嵐の前
聖域の森の深くまで来ると、白い木々にうっすらと青みが帯びてくる。
戦闘が続いているので途中で休憩を挟みながら進んではいるけれど、強い敵が多いこの場所では、流石に皆にも疲れの色が滲んできていた。
空も暗くなってきたので、一度きちんと休める場所を探した方が良いだろう、と桃花は考えて、頰に滲んだ汗を手の甲で拭った。
森の奥には、クトリア達が本来住んでいる家がある。
其処まで辿り着ければゆっくり休めそうなのだけれど、此処ではゲームと違い、リアルタイムで映し出される正確な地図がない上に、似たような景色が続いているので、どれだけ進んでいるのかはっきりとしないのだ。
それに、ゲームでならば休みなく何日も進んでいけるけれど、実際はそうもいかない。
ただ見ているだけなのと、実際に経験して知るのとでは大違いというけれど、本当だ、と桃花は思う。
せめて安心して休める場所があれば良いのに、と顔を上げると、遠くで木々を倒すような音がしている。
ヴァレン達も気付いてはいるが、今までより動きが緩慢だ。
浅くなってきた息を吐き出して、音のする方向へ視線を向ければ、紫色のぶよぶよした丸い身体が特徴の、蛙のようなモンスターが身体を引きずりながら近づいてきている。
「ベネトフロッシュ……!」
こんな時に、と思わず顔を歪めた桃花は、そのモンスターをきつく睨みつけた。
ベネトフロッシュは、思いつく限りの状態異常を引き起こす、厄介な攻撃を行なってくる面倒な敵だ。
疲れ切っている時には特に、出て来て欲しくないモンスターでもある。
戦闘メンバーであるヴァレンとリジェット、そしてミーティアが武器を構えているけれど、皆余裕のなくなった表情をしているのが見て取れた。
せめて、別のモンスターだったならまだ余裕でいけたのに、と手のひらを握り締めると、突然、頭上から勢いよく何かが降ってくる。
それは落下、と呼ぶより、衝撃、と呼んでいいだろう。
モンスターは弾力のある身体を揺らして吹き飛んでいき、それを見逃さないよう、無数の弓矢が降り注いでいた。
驚いて開いた口が塞がらないまま周囲を見回すと、皆も一様に驚いた顔をしている。
雨のように降り注いでいた弓矢が収まると、白い砂煙が辺りに撒き散らされていて、少しずつ視界が開けてくると、モンスターは呆気なく煙のように霧散していた。
そうして白い樹木の上から軽やかに降りてきたのは、民族調の赤いワンピースに、長い髪を二つに分けて三つ編みをしている少女だ。
その小さな手には似つかわしくない大きな槍を手にしていて、背には立派な弓矢まで背負っている。
見覚えのある姿に眼を凝らしていると、その少女は驚いた顔をして桃花の側へと駆け寄っていた。
「トーカ! 皆も大丈夫?」
「ホエイル!」
ぎゅうと抱きついてくるホエイルを受け止めながら、桃花は疲れと嬉しさで目の前が水分でゆらゆらと揺れてまうのをどうにか押し留めて、丸い頭に頰を押し付ける。
「良かった……! 身体は平気? 怪我はしてない?」
「うん、大丈夫! まだまだ全然余裕だよ!」
嬉しそうに顔を綻ばせるホエイルは、最後に見た時より元気そうだ。
良かった、と安堵の息を吐き出して腕を解放すると、ホエイルは皆に手を振っている。
「皆もお疲れ様!」
「なあ、ベネトフロッシュを一発で仕留めてるのヤバくないか……」
リジェットが引き攣った顔でそう言うと、ホエイルは肩を竦めて事もなげに言ってみせた。
「一発じゃないよ。結構打ち込んだもん。お兄なら一撃で仕留めるけど」
以前、あのモンスターが凄く嫌いだ、と言っていた気がするのだけれど、こんな呆気なく倒してしまうのなら一体何が嫌だったのだろう、と思って聞いてみるが、ホエイル曰く、感触がぶよぶよして嫌、という事らしい。
