扉の向こう
一晩休んでいたからか、家を出るとすっかり空は明るくなっていて、朝特有の緑の深い香りが広がっていた。
空気も透き通っていて、深く吸い込むと、肺の奥まで清浄な空気で満たされているようだった。
森の奥に入れば入るほど、木々は青みを帯びて透き通っていき、まるで硝子のように見える。
朝露に濡れた木々は陽光で眩く輝いていて、桃花は思わず眼を細めた。
皆の顔色は昨晩とは違い、すっかりと良くなっている。
ホエイルは家を出るなり、先にお兄の様子を見に行くね、と驚く程の速さで木々の向こうへと駆けて行ってしまったので、残った皆でその後を歩いて行った。
パーティメンバーである六人で歩いていると、少し騒がしいけれど、やはり心強く感じる、と桃花は思う。
ヴァレンはいつだって真っ直ぐに前を向いて先頭に立ち、アイトは寄り添うようにその隣を歩いているし、ミーティアは楽しそうに笑って皆を和ませ、リジェットは面倒そうにしながらも率先して皆を守り、ピティは怖がりながらも小さな身体で懸命に歩いて、ロジクはそんな皆を優しく見守っている。
ゲームで見てきた皆とは少し違うけれど、本質は同じで、変わらない。
でも、もうすぐそれも終わりだ。
ディアヴルアルサーを倒せば、このメンバー全員で会う事もそうないだろう。
でも、もしこのままディアヴルアルサーを倒してしまったら、どうなってしまうのだろうか。
ふとそう考えて、桃花は思わず足を止めてしまった。
ゲームなら、最後のボスを倒せばエンディングを迎えてしまう。
でも、此処ならば、一体、どうなってしまうのだろう。
現実に帰って今までのように過ごしていくのだろうか?
それとも、此処で変わらずに皆と一緒に過ごしていくのだろうか?
「トーカ? どうした?」
先を歩いていたヴァレンが問いかけてくるので、桃花はいつの間にか俯かせていた視線を上げて、ぼんやりと皆を見つめた。
不思議そうな顔をしている皆の視線が集まっている事に、今更ながら気がついて、慌てて首を振る。
「ごめん、ちょっとぼうっとしてた」
こんな時にぼんやり考え事なんて気が抜けている証拠だ、と心中で自身を叱咤すると、桃花は唇を噛み締めた。
この森は気を抜けるような場所ではないのだし、これから一番大事な戦いに行くのだから、他の事に気を取られている場合ではない。
桃花は大きく息を吸い込み、吐き出すと、心配そうにしているメンバーにしっかりと頷いて先を促した。
これからの事は、全てが終わってから考えれば良い。
今は目の前の事だけを考えなければ——。
そうして先を進んでいると、木々を抜けた先に、広場のような開けた場所に出た。
その最奥には、首を持ち上げる程に大きな白い扉があり、森の木々と同じようにうっすらと青みを帯びている。
扉には中央に瞳のようなものが彫られていて、それを囲むように、花や葉や、樹木の模様が施されていた。
とても綺麗なものではあるのだけれど、何故だか無性に胸騒ぎがするような、不安に駆られるような造形に、思わず眼を逸らそうとすると、その手前に立っている人達を見つけて、桃花は思わず顔を綻ばせて口を開いた。
「クトリア、ホエイル!」
名前を呼んで手を振ると、ホエイルは嬉しそうに飛び跳ねながら両手を振っていて、クトリアは頰についた汚れを拭うと小さく頷いて、眼を柔らかく細めて笑っている。
「トーカ、みんな! お疲れ様!」
クトリアは以前見た大剣と弓を手にしていて、服が多少汚れてはいるものの、見た限りでは大きな怪我をしている様子はない。
「良かった。怪我していませんか? ちゃんと休めてますか?」
急いで駆け寄り、クトリアにそう問い掛けると、彼は小さく笑みを浮かべたまま、ほんの少しだけ頭を傾けている。
「人並外れて頑健な作りをしているから、心配しなくてもいい」
「お兄、こういう時は大丈夫って言ってあげるんだよ」
「そうだな」
二人と話せた事で桃花がほっと息を吐き出すと、後ろから歩いてきた皆もそれぞれ挨拶をしていた。
「クトリア、状況は?」
ヴァレンの問い掛けに、クトリアは頷くと、扉を見上げて眼を眇めている。
「元々少しずつモンスターが出てはいたが、扉に近づけるようになってからは、急激に数が増えている」
「此処はディアヴルアルサーがいる場所に繋がっているから。多分、イズナグルから奪えるエネルギーが少なくなって、こっちの世界へ移動する為に本格的に侵攻しているんじゃないかな」
桃花がそう話すと、皆も神妙な顔つきで扉を見上げていた。
ゲームの中でも見てはいるけれど、目の前にあるものはそれとは比べ物にならない程に大きく見える。
「扉を開いたら、モンスターがたくさん出てくる、と思う」
「それをホエイル達が押さえてる間に、ヴァレン達が突入するんだよね?」
「うん」
「みんなも気をつけてね!」
ホエイルが二人の間から顔を出してそう言うと、桃花は唇を噛み締めて頷いた。
折角二人にも会えたのに、これからの事を考えると、どうしようもなく不安や悲しみでいっぱいになってしまう。
それでも、こんな自分を気にかけてくれる二人を想うと、瞳にわっと水分が含まれていって、目の前がゆらゆらと揺れていた。
