは、この数分で聞き慣れてしまった、声変わり前の透き通るソプラノ声だ。


「センセイ、ジン先生? …えっと、大丈夫だよ?」

「―――は、」


眼下で、僕の頭の中では瀕死寸前であるはずのエルマは、首にナイフを刺したまま気まずそうにはにかんでいた。


「え、お、だって、首っ、」

「ごめんなさい、まさかあんなに焦るとは思わなくて…、意地悪し過ぎちゃった」


わけがわからず、震える指で首を指し示す僕をよそに、エルマは反省した様子でしょんぼりと頭を垂れる。

同時に結構雑な動きで首元のナイフを抜き取った。


「ちょ、そんなことしたら血が!!」

「出ないよ? センセイ、血嫌いだもんね」

「え、あ、あれ?」


混乱のまま、僕は咄嗟に刺し傷を抑えるため手を伸ばしたが、苦痛の欠片も見えないエルマの発言を聞き、少しだけ冷静さを取り戻す。


そうして改めて確認すると、エルマの首にも、僕の手にも、血液など一切付着してはいなかった。


止血しようと思っていた時は、酷く焦っていたのもあるが、時間差でドバっと吹き出してくるんじゃないかと無意識に構えていたから特に血が見えないことを疑問視してはいなかった。

しかし、流石にこれだけ時間が経っても、しかも首に深く刺さっていたナイフにも血液が付いていないとなるといよいよ変だ。

いや、まず首を刺したのにエルマがピンピンしていること自体がおかしいんだけどさ。


「ご、ごめんね、センセイ? 嫌いにならないで? お願い。 ね? センセイ、センセイ、ごめんなさい」


エルマは、呆然とする僕に何を思ったのか、段々と焦りに歪んでいく顔で僕にしがみつき許しを請おうとしてくる。

ひとまずはその元気そうな様子に、僕は盛大な安堵から身体の力を抜いて、

次の瞬間、自身の枯れ木のような腕に出来る限り力を込め、エルマの頭に拳を落とした。


コツ、と小さな音が鳴る。

流石枯れ木腕。威力は皆無だ。寧ろ僕の手の方がダメージを負っている可能性もある。痛い。


「……二度とするな!」

「は、はい! ……センセイ、怒ってますか?」

「…怒ってないように見える?」

「み、見えません! …オレのこと、きら、嫌いに、なりましたか?」


下がりきった眉と、徐々に水の膜が張られていく弱弱しい黒目を向けられて、僕は はあーーー、と肺の中の空気を全て出し切るかの如く長い息を吐いた。

エルマはそれにビクリと肩を揺らしたが、このため息は彼が思うような悪い感情のものではない。

そうでもして時間を稼がないと、すぐにでもその涙を拭って「全然怒ってないよ~~!!」なんて思い切り甘やかしてしまいそうな、そんな僕の庇護欲を自制するためのものであった。


「――嫌いにならないよ。 …説明してくれ」


「……、うん…!」


エルマは、心底安心したように表情を綻ばせて、再びコテンと僕の身体に身を預ける。

スンと鼻を鳴らしながら、瞳に溜まっていた涙を自分の指で払ってはにかむ健気な姿に、あるはずのない母性のようなものを感じた気がした。




「ーーえっとつまり、エルマは元奴隷で、死にかけているところを僕が助けて、でも呪いとか諸々で人のままじゃ死にかけのエルマを救うのは無理だったから、何やかんやで君を動ける死体にしちゃったと。 ……僕が」

「ジン先生が。

あ、でも死にかけたのはセンセイがオレを奴隷じゃなくしてくれた後のことだからね! センセイを殺しに来た命知らずな奴らを根絶やしにする途中だったオレが、センセイにどうしてもって頼んだんだよ!」

「何から何まで物騒」

「生きてる時はそこそこだった魔力も身体の許容量限界まで保有できるようになったから、魔術もバンバン使えるようになったし、センセイとずっと一緒に居られるし、いいことづくめなんだよー! ありがとうねセンセ~~!!」

「……良い事…なのか?」


動ける死体にするって何?

何してんの過去の僕?

というか何でそんなこと出来ちゃってんの過去の僕。

驚きや呆れから、僕が間の抜けた顔を晒したまま動かないのを良い事に、僕の胡坐の上に座っているエルマが甘えるように首元にすり寄ってきた。

そういえばエルマの首の傷はどうなったんだ?と思って、片手で彼の顎を持ち上げると、くすぐったそうに「もう治ったよー!」と笑われる。

……どうなってんだ?


