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資格がないから

 円形の天窓から降り注ぐ陽光に目が眩みそうで、桃花は思わず手のひらで光を遮った。

 天空図書館の広間にある天井近くまで設けられた本棚に整然と並ぶ書籍は、以前と変わらず埃一つ被っておらず、白い床は磨かれたばかりのように輝いている。

 古ぼけた紙の匂いが満ちた広間を見上げた桃花は、自らの意思に反して微かに震えた指先を握り締め、自分自身が緊張しているのをひしひしと感じていた。

 思わず指に爪を立てたい衝動に駆られてしまうけれど、先日のシージェスの言葉を思い出して、そっと指先を撫でる。

 空中に浮かぶ無数のランタンが時折光を遮るように回遊していて、今の不安を表しているかのようだ。

 もし此処にも何もなかったなら、どうしよう。

 桃花は静かに呼吸を繰り返し、星のような模様を描いた床の側へと足を向けた。

 流石に前回は何も用意していなかったのでリジェットに迷惑をかけていたが、今回はしっかりとロープを用意してある。

 近くに寄ってきたランタンの持ち手を掴み、再び空中へと行かないよう桃花が掴むと、ヴァレンは複雑な手順で器用にロープを結んでくれた。

 ロープの先には足を引っ掛けられるよう輪を作って貰ったが、落ちてしまわないか不安にはなってしまうもので、そんな桃花の不安を悟ったアイトは安心させるように声をかけてくれる。


「大丈夫よ、トーカ。ロジクとあたしがいるから、落ちそうな場合は風の魔法でクッションを作るわ」

「お願いします……」


 高い場所へ登るのは怖いけれど、以前のように皆に何らかの影響があっても困るのだから、と心中で何度も言い聞かせながら、桃花は力なくアイトに笑いかけた。

 ランタンに結んでいたロープが解けない事を確認していたヴァレンが、確かめるように頷くのを見て、桃花は覚悟を決め、短く息を吐き出すと天井を見上げる。


「ディアヴルアルサーの倒し方が載っている本を教えて」


 早くなる鼓動を抑えてそう告げると、ランタンの中央にある光は少しずつ光量を増やしていく。

 ——けれど。


「……え?」


 フィラメントが切れてしまったかのように、ランタンの光はふつりと消えてしまった。

 慌ててランタンの持ち手を軽く揺すって見るけれど、反応は全くなく、ただ空中に浮かんでいるだけ。


「恐らく、所蔵しているものの中には存在しないのでしょう」


 残念そうにそう言ったロジクは、言い方を変えてみたり、近いものを探してみては、と提案するので、桃花は頷いて、再びランタンに向き直った。


「ディアヴルアルサーの攻略法が載ってる本を教えて」

「ディアヴルアルサーの戦い方がわかる本は?」

「……っ、せめて、関連書籍でも良いから教えて!」


 まるで音声対話型のAIアシスタントと格闘しているようで、桃花はムキになって思い付く言葉を次から次に言うけれど、ランタンは全く反応を見せる事はない。


「トーカ、ちょっと落ち着きましょう」

「でも……」


 居た堪れなくなったらしいアイトが背中をそっと撫でて言うけれど、これが最後の頼みの綱だったのだ、幾ら何でもあんまりだ、と顔を覆い、桃花はしゃがみ込んでしまう。

 他に何か代わりになるようなものはなかっただろうか。

 考えてみても、一向に何も浮かばない。

 どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 微かに耳に届く皆の呼吸に、戸惑いの色が混じっている。

 唇を噛み、せめて周りが困らないように、笑わないと、誤魔化さないと、そう頭を切り替えたいのに、そう考えようとする程に、目の前が水分でぐらぐらと揺れていく。

 此処が都合の良い自分だけの世界だとするなら、こんなに思い詰めたりしなくても良いじゃないか、と、思う。

 どんなに逃げても、どうしたって目の前に突きつけられる事は、自分で首を絞めているような事ばかりで。


「せめてあのノートくらいあっても良いのに……」


 呟いて、震えた息を肺の奥底から深く吐き出した。

 立ち上がって、早く何か別の方法を探さないと、と顔を上げたその瞬間。

 ランタンが淡く光り、がくり、と振動した。

 慌てて持ち手をしっかりと握り直すと、ランタンは上ではなく、横へとスライドしていく。

 狼狽える桃花を他所に、ランタンはぐんぐんと本棚へと近づいていき、再び別の方向へと向かっていくので、振り回されるような形になってしまう。

 せめて小走りでついていける事が救いか、と歯を食いしばって引き摺られないようランタンについていくと、入り口に一番近い本棚の下段に、白く発光している一冊の本らしいものがある。