彼女の回答に、リジェットは理解出来ないと言わんばかりに頭を振って視線を逸らしているが、気持ちはわからないでもない。
苦笑いを浮かべて周囲を見るが、ホエイル以外に人がいる様子はなく、クトリアとは別行動をしているのだろうか、と桃花は彼女に問いかけた。
「ホエイル、クトリアは一緒じゃないの?」
「お兄は扉の側にいるよ! でも、嫌な気配が強まってるから離れられないって言ってた」
ホエイルは眉を下げてそう言うと、お兄なら大丈夫だよ、と直ぐに笑顔を浮かべて皆に声をかけている。
「皆、疲れたでしょ? すぐ近くにうちの家があるから来て! あそこはモンスターも出て来ないし、ゆっくり休めるから」
出来るだけ早く先に進みたいけれど、流石に皆疲れ切っていて、正直言ってまともに動ける状態ではない。
桃花でさえそう感じているのだから、皆は余計に疲弊しているだろう。
「皆、一度休んでから先に進む、って事でも良いかな?」
そう桃花が提案すると、皆は悩む素振りもせず、素直に頷いている。
ヴァレンも大分疲弊しているようで、流石に疲れた、と零していた。
「ついでにアイテムや装備品の整理もした方がいいんじゃないか」
「そうだね、じゃあ少し休ませて貰おう」
ヴァレンの言葉に頷いてホエイルに案内を頼むと、彼女は快く案内をしてくれた。
その間に、最後の手がかりを探してから、休みなく進んできた事を掻い摘んで説明すると、ホエイルは眉を下げて唇を尖らせている。
「もう、ちゃんと休まないと駄目だよ! トーカは特に疲れてくると混乱しやすいもん!」
「ご、ごめん……」
確かにイレギュラーな事に自分は弱いから気をつけないと、と肩を落として謝ると、数分もしない内に開けた場所に出た。
その先にあるのは、真っ白な木で出来た、二階建てのログハウスだ。
「狭いし、ちゃんと掃除出来てないけど、ゆっくりしてね!」
家に駆け寄ったホエイルは、扉を開けて皆を中へと促した。
家の中はリーヴァの街にある家をそのまま狭くしたような作りになっていて、リビングの窓から出れば広々としたウッドデッキがあり、小さなベンチが置かれている。
所々古ぼけていて年季の入った建具や家具は、それでも丁寧に使われているのが見て分かる上に、綺麗に整えられているので、いつもの家に帰ってきたような気持ちになって、桃花はほっと息を吐き出した。
疲れ切っていた皆はソファーに腰掛けて休んでいたり、アイテムや装備の確認をしていたり、ホエイルが淹れたあたたかい飲み物を飲んでいたりしている。
奥の部屋で休んでも良いと言われているが、どうしても皆で集まってしまうのは、大きな戦いの前だからなのだろうか。
部屋の中央にあるリビングテーブルやキッチンカウンターにはピティとリジェット、ロジクにミーティアが、窓際に置かれたソファーにはヴァレンとアイトが腰掛けている。
キッチンでホエイルを手伝っていた桃花は、その柔らかそうなソファーに腰掛けていたヴァレンとアイトを見ると、違和感を感じて思わずことりと頭を傾けた。
ゆっくり近づくと、一定の間隔で呼吸の音がしたので、より慎重に、桃花は足を踏み出す。
その様子に、楽しそうに笑みを浮かべたミーティアが一緒になって近づくので、目を合わせて頷くと、そっと二人の顔を覗き込んだ。
ヴァレンとアイトは流石に疲れ切っているのだろう、周囲の気配に気づく事なく、寄り添うように眠っている。
「ヴァレンとアイトが寝てる所、初めて見た……」
「こうしてると二人共、何だかすごく幼くって、可愛いよねえ」
「確かに」
主人公であるヴァレンとヒロインであるアイトがこんな風に寄り添って眠っている所なんて、ゲームでは見た事もないのだ。
