行ってきます
扉の向こうは以前と変わらず、真っ白な空間が広がっていた。
大きなホールのような場所はとても静かで、奥には幾つも積み上がった鉄筋や金属片、電気コードのようなものが無造作に置かれている。
これから起きる事は、わかっている。
けれど、それらが前回と同じように起きるとは限らない。
桃花は自分にそう何度も言い聞かせる。
前回同様、予想外の展開に混乱しないよう、どんな事が起きたとしても、直ぐに対処出来る様にしなければいけないのだから。
金属片やコード類にぶちまけられた赤い粘液が脈打つように蠢き、空間の中を覆うように少しずつ広がっていくと、桃花は爪先を地面に当て、軽く息を吐き出した。
「ヴァレン、リジェット、ミーティア、よろしくね」
前に立つ三人にそう言うと、彼らは頷いて、前へと駆け出していく。
皆と話し合って決めた一番初めに出るメンバーは、比較的体力と防御力に長けている。
彼らの前に立ちはだかるディアヴルアルサーは、赤い粘液を使って金属片を器用に持ち上げ、悲鳴を上げるような音を立てながら、白い空間の中へその歪な身体を作り上げていた。
そこかしこに生まれた幾つもの青い目玉が一斉に見開くと、一瞬、倒れていた仲間達の姿が頭を過ぎってしまい、桃花は怯むように身を竦めてしまった。
じりじりと胸の底が煮えたぎってしまいそうな程に、恐怖心が押し寄せてしまう。
深呼吸をして心臓の鼓動を宥めていると、アイトが側に近寄り、手を差し出してくれていた。
そっと手を握り締めてくれる彼女の指先は、自分よりも、ずっと冷たく、強張っている。
「トーカ、大丈夫よ。落ち着いていきましょう」
「うん、ありがとう」
ヴァレンが言っていた通り、自分だけではなく、皆も緊張しているのだ、と改めて感じて、桃花はしっかりと前を向いた。
「皆、行くよ!」
自らを鼓舞するように、桃花は声を張り上げる。
怖くはないと言ったら嘘になるけれど、側にいる人達が握った手が冷たくなって震えていたのなら、握り返す事が出来る自分でいたい、のだ。
見上げたディアヴルアルサーは、数十メートルはある金属の腕と無数の目玉をホールいっぱいに広げていて、電気コードのような触手を蛇のようにしならせている。
金属で出来た腕が酷い音を立てて振り上げられると、桃花はリジェットに防御するよう伝え、左の眼が閉じた瞬間、ミーティアに魔法攻撃の指示を出した。
動きは愚鈍だが、今まで同様、間違えれば大きなダメージを負ってしまう。
その上、何が起こっても良いように、視界を常に広く取る事を意識して、桃花は敵の次の動作を把握すると、ヴァレンに声をかけた。
ディアヴルアルサーの攻撃に合わせて、一つ一つの動きを指定しても、彼らはしっかりとその通りに動いてくれる。
周囲に広がっている電気コードが鞭のようにしなり、攻撃を仕掛けてくるのを、刀で弾いたヴァレンは、そのまま前へと駆け出して目玉の一つを斬りつけた。
目玉は跳ねるように潰れると、その痛みに怒り狂ったかのように、金属の腕が大きく振り払ってくる。
その攻撃を避けたリジェットが地面を転がるけれど、受け身を取って直ぐに体制を立て直し、桃花の指示を受けたミーティアが敵の腕へ炎の魔法を放っていた。
辺り一面に火の粉が散り、それを掻き消すように青い目玉達が一斉に瞬き、頭上から大量の氷の槍を叩き落としてくる。
ヴァレン達の動きと敵の動き、どちらも見落としがないよう確かめながら声をかけていくと、次第に開いた目玉の数は粘液に取り込まれて消えていき、腕も軋んだ音を立てて歪んでいっている。
「ここまでは、今までと同じ、だよね」
「うん」
ピティの言葉に、視界を前から動かさないようにしながら、桃花は頷いた。
そう、問題はこれからだ。
最初は動きが酷く愚鈍で攻撃が読みやすいけれど、一度形態を変えた後は、今までのように決まった動作も、それに対応する動きもわからないのだから。
耳を塞ぎたくなる程の金属が軋んだ音を立てて、金属の腕がひしゃげて地面へと落ちていくと、前回と同じように、一瞬でホールの中が暗闇に包まれた。
桃花は暗闇に目を慣らす為にぎゅうと目蓋を閉じて、大きく息を吸い込み、吐き出した。
