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明かりが灯る場所

 朝の食事の準備をしたまま出て行った家の中は酷く暗く、一人きりで踏み出す足が床につく度に家鳴りや足音がやけに響いていて、その度に桃花の肩は跳ね上がり、身体は強張ってしまう。

 今日の騒ぎで余計に神経が過敏になっているのだろう、と小さく溜息を吐きながら、桃花は明かりを一つ一つ灯して、リビングを見回した。

 しんと静まり返り、明るく照らされた空っぽのリビングの虚しさに、途方もなさを感じるけれど、それを払拭するように桃花は頭を振って、早速キッチンで片付けを始めた。

 朝食用に皿に乗せていたサンドイッチはすっかり乾燥してぱさついていて、サラダの為に用意していた野菜も萎びている。

 食べられなさそうなものは処分し、大丈夫そうなものは避けて片付けると、桃花は使えそうな材料でサンドイッチを作り直した。

 二人が戻ってくる可能性は限りなく低いのかもしれないけれど、僅かな可能性を信じてみたかったからだ。

 バスケットに改めて詰め直したサンドイッチに、いつもホエイルが作っている焼き菓子から日持ちがしそうなものを選んで包むと、鍋に作っていたスープの味付けを確認して、調整する。

 明日からの荷物も確認して詰めておかないと、と二階に上がろうとすると、庭がぼんやりと淡く光っていた。 

 疲れているのだろうか、と考えて頭を振り、何度も眼を瞬かせると、光は四角い形をしていて、その中から小さな人影が見える。

 それが何なのか気がついた桃花は、思わず庭へと飛び出した。


「ホエイル!」


 慌てて駆け寄りながらそう叫べば、光の中から現れたホエイルが嬉しそうに笑って抱きついてくる。

 冷たい空気に晒されていたのか、髪の毛や服まで冷たい。

 しっかりと抱き締めながら、「怪我はしてない? クトリアも平気なの?」と矢継ぎ早に問いかけると、彼女は困ったように笑って「大丈夫」と答えていて。


「トーカ、ごめんね。お兄も一度戻れたら良かったんだけど、そうもいかなくて」

「ううん。二人が無事ならそれでいいよ」


 顔を上げ、少し疲れた顔を見せたホエイルの服装は、朝着ていたものとは違う、民俗調の赤いワンピースだ。

 ゲームの中で見た服装に、少し距離を感じてしまう気がするのは、彼女がきちんと自分の役目を務めているからなのだろうか。

 寒いから、と中に入るよう促すと、ホエイルは小さく首を振っている。


「ごめんね。またすぐに戻らないといけないんだ。トーカの無事だけ確認したくて。お兄も心配してたし」


 その言葉に胸の底が震えるようで、目の前が水分を含んでゆらゆらと揺れた。

 桃花がリーヴァの街の騒ぎを掻い摘んで話すと、彼女は真剣な顔で話を聞いてくれて、聖域の森でも同じような時間帯でモンスターが暴れていたと教えてくれた。

 やはり、あちこちでディアヴルアルサーの影響が出ているのだろう。

 ゲームの中で起きる今後の展開を思い出しながら、桃花はホエイルに問いかけた。


「もしかして、森の奥にある扉に近づけるようになってない?」


 ディアヴルアルサーを倒す為には、聖域の森の奥に出来る筈の扉を開けて行かなければならない。

 扉は時空の歪みの大元に繋がっていて、其処からあらゆる場所へと行ける、と言われている。

 扉が現れているのなら、手がかりの最後のひとつを手に入れれば完全に開けるだろう。

 そう考えて桃花が問いかけると、ホエイルは首を傾げながらも頷いている。


「うん。今までは見えない壁みたいなものがあったけど、側に近寄れるようになってる。でも、何だか嫌な感じがするってお兄が言ってた」


 クトリアがそう言うのなら、これから向かわなくてはいけない場所に違いない。

 桃花は唇を噛み締めて、不安そうな顔をしたホエイルの手をぎゅうと握り締めた。


「ごめんね、多分、これからもっと大変になる、と、思う……」


 そもそもクトリア達が一緒に戦えないのは、扉の向こうからモンスターが溢れてくるからで、聖域の森から世界中に散らばらないように、抑える為でもある。

 その為に二人が過酷な状況に置かれるのだ、とわかっていた筈なのに、こうして目の前に叩きつけられた時、どうしようもなく、辛く、苦しい。


「それがホエイル達の役割だから、大丈夫だよ」


 呟いたホエイルの言葉に、は、と顔を上げると、彼女は小さく笑っていて。


「ホエイル達は、皆が安心して暮らせる為に戦ってるの」


 今のトーカとおんなじだよ、と言われて、桃花は直ぐに首を振った。


「全然、同じじゃない。二人の方が比べられない程、立派だよ」

「そんな事ないよ。トーカが頑張ってるの、ホエイル達はちゃんと知ってるよ」


