力になる
煤けた赤いレンガを積んで作ったような、海外のミュージカル映画にでも出てきそうなアパートには、一体何をどう繋げているのかわからない程の配管と、錆と掠れで読む事の出来なくなってしまった文字が並んでいる看板が貼り付けられている。
三階建てのその建物の端には、錆び付いた鉄筋の階段が取り付けてあり、足を踏み出す度に悲鳴のような音が辺りに響く。
今にも崩れ落ちそうで心配になるのだが、案内をしてくれたアイトは別段気にした様子はないので、恐らく倒壊する事はないのだろう、軽やかに階段を上がる彼女に続いて辿り着いたのは、三階の一番手前にある扉である。
所々ペンキが剥がれている赤銅色の扉には、歪んだ部屋番号が貼り付けてあるだけで、表札は付けられていない。
隣の扉の前には段ボールや空き缶が幾つか散乱していていて妙に生活感があるが、目的の部屋は表向きそのようには感じられなかった。
それは部屋の主の性格からでもあるのだろう。
服の乱れや髪を整え、手にしている紙袋をきちんと持ち直せば、「準備は良い?」とアイトが声を掛けてくれる。
その言葉に頷くと、桃花はゆっくり深呼吸をして扉をノックした。
暫しの沈黙を保っていた扉の向こうから、落ち着いた、ゆっくりと歩く音がする。
はい、と声が聞こえ、開いた扉から黒い髪を揺らしたヴァレンが出てくると、桃花はぐらりと視界が揺れたような気がして、少し後退りしてしまった。
黒いシャツに色落ちしたデニムを合わせている、彼は、こうして見ると不思議とヴァレン・トーニアというキャラクターではなく、ただ少し顔を見た事があるだけの誰かのように、等身大の、何処にでもいるな青年に見えるのだ。
ヴァレンは極東にある街の出身で、剣の修行の為に世界中を旅している筈であったが、目の前にいる青年を見る限りでは、現実の世界に戻ってしまったようで、思わず頭を振ってしまう。
当然ながら、景色は変わらない。
「トーカ? アイトも、どうした?」
隣人のよう気軽さでそう聞く彼は、急の来客に怒るでもなく、不機嫌そうでもない。
ただただ不思議そうな表情をしてそう問い掛けてくるので、桃花は慌てて頭を下げた。
「あの! 先日は、〝舞台〟を台無しにしてすみませんでした!」
腰から折り曲げる様に最大限の礼をしているので、彼の顔は見えない。
ただ、何と言われるか分からなくて眼をぎゅうと瞑っていると、幾ら待っても何の反応も返って来ないので、桃花が恐る恐る顔を上げ眼を開けると、ヴァレンは腕を組んではいるが、首を傾けて不思議そうに見つめているだけだ。
「その為に来たのか?」
「は、はい」
そんな事で来たのか、と言われるかと思ったが、予想に反して彼は静かに話を聞いていてくれる。
突然〝舞台〟の邪魔をしてしまった事、その事を何一つ知らなかった事。
一つ一つ説明する事に、彼は口を挟む事もなく頷いて、言葉を待っていてくれた。
全て話終えると、ヴァレンは晴れやかに笑って手を差し出して、いて。
「自らの非を認めて謝罪をするというのは、なかなか出来ない事だ。此方こそ、何も知らないというのに、頭に血が昇って怒鳴ってしまったな。悪かった」
腰からしっかりと折り曲げる礼で謝罪をするので、桃花は慌てて首を振った。
戦隊物の熱血ヒーロー然とした印象があったが、こうも素直に話をされてしまうと、ただの爽やかな好青年でしかない。
差し出された手のひらは案外大きく、しっかりとした男性の手だ。
困り果てておずおずとその手を握り返しすと、かさついた皮膚からほんのりとあたたかさが伝わってくる。
アイトに感じた時と同じような、確かな人のあたたかさだ。
頭を上げたヴァレンは握った手のひらをしっかりと握り返してくるので自然と笑顔になるけれど、背後から痛い程の視線を感じて(間違いなく、アイトだろう……)桃花は慌ててもう片方の手で持っていた紙袋を彼に差し出した。
「そ、それで! 甘い物が好きと聞いたので、良かったら食べて下さい」
彼に手渡したのは、鮮やかな檸檬色なのに栗の味がするという不思議なモンブランタルトで、ゲーム内でも登場するアンジェリカという製菓店の、一番売れているという商品である。
ゲーム上ではパーティメンバーには一切関わりのないモブキャラクターの会話に店名だけ登場する製菓店だが、雑居ビルの合間に見つけたこじんまりとした可愛らしい店を見つけた時には、本当に実在したのか、と桃花はいたく感激したものだ。
白い紙袋には青いインクで店名が印刷されているだけのシンプルなものだが、その紙袋を見るだけで、ヴァレンの瞳は大きく瞬き、輝いている。
「アンジェリカの菓子か! 有難く頂こう!」
ヴァレンは甘いものが好き、とは聞いたけれど、この様子を見る限り、選んだ店の菓子が相当好きなようだ。
たった一人でワンホールも食べられるのかは疑問だったのだけれど、この様子ならばきっと食べ切れてしまうのだろう。
詫びの菓子を選ぶ時もアイトを頼ったのは正解だった、と桃花は内心でほっと胸を撫で下ろした。
アパートの扉から少し離れ、桃花の後ろでやり取りを見守っていたアイトに視線を向けたヴァレンは、珍しく、柔らかく笑っていて。
「アイト、相談に乗ってやったんだろう?」
「ほんの少しだけよ」
「気遣いばかりさせて、すまないな」
「べ、別に、当然の事だもの!」
照れているせいか素直になれないらしいアイトと、素直過ぎるヴァレンの様子を見る限り、ゲームの中と同じ様に淡い感情を抱きあっているのだろうか、と桃花は密かに思う。
アイトはゲームでも此処でもヴァレンを好いている様子だが、ゲームでのヴァレンは他のメンバーよりほんの少しだけアイトに心を寄せるような素振りを見せるのだ。
此処でのヴァレンはどうなのかはわからないけれど、大好きなキャラクター達が幸せに過ごしてくれているなら、これ以上に嬉しい事はない。
自然と頰を緩ませると、ヴァレンが問いかけてくる。
「トーカ、今後の事は決まったのか?」
「うん。暫くクトリア達の所で居候させて貰って、今後の事はゆっくり考えようと思ってて」
ずっと此処にいるのか、そもそもこの状況がどうなっているのかは、未だに定かではない。
まずは現状を把握し、受け入れなければ、前には進めない。
ミーティアが言ったように、きっと此処は怖がらなくても良い場所で、ゆっくり考える為の、そんな場所なのだろうから。
「そうか。困ったら何か言ってくれ。トーカの誠意に応えて、その時は必ず力になろう」
話し方も畏まらなくて良い、と晴れやかに笑って言うヴァレンと、寄り添うように隣にいるアイトも確かめるように頷いている。
二人の姿を見た桃花は、ありがとう、と顔を綻ばせて笑った。