 けれど、それは前回手に入れたものとは明らかに違う、本とは呼べない程に薄っぺらいものだ。

 ランタンは途端に動きを止めて、その場所に留まったので、桃花は手を離して、本棚へとゆっくりと近づいた。

 本、というより、まるでノートみたいだ。

 そう考えながら伸ばした指先にその背表紙が触れると、あまりにも手に馴染んだ感触がして、桃花は思わずびくりと身体を震わせた。

 ノート。

 その言葉が思い浮かぶのは、幼い頃にせっせと攻略方法を書いていた自分のノートだが、引き抜いたそれは、自分のものとは絶対に違う、赤い表紙のものだった。


「嘘……?」


 呟いて、胸底が震えて何かが迫り上がってくるような、不快からなのか興奮からなのかわからない、奇妙な感覚が湧き上がっていて、耐えられずに手を離すと、乾いた音を立ててノートは床へと転がった。

 だって、私が自分で作ったノートは、青い表紙のものだったのに。

 赤は、いつも自分が使っていた色ではなかったのだから。

 赤は、いつだって、あいつが使う色だったのだから。

 呼吸が早くなって、胸元を抑え、ぎゅうと眼を瞑ると、耳の奥で血液が流れる音がする。


「トーカ様、大丈夫ですか?」


 静かで落ち着いた声にはっとして顔を上げると、側に駆け寄ってくれていたらしいロジクがそっと顔を覗き込んでいるので、桃花は静かに呼吸を繰り返すと、小さく頷いた。


「ご、ごめん。ちょっと……、吃驚、して」


 近寄ってきたアイトやヴァレンも心配そうな顔をしているので、驚かせてしまったのだろう。

 申し訳なくなって精一杯笑うと、視界の隅に取り落としたノートが目に入ったが、それは先程とは全く違うものに変化していた。

 あれ、と不思議に思って頭を振り、何度も瞬きをしてみても、ノートの表紙は、よくよく見慣れた青色だ。

 さっきまでは赤だったのに? どうして?

 何故だか途端に悲しくなってノートを拾い上げると、長い年月が経った筈なのに、幼い頃に手にしていた時のように、滑らかでしっかりとした感触がする。

 中を開くと、当時から好きだったキャラクターやお気に入りのきらきらしたシールが貼ってあったり、ゲームのタイトルロゴを一生懸命手書きしたものが色褪せずに残っていて、桃花は思わず微笑んだ。


「そんなわけ、ないか……」


 誰にも聞こえないようにそう呟いて、赤色を好んで身につけていた幼馴染を思い出した。

 まるで、彼が手を貸してくれたんじゃないか。

 そんな淡い期待を一瞬でもした自分が、何だかとても情けなくて、ぱらぱらとノートを捲りながら、甘やかな感傷に、ゆっくりと瞬きを繰り返す。

 彼とはすっかり疎遠になってしまって、ずっと会えていない。

 例え此処が都合の良い夢の世界だとしても、彼が自分を助けてくれる筈がない。

 私だって、あの時、助けてあげられなかったのに。

 幾ら何でも、それこそ虫のいい話だ。

 ただでさえ、都合の良い状況に、これ以上の何を求めようとしたのだろう。

 桃花はノートを閉じると、心配そうに見つめている皆に、眉を下げて笑いかけた。


「ごめんね、目当てのものが手に入ったから、吃驚しちゃった」


 その言葉に、ヴァレンが頷いた。

 彼は正しいことを正しいと言えるひとであって、真っ直ぐに前を向いて、突き進むだけの力のあるひとでもあるのだろう、と桃花は思う。


「これで手がかりを集め切れれば、やっと倒しに行けるな」

「……、うん」


 上手く笑えているだろうか。分からなくて視線を床に落とすと、星に似ている模様にランタンの影が映っている。


「トーカ、大丈夫?」


 他人の機微に聡いアイトが心配そうに見つめてくるので、桃花はゆっくりと顔を上げて、目尻を下げ、口元を柔らかく持ち上げた。


「平気だよ。ごめん、何だか気が抜けちゃって」

「手がかり探しの後だったもの。疲れが一気に出ちゃったのかもしれないわ。帰ったらゆっくり休みましょう」

「うん」


 言いながら、手にしたノートをそっと撫でる。

 馴染んでいる筈の感触なのに、ちっとも自分のものであるという実感が湧かなくて、何だか心細くなる、と桃花は思う。

 自分で逃げてきた場所に、未練なんてある筈がない。

 助けてあげられなかった人間に、助けてもらう資格なんてない。

 そう、そんな資格なんてないんだから、と言い聞かせるように、桃花はノートを抱き締めていた。

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