 夜遅くまでずっと作戦考えたり、ディアヴルアルサーを倒す方法を憶えようとしてるでしょ、と言われて、握っていた手のひらをしっかりと握り直してホエイルが言う。

 桃花は口元を歪めて笑おうとして、上手く出来なくて、俯かせて小さな手のひらを見つめていた。

 彼女の言う通りにしていた事は確かだけれど、それは何かをしていないと不安になって、何かに集中していないと自分が駄目になってしまいそうで怖いだけだ。

 桃花は唇を緩く噛むと、着ていた紺色のカーディガンをホエイルに羽織らせてからキッチンに戻り、バスケットと小さなカゴを手にして再び庭へと出た。

 その二つをホエイルに差し出すと、不思議そうな顔をして頭を傾けている。


「サンドイッチ、大丈夫そうな材料で詰め直しておいたんだ。日持ちする焼き菓子も一緒に入れてあるのと、スープも小さな鍋に移してあるよ」

「本当? ありがとう! 実はすっごくお腹空いてたんだ!」


 嬉しそうに笑って頷いたホエイルは、顔を上げると目を細めて家を眺めていて。

 どうしたの、と問いかけると、ホエイルは何だか少し照れ臭そうに笑って言う。


「なんか、家に帰って来た時に明かりがついてて、誰かが待ってる、っていいね」


 ほっとする、と言ったホエイルの、その柔らかな表情に、桃花も頬を緩めて笑った。

 振り返って見る青い屋根の家は、ぼんやりとした柔らかい明かりで、何故だか妙に懐かしく感じる。


「良かった。私もいつも二人が家にいてくれて、凄く安心してたから」

「えへへ、ありがとう」


 いつの間にか現れた長方形の光の前に立ち、ホエイルはバスケットとカゴを抱えて、静かに息を整えている。

 いつもは見せない真剣な横顔は、いつもより少し大人びて見えるけれど、瞬きの間にはもう、朗らかに笑ってみせていた。


「お兄にも伝えるよう言われたけど、暫くは帰れそうにないから、なるべくアイト達と一緒にいてね!」


 一人じゃ心配だから、と言われて、桃花は思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 きっと今まで落ち込んでいただろう事も、不安に駆られて小さな物音にさえ怯えていた事も、ホエイルはお見通しで、それはクトリアも同じに違いない。

 離れていても二人は自分をこんなにも思っていてくれているのだとわかって、鼻の奥がつんとする。


「うん、アイト達に相談してみる」


 桃花が小さく頷きながらそう言うと、ホエイルはバスケットを目の高さまで持ち上げて少し揺らして光の方へと足を踏み出している。


「じゃあ、行くね!」

「気をつけて。クトリアにもよろしくね」

「うん! トーカも無理しちゃ駄目だよ!」


 元気よく笑ったホエイルに、出来る限りに笑って、光が消えるまで桃花は見送っていた。



 ***



 ホエイルがいなくなった後、桃花が暫く庭でその光の跡をぼんやり眺めていると、玄関の辺りで物音がしていて、不思議に思いながら足を向けると、そっと玄関扉を開けた。

 夜特有のひんやりとした空気が入ってくるけれど、扉の前には誰もいない。

 風の音だったのだろうか、と閉めようとした扉の隣を見やれば、桃色の髪を揺らした少女が壁に凭れている。


「アイト?」


 呼びかけると、彼女は困ったように眉を下げて笑い、壁から身体を離した。


「ごめんなさい、少し休んでいたの。疲れちゃって」


 そう言っているけれど、きっと、家に入ったのを見届けてから、密やかに此処で様子を見ていたのだろう。

 心配をかけていたのは理解していたけれど、余裕を無くして周囲に気を使えなくなってしまった自らを情けなく感じて、桃花は顔を俯かせた。


「ごめん、気を遣わせて」

「ふふ、何の事?」


 彼女はとぼけたふりをしているけれど、白い指先や頰がほんのりと赤くなっている。

 慌てて中に入るよう促し、リビングで膝掛けや温かい飲みものを用意しながら、桃花はそっと窓から見える庭を見た。

 光の跡さえ見えない暗闇の広がる庭は、だけどもう怖さを感じる事はない。


「ホエイルに会ったよ。心配だから、アイト達と一緒にいて欲しいって」


 そう言うと、差し出された飲みものに息を吹きかけて冷ましているアイトは、柔らかく笑っている。


「良かった。あたしも今日は一人かもしれないから、トーカがうちの家に来てくれると安心するわ」

「ありがとう。お邪魔します」


 口実をきちんと用意してくれる優しい彼女に、桃花は肩を竦めて小さく笑って目蓋を閉じた。

 これから、荷物を用意して、家を出なければならない。

 せめて、この優しい人達をこれ以上傷つけられないように、と願わずにいられなかった。

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