大丈夫、言い聞かせてゆっくり目を開くと、暗闇の中で青い目玉が拍動するように点滅している。
蜘蛛の巣のように広がっていた赤い粘液がうぞうぞと蠢き、目玉を包むように中心に集まっていき、大きな卵のような形を作り出しているのをじっと見つめた桃花は、タイミングを見誤らないように息を潜めた。
一際大きくなっていた卵から、ぶちぶちと嫌な音を立てて赤い粘液で出来た羽が何枚も生えていて、それに合わせるかのように、地面から幾つもの腕が地面から突き上がるように現れている。
「っ、攻撃が来る! 皆、防御して!」
桃花が叫んだ瞬間、白い骨で出来たような腕の群れが一斉に振り上げられ、勢い良く地面へと叩きつけられた。
酷い轟音と激しい揺れに耐えられず、体勢を崩しかけると、ロジクが肩を押さえてくれている。
「ありがとう、ロジク」
「さあ、ここからですよ」
「うん!」
息を吐き出し、周囲の状況を確認すると、三人共怪我をしていたものの、先程の攻撃をどうにか防ぎ切っていた。
直ぐに回復を指示するけれど、それを阻止するように大きな目玉が瞬き、何枚もの翼を苛立つように羽ばたかせると、ミーティアへ鋭い刃のようになった羽根を幾つも打ち放っている。
「リジェット! ミーティアを守って!」
回復役のミーティアがやられてしまえば、全体の流れが一気に崩れてしまう、とリジェットに声をかけると、彼は爪先を蹴ってミーティアを庇うように前へと飛び出していった。
羽根に切り付けられ傷を負ったリジェットは、追い討ちをかけるように白骨の腕に振り払われ、桃花達の目の前まで吹き飛ばされている。
「リジェット!」
思わず桃花が叫ぶと、リジェットは痛みに身体を震わせながらも立ち上がろうとして、再び地面へと崩れ落ちていってしまう。
何でもっと上手くやれなかったのだろう、と桃花が強く手を握り締めると、リジェットは悔しそうに顔を歪めていて。
「……っ、悪い」
「ううん、悪いのは私だよ。本当に、ごめん」
傷だらけになって、前髪を上げていたバンダナさえ破れて、痛々しいその姿に、桃花は握り締めていた手のひらに更に力を込めた。
目の奥がとても熱くて、瞬きをする程に痛いけれど、桃花は歯を食い縛り、無理矢理に頬を持ち上げて笑って見せる。
「でも、リジェットのお陰でまだ戦える。ありがとう」
「おう」
辛そうにしながらも、にかりと笑ったリジェットがぐったりとその場に蹲ると、桃花はロジクを呼んだ。
「ロジク、お願い」
「ええ、お任せ下さい」
柔らかに笑ったロジクが、リジェットに代わって透明な壁の側へと近づくと、ふわりと淡い光が現れ、前へと駆け出していく。
アイトやピティがその間にリジェットを後ろへと引き摺って様子を見ているのを確認すると、桃花は再び前へ向いた。
「行こう。まだこれからだよ!」
絶対に負けたりしない、とディアヴルアルサーの青い目玉を真っ直ぐに見据えると、桃花は指示を飛ばしていった。
ディアヴルアルサーの動きは、形態を変えてから格段に動きが早くなっている。
けれど、それは不思議と大きな障害には感じられない。
時折思いがけない攻撃はあるものの、今までのように敵の動きに対して、対応する動きをしなければならないという点は変わらないようで、その思いがけない攻撃さえ防ぎきり、体制さえ立て直せれば問題なく戦えそうだ、と桃花は思う。
以前はその行動全てを自身が担う事すら負担に感じていたのに、今は何故か、まるで自分自身も一緒に戦っているかのような不思議な感覚がして、桃花は口端を持ち上げた。
どうしてだろう。やけに視界も思考もクリアで、全てがやけにゆっくりに感じられるのだ。
その瞬間、まるで最後みたいだ、と、思ってしまった。
けれど、少しも不安も恐怖も感じない。
あんなに怖がって、逃げ出したくて仕方なかったのに、と考えて周りを見ると、皆の表情も、真剣で辛そうだけれど、何処か楽しそうで、今こうしていられるのが、嬉しそうで。
ゲームなら、最後のボスを倒したら、エンディングを迎えてしまう。
