リジェットとヴァレン
リーヴァの街は海沿いにある港街で、ゲーム序盤の移動手段として使用する大きな船舶が何隻も停泊し、港の側には沢山の人々が行き交う大きな市場が開かれている。
街中とは打って変わって、市場は白や赤、青、緑、黄色など色とりどりの屋根を張ったテントがひしめくように広がっていて、新鮮な魚介類を始め、瑞々しい果物や野菜、豆類だけでなく、色鮮やかな洋服や装飾品なども並べられ、東南アジア辺りのナイトマーケットのようだ。
ゲームでは簡略化され、これ程まで大きくはなかった筈だが、よく考えてみれば有名企業がある大きな港街ならば、側にある市場とて大きくなっていくのは必然だろう。
吹き付けてくる潮風は時折髪が乱れる程度で、日差しも穏やか。
少し先には大きな寸胴鍋で具沢山のスープを作っていたり、鉄板で海産物を焼いたものを販売している所もあり、食欲をそそる美味しそうな匂いが辺りから漂っていて、桃花は思わず気分が高揚してしまう。
この世界に来てからまだ三日程だが、安心して眠れる場所があり、美味しい食事にありつける上に、大好きなゲームの世界で過ごせている今は、現実よりも健やかに過ごし、心にも余裕が生まれてくる。
ホタテバターの串焼きに似た食べ物を見つけ、興味をそそられながらもホエイルに頼まれて買い出しに来ていた桃花は、誘惑に引きずり込まれそうな自身を叱咤するかのように頭を振って、頼まれていた品物を思い出した。
(ええと、イエローサーモンの切り身を三つとサクラナッツを一袋、アイリスリーフを二束……)
この材料だけで何を作るかはさっぱりわからないけれども、ホエイルの作る料理はどれも美味しい上に見た目も良い。
今日の料理も楽しみだ、と桃花は思い、自然と軽やかになる足取りで大きな通りを進み、野菜を多く取り扱っていそうな店を探して歩いていく。
似たようなものを販売している店は沢山あるけれど、繁盛している店は他よりも大きい上に安全な事が多いので、商品を購入するならばそういった店の方が良い、とホエイルに聞いている。
乾燥させた植物を山積みにした店の前を通ると、独特の香辛料の香りが鼻先を擽り、馴染みない匂いを楽しみながら目的の場所を探していると、不意に背後から、おい、と声をかけられた。
「そう、あんただよ。クトリアのとこの居候だろ?」
振り向こうとして(ちょっと待って)、声をかけてきた男性の声に、桃花は身体を強張らせた。
この世界では聞き慣れない声。
おまけに桃花を知っていて、クトリアの所に住まわせて貰っている事を知っている人間だなんていただろうか?
ヴァレン達の誰かが話したのかもしれないが、そうではないかもしれない。
警戒心から、桃花は唇を噛み締めて肯定も否定もせずに目を合わせないようにして先に進もうとするが、男に回り込まれた上に長い足で先を阻まれてしまう。
「おい、ちょっと待てって」
悟られないようにそっと息を吐き出し視線を上げると、少し長く伸ばした青髪の少年がにんまりと笑って立ちはだかっていた。
背が高めの桃花よりも頭一つ分大きいので、クトリアより少し低いくらいか。
黄色のバンダナで長い前髪を上げ、オーバーサイズの派手な柄物のジャケットと黒のTシャツを身につけて、ダメージジーンズを履いている……、その姿はまるで夜のコンビニ前でたむろっている不良少年のようだ。
〝グラーティア・ストーリア〟ではNPCの会話も世界観が知れる要素の一つであり、桃花自身も街に訪れた際は必ず一人残さず声をかけていたけれど、ここまで派手な容姿のNPCは見た事がない。
違う事が多々ある世界なので、ゲームの世界とは一致しない所もあるのだろうが、その内の一つなのだろうか?