「こんな役目を押し付けて、本当にごめんなさい」
まるで子供が謝るような言い方しか出来ない自分が不甲斐なくて俯くと、そっとクトリアが声をかけてくれる。
「それは、トーカ達も同じだろう」
まるで震えている指先を励ましているかのように、ホエイルが手を取ってしっかり握り締めてくれていて。
その小さな手がクトリアの手も一緒に掴んで重ねているので、桃花は小さく笑う。
しっとりとして高い体温のホエイルの手と、かさついていて大きいクトリアの手を、桃花は確かめるように握り返した。
「トーカ、一緒に頑張ろうね!」
「うん」
ホエイルの言葉に頷き、名残惜しく感じながらも手を離して前を向けば、皆が扉の前で待っていてくれる。
「行くぞ。準備は良いか?」
「大丈夫」
ヴァレンが扉に手を触れると、腹に響く音を響かせながら、扉が開いていく。
扉の向こうは薄暗く、無数の影が蠢いていていて、地鳴りのような振動が足裏から伝わってくる。
その様子に、桃花は思わず身を竦めるけれど、ヴァレン達は戸惑う事なく踏み込んでいった。
ヴァレンとアイト、ピティを先頭に、桃花を挟んでロジクとミーティア、リジェットが後ろからついていく形で駆け出していくと、森の方へと一斉に影が飛び出している。
振り向くと、森の一面に黒い影達が森を覆い尽くさんばかりに広がっているので、思わず立ち止まりそうになる。
ホエイル達の言葉を思い出し、手のひらを握り締めながら桃花は腕を振り、前へ向いて駆け出した。
走りながら先へ先へと進んでいくと、黒い波のようにさえ見えていたモンスター達の姿は段々と減っていき、薄暗い周囲にはいつの間にか、少しずつ小さな光が幾つも溢れている。
まるで星空の中を歩いているような其処は、上下左右がわからない上に、歩く度に光が位置を変えてくるくると巡っているので、周囲を見回しながら歩いていると、何処を歩いているのかわからなくなってしまいそうだ。
「ぐえ、気持ち悪い……」
「うう……、ぐるぐるする」
リジェットとピティが眼をぱちぱちと瞬かせながらそう言うので、先を走っていたヴァレンが足を止め、歩きながら周囲を確認していた。
「目が回るから、同じ場所を見てた方が良いよ」
そういえば子供の頃よく車酔いして母親にそう言われたっけ、と思いながら桃花がそう言うと、二人は項垂れながら頷いている。
「見えないのに床とか壁みたいな感触があるせいか、余計に混乱するわね……」
困惑した表情のアイトは、手を伸ばして何もない場所を触れているが、その先は阻まれているらしく、前には進めないらしい。
ゲームの中でも同じように見えない迷路を抜けなければならず、面倒だった事を思い出した桃花は、小さく溜息を吐き出していた。
ゲームのようにリアルタイムで見えるマップはないので、ひとつひとつ確かめていく以外ないだろう、と皆で相談すると、ヴァレンは頷いて壁らしい場所を触れながら後ろを振り返った。
「俺が先を確かめながら歩くから、後ろからついてきてくれ。ロジクは殿を頼む」
「わかりました」
ロジクが返事を返すと、全員は慎重に星空の中を進んでいく。
モンスターが出ない場所ではないので、時折現れるモンスターを倒しながら見えない迷路を進んでいくと、先の方に、この場所へ来る前にあったもの同じ、白い大きな扉が佇んでいる。
森にあったものはうっすらと青みを帯びていたが、此方ではうっすらと赤くなっている。
気が逸るけれど、モンスターの遭遇や見えない壁にぶつからないように気をつけながら先へ先へと進み、やがて扉の前まで辿り着くと、皆はそれを見上げた。
「この先に、ディアヴルアルサーがいるんだよね?」
「うん」
ミーティアの言葉に桃花は頷き、最後の戦いの前だから、と、これまでの戦闘で怪我をしていたメンバーにはきちんと回復や手当をし、装備とアイテムもしっかり確認する。
緊張しているピティと一緒にアイテムを整理していると、リジェットがちょっかいを出してきて、それをヴァレンが咎めている。
ハニードロップの蜜を舐めているミーティアに、呆れたように笑っているアイトとのんびりと笑っているロジク。
そんな皆の顔を眺めて、桃花は小さく笑った。
ゲームとは違う性格をしていても、こうして決戦前に皆といると、不思議とあの頃の高揚感と緊張感を思い出す。
幼かった子供の頃のように。
今でも、それは変わらない。
その事がとても不思議で、桃花はゆっくりと瞬きを繰り返して扉を見上げた。
瞳を模した模様は、ただ虚ろに皆を見下ろしている。
「準備は良いか?」
ヴァレンの言葉に、ぼんやりとしていた桃花は、胸が跳ねるように拍動しているのを感じて慌てて周囲を見回した。
準備を済ました皆が緊張気味に、それでも、笑みを浮かべて自分を見つめてくれている。
「行こう!」
手のひらを握り締めてそう言うと、皆は頷いて、扉へと手をかけた。
扉を押せば、中から沢山の光が溢れ出ている。
嵐のように酷く荒れた風に煽られながら全員の顔を確認すると、桃花は皆と共にその奥へと進んでいった。
星空のような暗い空間から足を踏み出せば、真っ白な光で世界が染まっている。