僕が元人間のエルマを不死者に出来たってことは、多分そうでなくする方法も知ってるはずで。端的に言うと、エルマの生殺与奪は僕が握ってるってわけだ。

命を支配することで、言うことを聞かせることが出来てる状態なのか?それか、エルマを人外にしたその時に、僕に好意を向けさせる細工でもしたのだろうか。

あ、あり得る。明らかに懐かれ方が異常だし……。

無理、嫌だ。この嬉しそうなエルマの感情は実は僕の細工のせいで、本当はバチクソに嫌われてました、とかだったら本当に辛い。出会って数十分ですけど。ああ、過去の僕怖い。


恐る恐る、薄目でエルマを見やると、彼は首を傾げて、恋する乙女のような蕩ける微笑を向けてきた。



…………何か、もういいか。悪い気分じゃないし。可愛いし。



僕は詮無い思考を全て放り投げ、エルマの小さな頭を丁寧に撫でる。

既に己が毒されかけていることには、全く気づけないでいた。



――それにしても、と。

僕は、頭を撫でていた手をエルマの首、頸動脈があるあたりにまでつたわせながら、つい先ほど思い至ったことを口にする。


「血が通ってなかったから、ちょっと冷たかったんだな」


子供は総じて体温が高いものだと思っていたから、最初に肌に触れられた時、思ったよりひやりと冷たかったことが印象に残っていた。通常ならドクンドクンと脈打っているはずの細い首に指を当てるが、そこに血液の流れは感じられない。ただひやりと、滑らかな肉があるだけだった。


「冷たいの、嫌い? 気持ち悪い?」

「ーーいや、これだったら暑い日にくっつかれても鬱陶しくないな」


静かに問いかけてくるエルマに、思ったことを率直に答えると、彼はしばしきょとんと眼を瞬かせてから、その後、少しだけ何かを耐えるように口元をムズリと震わせて――。


「…~~~っっ好きぃ!!」

「いでででで!! 力強っっ!!」


背中に回されたエルマの腕は、見た目の華奢さに似合わず「背骨折る気ですか?」と言いたいくらい力強く僕を締め上げてくる。

しかし、僕の身体に嬉しそうに顔を埋める子供を無下にすることも出来ず、僕は貧弱に違いない自身の骨たちの無事をただただ祈った。





「で、そんな僕は何だってこんなところに居るわけ? 何か犯罪犯した?」


興奮がやっと落ち着いたらしいエルマを相変わらず足の上に座らせたまま、現状について彼に質問をする。

犯罪の例をあげたのは、室内の印象による影響が大きかった。

外が確認できるような窓はなく、出入り口は明確に誰かを閉じ込めるために造られた金属の扉が一つだけ。固く閉ざされたそれと、一切物が置かれていない薄暗い部屋に、真っ先に連想されるのは罪を犯した者を拘禁する牢屋である。

しかし、用を足す場も置かれていないここはともすれば牢屋より劣悪なんじゃないか?

いや本当に、催したらどうしてたの過去の僕。


「オレはともかく、センセイが犯罪なんか犯すわけないよ! オレはともかく! …でもそんなセンセイも好き!」

「二回言った…。 何かな、じゃあエルマの監督不行き届きとかかな…」

「――ってそうだった!! センセイが好きすぎて忘れる所だった!! オレ此処に来たらやることあったんだよ!」

「ここ何も無いけど。 ろくな飲み物も出せず申し訳ない」

「何自分の家みたいに言ってるの! そうじゃなくて、ここから出るの!」


慌てた風に立ち上がったエルマは、唯一の出入り口だろう場所を指さして、意気揚々とそう告げる。


「え、出られるの?」

「出られるよ? 前も一緒に出たし!」


じゃあ何故、まだ僕はここで捕まってたのかってことには見ないふりをして、と。


「やることって?」

「んーっとね、」


扉にてててっと近付くエルマの背へ問いかけると、彼はその小振りな手を金属のそれにぺたりとくっつけて、僕の方を振り返って微笑む。

そうして、


「殲滅!」


「――え、」


エルマが言い放ったその言葉を正しく理解する前に、身体に感じたのは強い衝撃。

それは、かの少年の手を起点として行使された魔術により、金属の重厚な扉が粉微塵にされた結果もたらされたものだった。


エルマはニコリと屈託なく笑って、今方扉を粉砕して見せた手の平を、座り込んだままの僕へと差し出す。


伸ばされたそれを拒む気持ちは、一切沸き起こらなかった。




『外』――概念上は屋内だが、僕の元居た場所を内と仮定して敢えてここは外と示す――は、何やら小綺麗な施設のような場所だった。

エルマに手を引かれるがまま、ぎこちない動きになってしまう力の入らない脚を一生懸命動かして、白い壁を伝う。

途中、見慣れない施設への興味本位から首と視線を忙しなく動かしていた僕だったが、その視線の先々でエルマが破壊活動に勤しむものだから、何とも言えない気持ちになっていた。