「なあんだ、ヴァレン達が揃って構ってるっているから、どんな美少女かと思ってたのに、残念」
どうしてこの少年が自分の事を知っているのか、分からずに桃花は唇を噛み締めた。
大体、どうしてヴァレン達が構っていたら、イコール、美少女になるのか。ゲームの中でヴァレンやパーティメンバーは困っていれば分け隔てなく誰でも助けていたので、とんだ偏見だ、と呆れてしまう。
数日間接した限りでは、彼等の根本の部分はゲームの中のキャラクター像とあまり変わりがない、と桃花は思っているからだ。
「地味で暗くて惨めたらしくてみっともない、ただのおばさんじゃん」
明らかに煽っている言葉選びだが、桃花にとっては頷く他はない。
自分自身、小学校の頃に同級生のお母さんに会えば、誰々のおばさん、と呼ぶものだったし、高校生になれば二十歳以上は全員大人だと思っていたから、三十路も近いこの年齢で、この年齢の少年に今更おばさん呼ばわりされたくらいで然程傷つきはしない。
顔付きも平凡で、丸みのある輪郭に低い鼻、化粧をしていないので尚更はっきりしない顔立ちをしているので、美人というわけでもない。
勿論、悪口は良く無いので此処では肯定も否定もしないけれども。
好きなゲームの世界にいるくらいで、美少女になったり特別な力を使えるようになったり見目麗しい男性に言い寄られたりする事だって、期待をしていないし希望するつもりも更々ないが、ガラの悪い少年に絡まれるのはたまったものではない。
一体どうしたものだろうか。下手に刺激して刺されたりでもしたら。
「何か言えよ。言えないならさっさと帰れよ。元の世界に」
成程。桃花はその言葉を聞いて、妙に納得する。
彼は桃花が気に食わないというのもあるけれど、恐らく桃花の存在を邪魔に思っているのだろう。
桃花がこの世界に居るせいで、パーティメンバーが構ってくれなくなったのだろうか?
だとしても、彼のようなNPCを特別構ったりすると言うのも妙な話だけれど。
完全な言い掛かりレベルであり、ヴァレンの時のように大声を出されて非難されているわけでもないので、桃花の脳内は妙に冷静に思考が巡っている。
はいそうですね、そうします、とでも言って撒いてしまおうか。
そう桃花が考えを纏めようとしていると、見慣れた色が少年の後ろから見えていた。
「ヴァレン!」
咄嗟に助けを求めようとして思わず声を上げてしまい、桃花は慌てて口を塞いだ。
此処に来た当初は近寄りがたかったが、先日の件からすっかり警戒心が消えてしまっている、と桃花は思う。
主人公であるからなのか、登場のタイミングが絶妙で素晴らしい所も、すっかり気を許してしまった要因なのかもしれないが。
言い訳がましい事を考えながら、桃花がそそくさとヴァレンの側に駆け寄ると、その様子に何かを察したのか、彼の表情は険しくなっていく。
「リジェット、何をしている」
「げ、」
「は?」
信じられない言葉が聞こえて、桃花は再び声を上げてしまった。
リジェット・ランドールはヴァレン達のパーティメンバーの一人で、パーティの中でも背が一番高いのに、気弱で臆病な性格から猫背で前屈みに歩き、長い前髪で目元を隠している少年だ。
街で虐められている所をヴァレンに助けられ、それを切っ掛けにヴァレンのように強くなりたい、とパーティに入るのだが、弱虫な少年が主人公に憧れて少しずつ強く前向きになっていく姿は、誰もが応援したくなる、と多くのファンが口にする程である。
(なのに、こんなにちゃらちゃらした子になってしまったなんて……!)
そもそもゲーム内ではシンプルなハイネックの服と沢山のポケットがついたカーゴパンツという服装で、色合いも落ち着いたものだった筈だ。
自分に子供がいて反抗期になってしまったならこんな気持ちになるのだろうか……、思春期に口うるさいだのあっち行ってだのと邪険にしてしまった両親を思い出し、桃花は今更ながら心の中で二人に謝罪する。
グラーティア・ストーリアではどのキャラクターも地道にレベル上げをして最大レベルまで育て上げ、最強の装備と必殺技を身に付けさせていたのだ。
ある意味では桃花が子供同然に育てたようなものではある。
その中でも一際頑張り屋の可愛いリジェットが、嘘でしょう、と、半ば泣きそうな程にショックを受けていると、ヴァレンが肩越しに問い掛けてくる。
「トーカ、何があった?」
「え、あ、えっと、ちょっと文句を言われただけっていうか……。喧嘩とかじゃなくて。多分」
どう言ったものか、と言葉を選んでそう言うと、リジェットは苦々しい面持ちで桃花を見て、イイコぶってんじゃねえよ、等と口を挟んでいて。