それを、寂しいと思わないと言えば嘘になるけれど、一緒に戦って、一緒に過ごしてきた彼らを、その先に連れて行く事が出来るのは、きっと、他でもない自分だけなのだ。
だから、皆は自分を信じてくれていたし、そんな皆を信じていられた。
その証拠が、この戦いの終わりなのだろう。
次第に仲間達が負傷し、入れ替わり、それでもどうにか地面に生えていた腕も、無数に生えていた羽の数も少なくなっていくと、ディアヴルアルサーの動きがぎこちなくなっていた。
形態を変えるのが一度だけ、なのかはわからないけれど、間違いなく弱っているのは確かだ。
ピティが最後の羽を銃で打ち抜き、アイトの魔法が腕を全て叩き伏せると、桃花は大きく息を吸い込んだ。
「ヴァレン!」
ヴァレンの名前を呼ぶと、彼は頷いて、低い姿勢で刀を構え、静かに目蓋を閉じる。
一瞬、周囲の音が消え去ったかのように感じると、彼は目に見えない程の速さで、素早く何度もディアヴルアルサーの目玉を斬りつけていく。
それは幼馴染の男の子が憧れていた、彼の最強の奥義技だ。
彼が見たなら、何て言うのだろう。
そう微かに笑うと、目玉は小さく凝縮していき、やがて内側から白い光を生み出すと、一気に周囲を光で埋め尽くしていた。
思わず腕で目を覆い、小さく叫び声を上げるけれど、直ぐにそれは収まってしまう。
慌てて周囲を確認すれば、皆の姿と白いホールのような空間だけが、其処にはあった。
「た、倒した……?」
恐る恐るそう呟くと、後ろからこつりと頭に拳が当てられて、桃花は振り向いた。
「おい、それフラグになるから止めろよ」
「リジェット! もう平気なの?」
「まあ何とかな」
ふらふらになりながらも長い前髪を掻き上げたリジェットは頷いて、側にいたミーティアに手を貸している。
ミーティアもぐったりはしているけれど、頭を振って顔を上げると、柔らかく笑っていた。
「トーカ、透明の壁がなくなってるよ」
「本当だ」
ミーティアの言葉に促されて前を向くと、ディアヴルアルサーと戦っていた最後のメンバーであるピティとアイト、ヴァレンが側に走り寄ってくる。
「トーカお姉ちゃん、皆、大丈夫……?」
「ええ、こちらは皆大丈夫ですよ」
くたびれた様子のロジクが服についた汚れを払って答えると、ピティは嬉しそうに笑っていて、アイトはヴァレンを支えるようにしていて側を離れない。
皆のそんな様子を見て、桃花は頬を緩めて笑った。
取り敢えず何があっても良いように回復しておこう、と指示を出していると、ディアヴルアルサーがいた場所に、光が溢れるように広がっている。
光は柔らかで優しく、まるであのノートが現れた時みたいだ、と考えて、桃花は光の先へと吸い込まれるように視線を向けた。
光の中には、飾り気のない大きな白い扉が浮かんでいる。
まるであの時のようで、導かれるように自然と足を向けていた。
それが何処へ繋がっているのかもわからないのに、桃花は少しも不安を感じたりはしなかった。
「もう、良いのか?」
後ろからヴァレンがそう問い掛けてくる。
桃花は足を止めて、光の先を見つめた。
帰りたいのか、帰りたくないのか。
此処に来たばかりの頃、問い掛けられた事を思い出して、桃花は振り返って、小さく頷いた。
「うん。もう大丈夫。だって、ずっと皆が一緒にいてくれたの、もう理解したから」
幼い頃から、彼らはちゃんと側にいてくれた。
不安になった時、勇気が欲しい時、悲しくて現実から逃げ出したくなった時、彼らを信じて手を伸ばしていたのは自分だった筈なのに、時間と共に薄れて忘れてしまって、いつの間にかそれを手放してしまっていた、のだ。
彼らは自分が手を伸ばせば、いつだって一緒にいてくれた。
それを、今はもう、理解出来たから。
「ありがとう。これからも、ずっと、みんなの事が、この世界が、すっごく大好きだよ!」
光の中で、扉が開く音がする。
何とも言えない淋しさと、懐かしさに、手をそっと握り締めると、皆が手を振ってくれて、いて。
「トーカ、行ってらっしゃい」
「またな」
そう言ってくれたアイトとヴァレンの言葉に、桃花は頷く。
行ってきます、と。
大きく手を振り返して、桃花は扉の先へと飛び込んでいた。




