ブロックノイズ
扉の向こうは、真っ白な光に覆われていた。
眩しさのあまり動く事もままならず、腕で視界を遮っていると、少しずつ、うっすらと周囲が形を映し出し、全体が見えてくる。
光に目が慣れてくると、目の前に現れたのは、大きなホールのような空間だった。
ぽっかりと開かれた大きな空間は真っ白で、奥の方に白っぽい色をした鉄骨や金属片や電気コードのようなものが、幾つも幾つも積み重なっている。
ゲームで見てきた場所ではあるのだけれど、それよりもずっと寂れていて、何だか廃棄された工場のようだ、と桃花は思い、ふと違和感を感じて辺りを見回した。
ゲームの中では、この場所に訪れた時点でディアヴルアルサーが待ち構えていた。
けれど、そのディアヴルアルサーが、此処にはいない。
ぎくり、と身体を強張らせて周囲を見回すと、先程の金属の塊があった場所が、ごとり、と音を立てている。
思わず肩が跳ね上がってしまいそうになるのを、どうにかこらえてそちらを向けば、積み重なっている金属片やコードに、赤い液体のような何かがかかっていた。
何だか気味が悪い、と、桃花が眉を顰めていると、不意に電気コードに似た紐状のものが、蛇のようにしなやかに揺れていて。
真っ赤な液体だと思っていたものは、蜘蛛の巣のように網目状にじわじわと白い空間全体へと広がっていき、脈打つように蠢くと、等間隔にぶくりと広がり、幾つもの青い目玉を生み出している。
積み重なっていた鉄骨や金属片は、赤い粘液によって耳を塞ぎたくなる程の甲高い音を立てて持ち上がり、数十メートルはあるだろう歪な腕を作り上げて、動く度に金属がひしゃげるような嫌な音を立てていた。
ゲームで幾度も見てきたディアヴルアルサーのその姿は、画面越しでさえおぞましく感じていたのに、いざ目の当たりにすると、それだけで吐き気で蹲ってしまいそうだ。
胸元を握り締め、今にも飛び出してしまいそうな鼓動を押さえながら、桃花は一度だけきつく目蓋を閉じ、そして開いた。
自分が見てきたものとは挙動が違う事に、若干の違和感を覚えるけれど、倒さなければならないのは、同じ事だ。
「行くぞ!」
ヴァレンのはっきりとした声に、全員はしっかりと頷いた。
ディアヴルアルサーの前に立つメンバーは、ヴァレン、アイト、ピティの三人だ。
〝グラーティア・ストーリア〟では、戦いの最中にメンバーの入れ替えは基本的に出来ず、主人公であるヴァレンが倒されてしまうか、他の二人を含めた三人全員が倒れば其処でゲームオーバーとなる。
けれど、ヴァレン以外のパーティメンバーの誰かが倒された状況下で、例外的にメンバーを入れ替えられるのが、このディアヴルアルサーとの戦いである。
ディアヴルアルサーとの戦いは、後半になるにつれて攻撃が激しくなっていくので、後半に体力が多いメンバーを残しておいた方がいいだろう、と考えたのだ。
森での戦いのように、戦闘メンバーとの間には、透明な壁のようなものが出来ている。
この戦いではディアヴルアルサーの行動に合わせて、桃花が一つ一つの動きを皆に指示しなければならない。
金属で出来た大きな腕を振り上げた時には防御をする、右側の目玉が大きく瞬きをしていたら物理攻撃、左側の眼を閉じていたら魔法攻撃、といった風に、一つ一つ間違わないよう慎重に伝えていくと、皆もそれを聞き、しっかりと指示通りに戦ってくれている。
今までのようにヴァレン達が自動に戦ってくれるわけでなく、自分の指示一つ一つが彼らの行動になる、という事が、桃花にとって大きな負担となってのしかかってくるけれど、ディアヴルアルサーの動きもゲームと同じで、攻撃は非常に強力ではあるけれど、酷く愚鈍なものだ。
左右に振るった金属の腕を、刀で器用に防御したヴァレンが後ろへ距離を取ると、ピティが構えた二つの拳銃から放たれる弾丸が、右側の目玉を撃ち抜いている。
痛みからか、目玉が跳ねるような動きをした所で、アイトが右手を大きく振りかざして、巻き上がる炎の魔法を打ち込んだ。
頭の中に叩き込んだ知識が零れ落ちていかないよう、桃花は全体の動きを見つめて確かめるように頷きながら、指示を飛ばしていく。
身体全体に心臓の鼓動が響いていて、やけに煩い。
呼吸が早くなってしまうのをどうにか宥めながら、深く長く、息を吸い込んで吐き出した。
ヴァレンの振り払った刀が一つの目玉を斬りつけると、弾けるように赤い粘膜へと取り込まれて消えていき、金属で出来た腕はそれに合わせ、嫌な音を立てて、歪んでいった。
「弱ってきてる?」
隣で様子を見守っているミーティアが呟くと、ロジクが同意するよう頷いてていて。
「ええ、大分効いています。落ち着いて、このままいきましょう」
「トチんなよ」
「うん」
視線を前に向けたまま、桃花は皆の言葉に口端だけを持ち上げて答えると、しっかりと頷いた。
大丈夫。落ち着いて。
胸を押さえ、そう言い聞かせるように呼吸を繰り返した、桃花は乾いた唇を噛み締めた。
金属のような腕が崩れ出していくのは、ディアヴルアルサーの体力を三分の一程度まで削った合図だ。
現状、子供の頃にプレイしていた時より、随分と順調に進んでいる為か、少し肩透かしな気がしないでもないけれど、大人になっただけ視野も広くなったし、経験があるからこそ上手くいっているのだろう。