一応僕達が通った後の通路や、進む予定の無い場所を破壊しているようだから、歩きにくくなることは無いんだけど…。


初っ端に、僕が居たあの一室をドカンと一発で破壊された時は「え?何で壊した?」と反射で聞いてしまった。

実は少し愛着を持ち始めていたのと、どうせ後で戻ることになるだろう場所だと思っていた故の純粋な驚きだったのだが、エルマからは逆に「え?」と訳の分からない人を見るような視線を向けられた。

正直少し心に刺さった。


それからというもの、エルマはどこか楽しそうに「おらおらー!ブッ潰れろー!」と彼曰く有り余る魔力による攻撃魔術でこの施設を破壊しまくっている。

大丈夫かなこれ。偉い人に怒られない?エルマ、ストレス溜まってんのかな?物は大切にしなさいね。

またあの、心底疑問ですといわんばかりの無垢な目を返されるだけだろうから、何も言いませんけど…。


そんなことを思って静観していると、白いだけの通路を曲がったその先に、初めて僕とエルマ以外の人の姿を認識することが出来た。

ざっと10人ぐらいは居るだろうか。性別もわからない、白い防護服に包まれたその人達は、武器だと思われる何か細長いものを一様にこちらに向けている。

咄嗟に、(あ、やっぱり僕達以外にも人がいたんだ)と、場にそぐわないであろう気の抜けた感想を僕が抱いた瞬間、前で引率してくれていたエルマが歩みを止めた。

少年の急な静止に、僕は踏み出そうとした足を咄嗟に引っ込め、情けなくよろよろと奇怪な足踏みをする。エルマは、繋がれていた片手を優しく引いて僕を支えると同時、空いている反対側の手で人が居る前方へとまっすぐ指を伸ばした。

手の平を上にして指し向けられた人差し指が、次いで、クイッ、と最小限の動きで天井に向けられる。


その小さな動きがもたらした被害は、どう控えめに言っても小さく済むものではなかった。


ドゴン!!と、荒々しい音が鼓膜を叩いた直後、今の今まで視線の先に映っていた白く綺麗な壁は、床は、ある場所を境にして総じて瓦礫の山と化す。

まるで、数歩先に別の空間を切り取って張り付けたような現実味の無い光景に、咄嗟に理解が追いつかなかった。


「通れなくなっちゃったね。 こっちから行こう、センセイ!」


エルマは、何でも無いことのように、別方向の綺麗な通路を指して笑った。

僕はそんなエルマのことを言葉も無く見つめてから、誘導しようとする彼の手を離して、今まで進もうとしていた方へ、瓦礫が降り積もる方へと足を向ける。


「…センセイ?」


エルマが焦った風に、ゆっくりと進む僕を速足で追いかけてきた。

僕は瓦礫の中に埋まりきってなかった、赤く赤く濡れた腕を見て、動きを止める。

僕の隣でウロチョロしていたエルマは、同じく視界に入っただろうそれに対して、まるで汚物でも見るかのように表情を歪めた。


「全部沈めたつもりだったのに……。 ごめんねセンセイ。 汚いよね。 すぐ消すから、」


そう言って、もう動かないその腕に何かをしようとエルマが伸ばしかけた手を、僕が上から制止する。

触れてくれて嬉しい!とでも言うように、一瞬でパアッと顔を歓喜に染めたエルマが腕の力を抜いた。

それを確認したと同時、僕は掴んでいた彼の手を解放して、そのまま瓦礫の前で膝を付く。


無言で、腕と、それに繋がった部分を埋める重石をひとつずつ退かし始めた僕に何を悟ったか、エルマは元々真っ白な肌をさらに一段青くさせた。


「……前、『外』に出た時の僕は、人を殺すことを何も言わなかった?」

「…え、っと…前は、目の前で何人か切り刻んだら、こんな事やっちゃダメだって、…言われました」


僕の問いに、ビクリと大げさに肩を揺らしたエルマは、視線を揺らめかせて逡巡しつつ、非常にたどたどしい口ぶりで答える。


「そう。 …それでエルマは、どう()()した」

「―――、」


その答えは、彼が言うまでも無く既に分かっていた。


優秀な魔術師は、総じて思考力に優れ、頭の回転が速いと言われている。それは、魔術の使用が演算能力を必須とするものであるからに他ならない。

壁の破壊ひとつにしても、その物体が崩壊するに足る臨界応力の推定、それに伴う要する力の程度、向き、力を生む範囲の座標、その他関係する要素全てを脳内で算出した後、最適な魔術を行使するのだ。