ましてやくっついているのかいないのかわからないという、絶妙に曖昧な関係性のまま終わるので、気にならない方がおかしいというものだ、と桃花は思いながらひそひそと話して二人を覗き込んでいるのだけれど、後ろからミーティアと一緒に首根っこを引っ掴まれてしまった。
「邪魔すんじゃねえ」
威圧感たっぷりに言ったリジェットに、桃花とミーティアは揃って不満げな顔をしたが、甘い香りが鼻先を擽るので、直ぐに意識はそちらに向かってしまう。
「みんな、お菓子あるから好きに食べてね」
「本当? 良いの?」
ホエイルが戸棚にしまっていたらしいお菓子を取り出し、皿に並べながらそう言うので、ミーティアは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「うん。疲れただろうし、栄養取らないとね」
チョコレートとか甘くないクラッカーもあるよ、と言ってテーブルにお菓子を置くと、皆の表情がぱっと明るくなる。
ヴァレン達を起こさないようリビングテーブルに集まって、声を潜めながら話をしていると、ピティがチョコレートを口にして嬉しそうに頰を綻ばせていた。
「ピティ、チョコ好きなんだね」
以前手がかりを探しに行く最中、チョコレートを配っていたのを思い出してそう言うと、ピティはぱっと頰を赤らめていて。
「う、うん。でも、子供っぽい、よね……?」
途端に両手を握り締めて俯いてしまうピティに、桃花は慌てて首を振ってみせた。
「そんな事ないよ。大人だってお酒に合わせて食べる人もいるし」
桃花自身はあまりお酒が強くないので殆ど飲む事はないが、酒が好きな父親や友人から、これが案外合うのだ、と聞いた事がある。
その話を聞いていたロジクも、楽しそうに頷いている。
「ワインやシャンパンによく合いますよ。それぞれの組み合わせを試すのも楽しいものです」
お酒が好きなのだろうか、そう言ってにこにこと笑顔を浮かべて話すロジクに、ピティの目は途端に好奇心で輝いていた。
「そうなの? 何だか格好良いね!」
楽しそうに話をしている二人の隣で、頬杖をついたリジェットは呆れたような顔でクラッカーを齧っている。
「子供も何も、ミーティアも大人のくせに甘いもの食いまくってるだろ」
クラッカーが甘くないせいか、チョコレートを挟んで食べるという方法で楽しんでいるミーティアは、リジェットのその言葉を気にもしていない。
確かに甘いものを好んで食べているが、そのほっそりとした身体の何処に入っていっているのか、甚だ疑問である。
「資源の少なくなっているイズナグルでは甘いものを食べられないでしょうから、その反動もあるのでしょう」
ロジクがそう言ってフォローし、ピティやホエイルが頷いて同意しているが、リジェットは片手を振ってそれを一蹴している。
「だからって、加減ってもんがあるだろ。こいつ、大袋入りの角砂糖を齧ってる時さえあんだぞ」
「そうなの?」
それは流石に身体に悪いから緊急時以外は駄目だよ、と桃花が注意すると、ミーティアは悲しそうに眉を下げていた。
暫くの間、そうして皆で話しながら休んでいたが、気が抜けてしまったせいか、ピティやリジェットがうとうとと瞼を重くしていたり、舟を漕いでしまっている。
桃花自身、皆と一緒にいる事や、いつもの家にいるような感覚に、すっかり安心しきってしまい、眠気がゆったりと訪れているのがわかって、眼を何度も瞬きさせているような状態だ。
「トーカも疲れたでしょう」
「少し休まれた方が良いですよ」
「……、でも、」
ミーティアとロジクにそう言われ、桃花は子供のように首を振るけれど、肩にブランケットをかけられてしまうと、ますます眠気が深くなってしまう。
遠ざかる意識の片隅で、おやすみ、と誰かが言っている声が聞こえていた。