多少楽に感じるとはいえ、これからが本番だ。
より一層反撃が激しくなるけれど、このまま慎重にいけば、きっと大丈夫。
そう桃花が手のひらを握り締め、震える息を吐き出した、その瞬間——。
「え、何?」
「どうしたの?」
ばつり、とブレーカーでも落ちたかのように一瞬で目の前が暗闇に包まれる。
周囲にいるメンバーが戸惑った声を上げている事に、桃花は現在起きたその現象に思考が追いつかず、ただただ呆然としていた。
「な……、」
何、と思わず唇から声が零れ落ちた。
ゲームでは絶対にありえない事が起こっている。
ディアヴルアルサーの挙動が、明らかにゲームとは違っているのだ。
何が、起こっているの。
かたかたと震え出す身体を抱きしめるようにすると、暗闇の中で、拍動するように幾つもの青い目玉が光り、点滅している。
ぐらぐら、ぐらぐら、頭の中が掻き回されているように、思考が纏まらない。
広場に散らばっていた赤い粘膜が、目玉の光を包むようにうぞうぞと動き、密集していくと、やがて中央に集まっていき、まるで卵のような形を作っていく。
卵の中は取り込んでいた目玉で青く発光し、点滅を繰り返していて、その点滅が早まると同時に、卵はどんどんと大きく膨らんでいった。
一際大きな塊になったそれは、やがて一気に光を爆発させると、中からぶちぶちと嫌な音を立て、真っ赤な粘膜で出来た何枚もの羽を生やし、一つの大きな青い目玉を生み出していた。
それに合わせたように、地面から突き上がるように現れた、金属で出来た腕は、一斉に地面へとその腕を叩きつける。
耳を塞ぎたくなる程の轟音と、足裏から伝わる振動に、身を竦めながらの桃花は、嫌がるように首を振った。
こんなのは……、こんなものは、知らない。
震える手を握り締めても、硬く冷たい自分の手の感触が、まるで自分のものではないかのように感じられる。
助けを求めるように顔を周囲を見渡せば、たくさんの瞳が、その視線が、一斉に自分に向いている事に気がついて、悲鳴にならない声が喉の奥から上がっていた。
ディアヴルアルサーの青い目玉だけでは、ない、その場にいる全員の目玉が、桃花ひとりを見つめている。
とてつもない嫌悪感と拒否感に口元を抑えて蹲ると、その瞬間、目の前で凄まじい程の風が巻き上がり、視界が灰色に染まってしまう。
一瞬の出来事に何も反応する事が出来ず、見開いた瞳から、知らず涙が溢れてくる。
「な……、な、に、今の…」
赤い粘膜が広がった広場の真ん中で、佇んでいる大きな目玉のいきものは、変わらずにその場にあり、けれど、其処にいるだろう仲間達の姿はなかった。
ぎこちなく首を傾け、段々と荒くなる息を抑えるように胸元を握り締め、視線を足元へと向ければ、透明な壁のようなものの前に、ぐったりと身体を横たえている小さな子供が、いる。
ピティ、と叫ぶ誰かの声が酷く遠くに感じて、更に視線を前に向ければ、倒れているのは、震えながら身体を丸めて蹲っているアイトで、それでもなんとか立ち上がろうとしながら、再び地面へと倒れ込んでしまっていた。
その二人を庇うように前にいるヴァレンは、傷つきながらも崩れ落ちないよう膝をつきながらも、刀を握り締める力を緩める事はなく、前を見据えている。
その真っ直ぐでしなやかな背中は、きっと逃げる事など考えもしていないのだろう。
けれど、ゲームでは絶対に出てこない筈の姿と行動に、桃花は頭の中が真っ白になってしまっている。
どうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしよう。
ディアヴルアルサーのあの姿は、行動は、今まで全く見た事のない挙動だった。
一体、何を、どうすれば良いのか、わからない。
順序も手段も全てが混乱して上手く思考を働かせる事が出来ない。
「いや、やめて、いや……!」
やめて、と。
何度も懇願するように唇から言葉が溢れてしまう。
そんな事をしたって何も起きやしない。
誰も助けてはくれない。
何も変わったりはしない。
自分が何かしなければ、現状は何も変わりはしないのだ。
そんな事は理解している。
理解しているから、だからこそ、自分に出来る事をしてきた筈だったのに!
目の前で、白い骨のような腕が、ヴァレンの身体を吹き飛ばしているのが、見える。
腕を伸ばして彼の名前を叫ぶ、アイトの声が、聞こえる。
気がついた時には、身体の奥底から突き破ってくるような悲鳴が喉の奥から吐き出されて、いて。
両肩を掴まれ、誰かが声をかけているけれど、もう何を言っているかもわからない。
「ヴァレン! 一度引きましょう!」
「何を言って……!」
ロジクが焦った様子で声を掛けるが、ヴァレンは引き下がろうとしている。
それを制するように、ロジクは叫んだ。
「このまま戦闘を続けるのは無理です!」
身体を、揺さぶられている。
名前を、呼ばれている。
非難を、向けられている。
だけど、どうする事も出来やしない。
ばつり、と電源が切れるように暗闇が訪れると、両手で塞いだ耳の奥の方で、サイレンに似た音が絶えず鳴り響いている。
まるで誰かの泣き声みたいだ、と、遠ざかる意識の片隅でそう感じて、いた。