それをふまえた上で。

素人目に見ても、まるで魚が水中を泳ぐがごとく自然に、自在に、速やかに魔術を行使して見せる、優秀な魔術師に違いないエルマは、酷く明晰な頭脳を持っていると予想できた。


だからこそ、彼は恐らく、告げられた言葉の本質を理解できていたとしても、その優れた頭で言葉の穴を巧妙に掻い潜り、自分の都合の良いように物事を解釈する。

そこにはきっと、ひとつの悪意も、罪悪感もないのだろう。


『ちょ、そんなことしたら血が!!』

『出ないよ? センセイ、―――』


僕の考えを裏付けるように、エルマは正解が分かった時の子供のような、無邪気な笑みを浮かべて言った。


「センセイは血液を好まないと判断しました! その時もすぐにバラバラを元に戻したら褒めてくれました!

オレもわかるよ! だってこんな赤くて、黒くて、べちゃべちゃしたの、汚いよね! 先生を閉じ込めるやつらにいっぱい詰まった内容物だもん! 普通の動物の物よりもっともっと汚いに決まってる!! 先生もオレにはこの赤いどろどろが無いからあのニ人よりオレの事を特別気に入ってくれてるんだもんね!!

もー今度はセンセイに見えないように遠くから一気に潰したのに。 しぶとく出てくるなんて本当に気持ち悪いなあ! ごめんねセンセイ。 横着は駄目だよね。 やっぱり次からは一匹一匹肉片も残さないくらいに一瞬で塵にする!


もう血は見せないから、……嫌いにならないでください…」


早口で、ところどころまともに聞き取れなかったが、とりあえずエルマと僕の間に深い認識の齟齬があることは理解した。

でも、それを擦り合わせるのは後だ。

あたりに充満する血の匂いに、心臓がズンと重く沈む心地を覚えながら、僕はエルマへと要望を伝える。


「あの人達をすぐに元に戻して」

「え、でも、全部消したほうが、」

「早く」

「――はい! センセイがそう言うなら!」


一瞬の渋りの後、それをかき消す程の気持ちの良い返事をして見せたエルマは、瞬く間に瓦礫を消し去り、そこら中に散らばった肉片をそれぞれの身体にくっつけていった。

目を背けたくなるそれが終わると、エルマに、出来ました!と期待に輝く目で見つめられたが、ひとまずはそれをスルーし、一列に横たわらせられた人達の状態を確認する。


彼らは全員、五体満足だった。傷ついていた場所がどこかわからないくらいに、違和感なく接合されている。

肉体にも、機能性を失っている破れた防護服にも一滴として血液は付着しておらず、知らない人が見れば先の出来事など想像も出来ないくらいに、

――何とも綺麗な、取り繕われた()()()だった。


死んではいない。しかしそれも時間の問題だろう。

中身が、傷ついたままなのだ。


「元に戻せと、そう言った」


「え、ぁ、」


少々きつくなった言葉尻に、エルマは戸惑った風に瞼を震わせる。


「中身も全部。 早く」

「は、はい、」


僕の指示に、エルマは弾かれたように治癒目的のための魔術を発動させた。

時間を置かず、「できました…」と、少しの不服感を潜ませたしょんぼり顔を向けてくるエルマを視認して、再度横たわる彼らの状態を見る。

今度は、脈も、呼吸も正常なようだった。


良かった。


難が過ぎ去ったことを思って、ほう、と安堵のため息を零すと同時、元凶であり、救済者でもあるエルマの技術に、僕は素直に感心していた。

ほぼ瀕死だった十余人の人間を、短時間で全快にしたのだ。

贔屓目無しに、素晴らしい才能の持ち主であると断言できる。


……でも、それと反比例するように、扱いの難度が高すぎる!

