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此処

 白い木々の森は酷く穏やかで、深く空気を吸い込むと、肺の奥底まで緑の香りが入り込んでくるようだった。

 陽光が眩しいからか、それとも散々泣き腫らしていたからか、瞬きをするとまだ目の奥がひりひりとしているけれど、気持ちは随分とすっきりとしている。

 桃花は腕を上げて大きく伸びをすると、深く息を吐き出した。

 皆と話をした後、少し仮眠を取って再びこの場所へと戻ってきたけれど、改めて見上げてみる、ディアヴルアルサーとの戦いへ向かう為の扉は、気味の悪さは感じるものの、以前のように胸騒ぎがしたり、不安に駆られて眼を逸らしてしまいそうには感じられない。

 ボスと戦う前のような不思議な緊張感は、それほど嫌いではなかったからなのだろうか、と考えて、桃花は小さく笑みを浮かべた。

 ずっと何も感じず、ぼんやりとただ生きているだけの日々が続いていたのに、今ではそんな事を感じない程に、たくさんの気持ちが溢れている。

 自分の気持ちを吐露する事もなかったから、それを受け止めてくれる人もいなかったから、そう感じていたけれど、もっと周囲を見たり、自ら声をかけていれば、また違っていくのかもしれない。

 そう考えられるようになっただけ、何か変われたのだろうか。

 それとも、元々自分自身が持っていたものに、気付けるようになった、という事なのだろうか。

 扉を見つめたままそう考えていると、ヴァレンに声を掛けられて、桃花は振り返った。


「トーカ、準備はいいか?」

「ごめん、少しだけ待って」


 眉を下げてそう言うと、彼は小さく頷いてくれている。

 皆は扉の前で談笑したり、準備運動をしていたりしていて、その少し離れた場所では、クトリアとホエイルが装備やアイテムの確認をしている。

 桃花がそちらへ小走りで近づくと、クトリアとホエイルは柔らかく笑ってくれていた。


「あの、また手を握っても良い?」


 前回出発前に手を握って貰った事を思い出して、おずおずと二人の目の前に手を差し出すと、みっともなく指先が震えている。

 けれど、二人はいつも、こんな自分を安心させてくれた。

 家族と言って受け入れて、帰る場所を守ってくれていた。

 だから、ちゃんと前に向けるようになったのだろう、と考えて、桃花が見上げると、二人は顔を見合わせてから、直ぐに手を握り締めてくれる。


「トーカ、手が冷たい。平気? 緊張してる?」

「うん、ちょっとだけ」


 手を擦り、あたためてくれているホエイルに、トーカが情けなく眉を下げると、クトリアは優しく頷いていて。


「心配しなくていい。側にはいられないが、俺達も一緒に戦っている」


 二人の優しさとあたたかさに、目の前が揺らいでしまうのは、仕方のない事だろう。

 考えて、桃花は彼等の手に額を押し付けて、その形を確かめるように、しっかりと握り締めた。

 二人のあたたかさが、優しさが、この手のひらにはあるから、ちゃんと戦える。


「うん、ありがとう。行ってきます!」


 気をつけて、と手を振ってくれる二人に手を振り返して、桃花は皆の場所へと走っていった。

 二人が握り締めてくれていた手は、ひんやりした空気の中でも、とてもあたたかだった。



 ***



 前回同様、扉を開き、飛び出した向こう側は蠢く影のようなものが犇めいていて薄暗いけれど、躊躇せず、その向こうへと駆け出していく。

 一瞬だけ振り向いてしまいたくなる衝動を抑えて、桃花は迷いを振り切るように腕を振り、前を向いた。

 ずっと先へ先へ、ぐんぐんと皆で薄暗い空間の中へと進んで行くと、次第に周囲に星空のような光が現れる。

 流石に二回目ともなると環境にも慣れてくるようで、前回戸惑っていたピティやリジェットもすんなりと歩いている。

 方向を見失わないよう慎重に進みながら、時折現れるモンスターを倒しつつ先へ進んでいくと、その奥にはうっすらと赤く染まっている白い扉があった。

 ディアヴルアルサーへと続く、最後の扉だ。

 扉の前で皆の怪我を治療したり、アイテムや装備の確認をして準備を整えている間、桃花は扉に近づくと、深く長く息を吐き出して、そっと見上げた。

 不安がない、と言えば嘘になる。

 目の前の扉はあまりにも大きくて、途方もなく感じてしまうから。


「……、何だか、緊張するな」


 ぽつりと呟くと、近くで装備の確認をしていたヴァレンが顔を上げ、小さく息を吐き出すと、肩を竦めていて。


「緊張しているのは皆同じだ」

「本当? ヴァレンなんてそんなに平気そうな顔してるのに」


 平然とした表情でそう返してくる彼が、自分と同じように緊張しているとは到底思えなくて、桃花は訝しげな視線を向けてしまった。

 彼は珍しくそれに苦笑いを浮かべて、緩やかに瞬きを繰り返していて。

 何にも遮られる事のない、赤く真っ直ぐな瞳は、自らの足元に向けられていて、微かに揺らいでいるようにも見えた。


「俺達は〝舞台(ステージ)〟に出る時はいつだって、前を向いてないといけない」


 それ以外の全てが許されない、とでも言いたげな物言いが彼らしくなく、ことりと頭を傾けると、彼はそれら全てを振り切るように顔を上げた。

 散々彼に辛い言葉をぶつけてしまったけれど、きっと、彼には彼にしか理解出来ない、辛さや苦しさもあったのだろう。

 思わず桃花が手のひらを握り締めると、彼は晴れやかに笑って拳を差し出してくる。


「俺達の視線の先には、いつも〝観客(オーディエンス)〟……、トーカが信じて待ってくれているからな」


 だから不安になる事はない、ときっぱりと言い切るヴァレンの強さに、きっと幼い頃の彼は憧れていたのだろう。

 頑張れ、と背中を押してくれる言葉を思い出し、桃花は小さく笑って頷いた。

 こつりと自分の拳を彼のそれに当てて笑い合うと、後ろからリジェットがずいと顔を出していて。


「何、円陣でも組むのか?」


 にんまりと笑う彼の言葉に、アイテムの確認や準備運動をしていた皆が次第に集まってきている。


「なあに? 楽しそう。どうやるの?」

「ぼくも、良いかな?」

「勿論ですよ」

「そうよ。こういうのは、皆でやるものだもの」


 一気に騒がしくなったこの場所で、桃花は思わず頰を緩めて笑ってしまった。

 ずっと皆は待っていてくれたのだろう、きっと、この場所で、あの日のように。

 あのね、と桃花が口を開くと、皆はきちんと見つめてくれていて。


「皆が私を信じて待っててくれたから、私はこの先に行けるんだよ」


 いつかの幼い頃の言葉を思い出して、桃花は緩やかに瞬きを繰り返した。

 どんなに傷ついても、辛くても、この先に辿り着くのは、自分がいなければならないし、彼らがいなければならなかった。


「私を此処まで連れて来てくれて、ありがとう」


 そう告げると、皆は笑って手を差し出してくる。

 重ねた手を軽く下げてから、上へ、上へ、と持ち上げる。

 笑い声が響くこの場所で、もう指先も足も、もう震えたりはしていなかった。

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