双方の様子にヴァレンは何かを察したらしい、深々と溜息を吐き出すと、リジェットの頭に拳を落としていた。
「リジェット、謝れ」
「痛えな、何でこのババアの事ばっかり庇うんだよ!」
今までのヴァレンにしては少し言い方が優し過ぎる気がしたが、ゲームでのリジェットはパーティメンバーの中では最年少ではないけれど、その性格故に、一番頼りなくて面倒を見られがちである。
ヴァレンはそんなリジェットをいつも励ましたり背中を押していたものだ。
此処でのリジェットがそうとは到底思えないけれど、彼の言動を見ていると、構ってくれない大人に文句を言っている子供に見えなくもない。
「トーカは悪い事をしたと思った時には謝りに来た。お前はどうなんだ」
ヴァレンにそうはっきりと言われ、リジェットは悔しそうに唇を噛み締めて俯いている。
ヴァレンが桃花に怒鳴っていた時は純粋な怒りからだったからか、激昂したような言い方をしていたが、今は諭すような、子供に言い聞かせるようなもので、容赦はないが決して怖い言い方をしていなかった。
リジェットは顔を歪め、不満を露わにしていたが、何も言わずに見つめているヴァレンに臆したのか、頭の後ろを掻いて舌打ちを一つ、零している。
「……、悪かったよ」
「リジェット、」
「謝ったからもう良いよ、ヴァレン」
嗜めるようなヴァレンの言い方に、桃花は慌ててそれを制止した。
言い方や態度は兎も角、謝罪は謝罪だ。
嫌がっているのは明白だったのだし、これ以上恨まれるのも困るので、出来る限り穏便に済ませたい。
溜め込んだ息をこっそりと吐き出していると、ヴァレンは納得がいかない顔をしていたが、小さく何度も頷くと、桃花に向き直って口を開いた。
「悪かったな。許してやってくれ。捻くれているが、これでも弟のようなものだ」
「……、うん」
はっきりとした言い分をするヴァレンにしては珍しく、殊勝な態度と言葉の選びに、言いようのない気持ちになって、桃花は静かに頷いた。
羨ましい、と思ってしまった、のだ。
ヴァレンはリジェットを本当の弟のように大切に思っている。
自分はそんな風に誰かに思って貰えているのか。
携帯電話のアドレス欄に並ぶ名前や電話番号は、記憶から消えかかっていて、そんな自分は、連絡すらしないくせに、溜息ばかりを量産させて、いる。
「ヴァレンはリジェットが大切だから、ちゃんとして欲しいって思ってるんでしょう? 多分、リジェットのああいう言い方は寂しがってるだけだと思うから、大丈夫」
寂しい時に寂しいって言えないのは、もっと寂しいのにね。
呟いて、桃花は困ったように笑った。
此処は優しい世界だからつい忘れてしまうけれど、現実は、自らが変わらなければ周囲も変わる事はないものだ。
わかってはいるけれど、いつも躊躇って足が止まってしまう。
「……トーカ、腹が減ってないか?」
桃花の気持ちを慮ってか、ヴァレンは気遣わしげにそう聞くので、桃花はすんなりと頷いた。
「うん。市場で食べ歩きも出来るってホエイルに聞いたから、食べて帰ろうと思ってた」
お使いついでにたまには息抜きして楽しんでおいでよ! と元気に送り出してくれたホエイルは、毎日きちんと掃除も洗濯も食事も手を抜かず、きっちりとこなしているので、ずっと桃花といるのも気が詰まるだろう、と考えて、言葉に甘える事にしたのだ。
返答を聞いたヴァレンは、晴れやかに笑っている。
「トーカさえ良ければ三人で食事に行こう」
「はあ? ババアと一緒なんか嫌に決まってんだろ!」
「トーカと言え」
文句を言うリジェットに、ああもう、と桃花は溜息を吐き出して、彼の前に立った。
背は頭一つ分高いけれど、言動が完全に子供なのでもう怖さは微塵も感じない。
「ババアでも良いよ。でも、クソババアは傷つくから止めてね」
そう言うと、突然リジェットは吹き出して笑っている。
ババアは良いのにクソババアは駄目ってどんな理屈だよ! と腹を抱えてげらげらと笑うリジェットの頭にヴァレンの拳が軽く落とされるが、彼の表情はすっかり明るく、眉を下げて嬉しそうに笑っていて。
「バ……じゃなかった。お前。トーカ? だっけ? 変なの。馬鹿じゃねえの」
口が悪くて子供っぽい所があるだけで、そう悪い子ではないらしい。ヴァレンが弟のように感じているのもわかる気がして、桃花も釣られて笑った。
「でも、なんで急に食事なの?」
問い掛けると、ヴァレンは困ったように笑っている。
「食事は心も身体も満たしてくれるからな」
一時的なものかもしれないけれど、と付け足したその言葉に、成程、と桃花は頷いた。