一度目の治療時、僕があの人達の生命活動をわざわざ確認したりしなければ、エルマは僕に何も告げずあの場を立ち去っていただろう。あの時、治療が余りにあっさりしてるな、なんていうぼんやりした不安に従って良かった。

――多分『前』の僕は、その確認をしなかったんだろう。


エルマは、最初から嘘はついていない。代わりに『言わない』選択をする。

指導や注意をする時は詳細に言わないと、曲解されて取り返しのつかないことになる可能性もあるし…、これは本当に、しっかり手綱を握っていないとまずい子なのでは?

僕が拘束されていた理由、『エルマの監督不行き届き』っていうのも、あながちあり得ない話ではない気がする…。


僕は頭を痛くしながら、傍でソワソワと落ち着きなく立つエルマに向かって最終確認をする。


「僕がここから立ち去ったと同時に、体内に植え付けた何かの卵が羽化してこいつらを食い殺すとかないよな?」

「なるほど」

「なるほどじゃない! …ってことはやってないな。 いいか、人をそんなポンポン殺すなよ? ……じっくり殺しても駄目だぞ。 とにかく殺すな。 倒すなら手加減しろ。 いいな?」

「悪い奴でも?」

「誰であってもだ。 …エルマは僕が死んだらどう思う?」

「死なせません」

「いや、例え話だよ、僕でそう思うならこの人達もーって流れだよ」

「例え話でも。 センセイは死なせません」


「……それはつまり、想像するのも嫌だってことだな!?」

「いえ、オレは本当に、」

「もういいからそういうことにしておこう!! 話進まないから!! つまり、エルマがそう想ってくれてるみたいに、この世のあらゆる人達が誰かにそう想われてるわけ! だから誰かを悲しませるのはやめましょう! 言いたいのはそういう事! わかった!?」


「――わかった! じゃあ人殺さない! オレ、センセイの嫌なことしないよ! だってオレはセンセイのものだもん!

ねぇ、センセイ、オレ偉い? 偉い? 褒めてくれる?」


エルマは、輝くような笑顔で、何やら僕を犯罪者に一歩近づけてしまいそうなことを言うと、次いで全身で僕からの賛辞を求めてきた。

期待の籠った上目遣いに、一瞬躊躇って…、しかし殆ど時間を置かずに(確かに色々やらかしたけど、ちゃんと治療したし、もうやらないって言ってるし…)などと己に言い訳を連ねた僕は、

フラフラと少年の頭に吸い寄せられるように手を乗せる。


「え、偉い偉い。 ……僕のお願い守れたらもっと偉い、かな…」


えへへ、と、嬉しそうな表情で可愛らしく笑うエルマを見て、飴と鞭を10:0の比率で与える未来の自分の姿が容易に想像できてしまい、僕は密かに肩を落とした。




――それから、エルマは再び僕の手を引いて、施設を着々と破壊して回った。

一応人が向かって来た時は、魔術で作った空間に閉じ込めるような感じで傷つけずに対処していたので、褒めて褒めてと訴えてくる目線のままに僕はエルマの頭を撫で摩る。

甘やかしではない。ちゃんと言ったことを守ってくれているエルマへの正当な報酬なのだ。

僕は正気だ。


少しして、さすがに破壊活動にも飽きたのか、腕を上げて大きく伸びをしたエルマは「外の空気でも吸おっか!」と言って近くの壁をひたすら吹き飛ばしだした。

え?外?さらに外?出れるの?

堪らずエルマに食い気味に聞くと、「そだよー! 言ったじゃーん」と軽快な声が返ってくる。

あれ、これ本当に、僕あの部屋に戻る必要なくなるのでは?その考えが思考をかすめた瞬間、ボコン!と、エルマが最後の石の壁を吹き飛ばして、外が見えた。


そこは、誇張なしに、ただただ『闇』だった。


夜なのではない。

太陽が無いから暗く見えるのではない。

ただ、何も無いのだ。

物も、光さえもない、ただ闇があるだけであった。


エルマに引かれて踏み出した足元を、恐る恐る見る。

そこにも、真っ暗な闇があるだけで、地面と言えるものは存在していなかった。

僕がそこに足をつけられているのは、隣で「相変わらず陰気~」と顔を歪めるエルマが魔術で何とかしてくれているからに他ならない。

前の時もそうだったのか、物言えぬまま瞠目する僕に、エルマは慣れた様子で説明する。


「ここは異空間なんだよ。 オレ達が暮らしてた世界とは全く別のどこか。

……本当はね、今すぐにでもセンセイをここから連れ出したいんだけど、オレが居る世界からはこの場所を見つけることが出来ないんだ。


…本当に、本当にごめんね」


強い悔しさを滲ませた声がした。

エルマはやや俯いていて、その表情を見ることは出来なかったが、繋がれた片手に伝わる縋るような締め付けが、彼の胸の内を表している風に思えて仕方がなかった。


「別にいいよ?」

「軽い! 全然良くない!!」

「だ、だって覚えてないし。 痛くも痒くもないし?」

「……、」


何とかエルマを安心させようと、痩せ細ってはいるけど傷ひとつない身体を見渡して、お道化るように無事ですアピールをしたが、不服そうに眉を寄せられ、無言で抱き着かれる。

少しだけ気まずい沈黙が2人の間を走った。


あれ、今の発言、デリカシー皆無だったかな、だったよな。

覚えてないからどうでもいい…、って、現に忘れられてるエルマのことも蔑ろにした言葉だった、かも。


落ち込んでいる様子の子供に、もうこれ以上どんな言葉をかけたら良いのかわからずあたふたと視線を彷徨わせていると、

何の前触れもなく僕の身体から手を離したエルマは、先ほどの沈黙は何だったのかと思わずにはいられない程、何かのボタンで気持ちを切り替えでもしたように軽やかに闇の奥へと駆けて行く。


「んもー、オレのセンセイをこんなしみったれたところに閉じ込めるなんて、センス終わってるよね! センセイもそう思わない?」

「ちょちょ、ちょっと待って! あんまり離れられると僕が落っこちそうで怖いんだけど! 戻っておいで!!」

「ああ、センセイがオレを求めてるの最高……!」

「ふざけたこと言ってないで! いや本当に怖いから!! 戻って来て!! 頼む!!」

「オレがセンセイ落とすわけないじゃん! それよりも見てて!」


僕の居る位置から結構離れた場所で、現物よりも少しだけ小さくなったエルマが手を振って呼びかける。

闇の中で、エルマだけがぽっかり浮き出て見えるのは正直言って異様過ぎたが、自分の立っている場所がいつ本当の闇になってしまうか本気でビビリ倒していた僕は、そんなことにかまけていられなかった。


「センセー!? 見てるーー!?」と言って確認してくるエルマに、「はい見たー! 見たから早く戻ってきなさい!」と随分投げやりな返事をする。

エルマはそんな僕を面白がったのか、呆れたのかわからない笑い声をあげると、「いくよー!」と不思議な掛け声をして、



その瞬間、真っ暗な闇しかなかった視界が、一瞬で塗り替えられた。


真っ先に目に入ったのは、頭上の、果てなく広大で、抜けるような青い空。

何処に焦点を絞るでもなく呆然と目を見開いていると、闇の中に居た者のことなど気にするかとばかりに存在を主張する太陽に、目を焼かれそうになる。

眩い光線から反射的に目を細めて、視線を下げると、


――ブワリ、


風が肌を撫でると同時、しろ、赤、薄桃色の花々の絨毯が、ずっと、ずっと、認識できないくらい先にまで、足元を埋め尽くしていることを理解し、息を呑む。

茎のしっかりした植物だった。ふとい茎から、小さな茎がさらに伸びて、6つ程の先がクルリと丸まった花弁をつけていて、より集まったそれらが1つの花のようになっている。

日光を浴びて文字通り煌めく花びらは、まるで宝石をちりばめたように美しく、呼吸を忘れてしまう程に美麗であった。


「センセイは、こういう自然な感じが好きだもんね! オレが一番分かってるんだから!」


いつの間にか隣に戻ってきていたエルマが、えっへん!と、自慢げに笑って言う。

そしてその後に、どう?どう?良かったでしょ?褒めてくれるでしょ?と期待の籠った目で僕を見た。


「凄いよ…、凄く、綺麗! エルマ! 君、本当に何でも出来るんだな! 何だこれ! 魔術すご…、うわあ…ここに家立てて暮らしたいまである…」

「それは困るよ!?」

「あっはは!」


鮮やかに塗り替えられた周囲に気分が上向いて、自然と明るい笑い声が零れる。

そんな僕を見たエルマは、一瞬呆気に取られたようにしてから、直後、ふんわりとその黒い瞳で弧を描いた。

背後を埋める彩に勝るとも劣らず、美しく綻んだエルマの表情は、僕に、どこか覚えのある柔らかな感情をもたらしてくれる。

胸に浮かぶ懐かしいそれが何か知りたいのに、過去を思い返そうとして、しかし白紙にされたそれからは何も得ることが出来ない現状に、僕は初めて口惜しさのようなものを感じた。


「ありがとう、エルマ。 流石僕の1番の使い魔なだけあるな」


感動のままに目の前の少年に手を伸ばし、その頭上の緑がかった黒髪をくしゃりとかき交ぜる。

しばらくそうして、手の平に収まってしまいそうな小さな頭を勝手に撫でまわしていたが、エルマからの反応が無いことに気付いて、僕は首を傾げる。

不思議に思い、頭部に乗せていた手を顎まで伝わせ、あまり力を入れずに上向かせると、エルマは唇を引き結んだ渋い表情を浮かべていた。


通常の人間であれば不機嫌を示しているように感じるそれだったが、エルマの身体に血液が通っていないことを考えると――、


「……、照れてる?」

「……も、も~~、ずるいよセンセイ!!」


図星だったらしいエルマは、照れ隠しのつもりか勢いよく僕に飛びついて来て、案の定エルマを支え切れなかった僕共々、ニ人で花の絨毯に埋もれることとなった。




地面に胡坐をかいて座った僕の足の間に、エルマがまるでそこが定位置であるかのように割り込み、僕の胸に幸せそうな顔でしな垂れかかる。

条件反射のようにエルマの頭を撫でた僕は、既に彼の行動に何の疑問も持たなくなってきていた。慣れだよ。慣れ。


他愛のない言葉を交わし合った後、ふいに近くの白い花を摘み取ったエルマが、それを自身の細い手の内で弄びながら静かに告げる。


「オレね、センセイから呼び出されるの、まだ二回目なんだ」

「そうなんだ?」

「うん。 だから、オレの事覚えてないセンセイも、二回目。 ……一番、少ない」


何と比べて少ないんだろう。

それを問うのは今じゃないような気がして、僕はすんでのところで口を噤む。

くしゃみを無理矢理止めたような、微妙な顔をしていただろう僕を見上げたエルマが、小さく吹き出した。


「……前もね、センセイ、笑ってくれたんだ。 最初は頬っぺたの筋肉どこ行ったってくらい酷い不細工な笑い方だったんだけどね。 段々、自然になって来て、オレに笑いかけてくれた。 久しぶりのそれが、凄く凄く嬉しくて…」

「今もしかして酷い事言われた?」

「? 言ってないよ?」

「そっか……」


『酷い不細工な』は暴言じゃなかったか…。


「今日も、オレはセンセイを沢山沢山笑わせたかった。 オレと居て楽しいなって思ってもらいたかった」


そう言ったエルマは、一本の花の茎を小さな手にギュッと握りしめて、僕の胸に顔を隠すようにして押し当てた。

そこからくぐもった声で呟く。


「……センセイ。 『帰りたいから、早く助けに来い』って言って。 嘘でもいいから」

「……、」


理由はわからないが、きっとそれが、今、彼の一番望む言葉なのだということは分かった。

だけど、身体に熱は無くとも、確かに僕に温もりを与えてくれている彼には、今の自分の言葉を伝えたいと思って。


僕は、「これは本当のことだけど」と前置きをしてから――、


「エルマを覚えていられないのは、嫌かなぁ」


直後、エルマは勢いよく僕を見上げて、グッと喉の奥で言葉を詰まらせる。

迸る感情を混ぜ込まれた眩しい黒曜の瞳が、徐々に水分を含んで揺らめく様が良く見えた。

僕が出来る限りの感謝の気持ちを込めて、エルマの頭に触れると、彼は潤んだ瞳を乱暴に拭ってはにかみ、再度勢いよく抱き着いてくる。


「あーーもー!! センセイ大好き!! 銀河一愛してる!!」

「規模が大きい」


あははと笑って、そんな僕を心底愛おしそうに見るエルマに、少しだけ照れくさくなった僕は視線を逸らした。

しかし、その先に見えた彼の滑らかな生足が、比喩ではなく透明になりかけているのを見てしまい、咄嗟に驚きの声をあげる。エルマも、僕の反応を見て初めて、やっと己が消えかけていることに気付けたらしかった。


「のわっ! もう消えかけてる!? 前はもっと時間あった気がするのに!

…そうと決まれば早くセンセイとちゅーしなきゃ!!」

「え!? 何で!?」

「使い魔への魔力供給だよセンセイ! フツーフツー! 皆やってる!」

「皆って誰!? 皆はやってないだろ! ってか君ピンピンしてるし絶対必要ないだろ! いや本気でこれ未成年淫行だし!! 事案事案!! 離れなさい!!」


キスをしなきゃ帰れない、なんて訳のわからないことを言いながら、エルマは座ったままの僕にぐいぐいと詰め寄って来る。

迫る幼い顔を、僕の非力な腕で何とか抑えながら攻防を繰り広げていたが、膠着状態を悟ったエルマから不意に力が抜かれた。

諦めてくれたか、と安堵から訪れた油断に身を委ねかけて――、


「もー、我儘だなあ。 オレはセンセイが可愛がってくれるから子供の姿の方が好きなんだけど――、」


星が過ぎ去るような一瞬だった。

まるで、別人が場所を移動して入れ替わったみたいに、


「――これならいい?」


エルマは、魔術によって、自身の姿を青年と呼べるそれに成長させていた。

いや、もしかすると、これが彼の本来の姿で――?


驚愕が脳を埋め尽くし、否定の返事も紡げない僕の唇に、エルマの柔らかいそれが抜け目なくくっつけられる。


「っん、……、っ、」


油断の隙を掻い潜って割り入れられた舌が、やや性急に僕の口内を蹂躙しようと動く。

冷感を伴ったそれのせいか、はたまた別の理由で背筋を走った痺れに反射的に後方へと身を引くが、親指と人差し指で耳を挟むような形で首の後ろまで添えられたエルマの両手によって、その行動は成し遂げられずに終わった。

それどころか、エルマは、上手く呼吸が出来ずはふはふと口の隙間から吐き出される僕の息さえも全てのみ込むように、更に距離を詰める。

閉じる暇もなく薄く開かれたままの僕の目が、焦点が合わない程の至近距離で瞼を伏せる青年姿のエルマを捉えて、心臓を不自然に打ち鳴らした。


き、消えかけてるくせに…!!

そもそも何で実体あるんだよ!?


ぬるぬると滑るエルマの下に、口の中全部なぞられて、愛撫するように擽られて、埋め尽くされて。

手慰みのように両耳を、すり、と優しく指で擦られ、鼻から抜けるような音が漏れ出た。…それが気にならないくらいに、頭がぼんやりと霞がかっていく。

僕と同じ体温にまで温められていったエルマの一部が、最後には溶けて一つになるんじゃないか、なんて馬鹿みたいな錯覚を起こしかけたその時になって、漸く唇が解放された。


正真正銘、この僕にとっては初めてとなるキス(しかも深い方)体験に翻弄され、は、はっ、と乱れた呼吸を正そうとしている最中、エルマはトロンと恍惚に染まった顔を隠しもせずに呟く。


「あぁ~、美味しい……」


いや、何を味わったんだ君は???人の唾液が美味いわけあるか危ないぞ。


叱る気力も削がれ、げんなりとした視線を送る僕をよそに、またも瞬時に子供の姿に逆戻りしたエルマは、殆ど消えかけの身体を残念そうに見下ろした。


「もう駄目そう。 …続きはまた今度だね! センセイ!」

「いや続きとかないから!」

「またまた~」


機嫌よさげに僕の手を握ったエルマは、僕を元居た建物の方へと軽快なステップで引っ張る。

そのまま僕だけを、花畑が途切れた人工的な床の上に立たせると、

ずっと手に持っていたらしい白い花を僕に差し出して言った。



「…ねえ、また次もオレを呼んでね? センセイ」



手渡される一輪の白花と、半透明の少年、そして背後に見える眩い光景。

僕の一寸先のもの全てが闇に消え去るという事実を改めて突き付けられたような気がして、胸が小さく締め付けられる。それに気づかない振りをして、僕はエルマに笑いかけた。


仕方ない。さっきの無礼は、犬に噛まれたとでも思って忘れてやるか。


「……、そうだな。 良いものも見せてもらったし。

――また、僕を楽しませに来てくれ」


花を受け取った僕に、エルマは「勿論!」だか、「任せて!」だか、恐らく了承の言葉を返して同じように笑っていてーー、




真横からの急な衝撃に、視界が大きくブレる。

自由が利かず、倒れ行く身体をどうすることも出来ないまま、僕は手に持っていたはずの花の感触が消えていることにだけ気付いた。


だったら今の()()は、エルマには見られてないかな、なんて、

真っ先に浮かんだ微かな安堵に、口角を上げて――、



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