フィアチュア雪原
そっと吐き出した息が、白い。
凍りつきそうな冷たさが頰に痛みを齎していて、ひりついている。
それ程深く沈み込むような事はないけれど、少し油断をしていたら転びかねない、足場の悪い雪道に転ばないよう気をつけながら、桃花は周囲を見回した。
見渡す限りの白い景色に、時折見かける樹氷に実っている淡く光る果実が、慣れない雪道の目印になっていて、まるでクリスマスのイルミネーションみたいだな、とぼんやりと考えた。
フィアチュア雪原というこの場所で手がかりを見つけて帰る最中、先に歩いているヴァレンとロジクとの距離を確かめながら、桃花は隣にいるアイトに先日のダグキス渓谷での出来事を話していた。
脱げかけていた白い外套のフードをしっかりと被り直すと、冷たくなっていた頬がほんのりと暖かくなる。
以前マティリアという街を訪れた際、シージェスがくれたものだが、寒さにも対応していると聞いたので持ってきて正解だった、と桃花は小さく笑みを浮かべた。
「ごめんなさい、そんな事になっていたのね」
ダグキス渓谷での出来事を桃花が話すと、アイトは申し訳なさそうにそう言って頭を下げている。
ファーのついたパステルグリーンのコートに裾から覗く膝丈の白いスカート、ブラウンのレースアップブーツ。
ハーフアップの髪型も、レースで出来たリボンの髪飾りも彼女にとても似合っていて、今日のアイトは一分の隙もない可愛らしさだ。
きっと久しぶりにヴァレンと会うので、頑張っておしゃれをしてきたに違いない。
けれど、コートの裾から覗く膝丈のAラインスカートでは、戦闘の際に下着が見えかねないのでは、と心配して言ってみたのだが、彼女は得意げに笑って、ペチコートを履いているし〝舞台〟で慣れっこなのだ、と教えてくれた。
ゲームでは何ら違和感を感じていなかったが、いつもの服装でこんな寒い場所にいたと考えると、不憫でならない。
衣装が変更出来るなら、ちゃんとその場にあった衣装に変更してあげよう、無いなら装備で何とかしてあげよう、と桃花は固く心に誓ったものだが、それはさておき。
シージェスがダグキス渓谷に同行したのは、やはり彼の申し出を聞いたアイトとミーティアが相談して同意したからなのだそうだ。
あの後、へとへとになりながらも何とか手がかりを手に入れて帰って来るまで、それはもう大変だったのだけれど、お陰で随分体力もついてきたし、自身の限界も理解してきた事もあり、無理をする前に周囲に頼れるようになってきたように思える。
桃花は小さく笑ってアイトに向かって首を振った。
「ううん、大丈夫だよ。私が足引っ張っちゃってただけだし。それに、色々話が出来て良かったよ」
そう桃花が言えば、寒さで頰をほんのりと赤くさせたアイトは頷いている。
「シジェも少しすっきりした顔をしていたの。あの子も思い詰めてしまうところがあるから、トーカと似ていて心配だったのだけれど、互いに何か得られるものがあったみたいで安心したわ」
言葉の通りに、安堵から柔らかく眼を細めて笑う彼女の横顔を眺めて、桃花は頷いた。
彼が本当にそう思ってくれていたかは、素直に言ってくれそうにないのでわからないけれど、少しでも心が軽くなるような気持ちになれていたのなら何よりだ。
雪で躓かないように気をつけながら、桃花は先を進んでいる二人の歩いた後を慎重に歩いた。
アイトはよく気を遣う性格なだけあり、桃花の危なっかしい足取りにもきちんと配慮していて、転びそうになれば直ぐに腕が伸びてくる。
きちんと自分の仕事もして、久々に戦闘に加わっても全く困った様子も見せないので、桃花は素直に感心しながら、桃花は彼女に問いかけた。
「そういえば、イズナグルの人達は平気そう?」
「ええ。暫く落ち着かないだろうけれど、こっちに住み慣れてきた人達にも声をかけて、相談に乗って貰えるようにしたわ。やっぱり実際経験した人たちの話を聞く方が安心出来るでしょうし」
そこにぬかるみがあるから気をつけて、と注意しながらも、アイトは淀みなく答えている。
イズナグルにどれ程の人口がいるのかわからないが、一つの世界にいる人々が移動してくる、というのは、やはり大変な事なのだろう。
自分も含めて、住民票とか税金とか、この世界では一体どうなっているのだろう……、そう密やかに考えつつ、桃花はふと浮かんだ疑問をアイトに投げかけた。
「そういえば、あっちの人達ってどうやってこっちに来ているの?」
ディアヴルアルサーは聖域の森の奥にある時空の扉というものでしか、この世界へ移動出来ない。
だが、人間とモンスターに関しては、時空の歪みと呼ばれる、イズナグルのあちこちに繋がる場所があり、そこから行き来している筈だが、そんな簡単に不法侵入しても良いものなのだろうか、と心配して聞くと、アイトはにっこりと笑って丁寧に教えてくれる。
「時空の歪みは知っている? イズナグルの各地にあるものなのだけど、其処が定期的にこちらと繋がっていて、その時に送り出して貰っているわ」
「〝舞台〟でシジェ様や部下の人達が行き来してたり、モンスターが送り出されている所、だよね?」
「ええ、そうよ。そこは全てこちらからもイズナグル側からも厳重に警備が敷かれていて、移動の前にきちんと手続きをしてからじゃないと入れないように管理しているの」
双方で確認を取り合っているから、少し時間かかってしまうけど、と言ったアイトは申し訳なさそうに言葉を続けた。
「緊急時には手続きを簡略化させたりしようと思うのだけど、問題が多くなるから、ってシジェやミーティアにも反対されているの。せめて一時的にでも保護出来る場所を此方にも作っておけないか、対応策を考えているところよ」
今やっている事をこなしていくだけでなく、改善点も追求してより良くしていこうとしている所は、素直に感心すべき事だ、と桃花は思い、感心しながら頷いた。
「アイトは凄いなあ」
「そんな事ないわ。あたしはあたしに出来る事しか出来ないもの。正直、歯痒い思いだってたくさんしてる」
憂いを帯びた睫毛の先に一体どれだけ先の未来を見ているのだろう、と桃花が考えていると、先を歩いていたロジクが振り向いて、困ったように笑っている。
「アイトお嬢様。お話に夢中になるのは構いませんが、もう少し周囲に注意しませんと」
ロジクにそう言われ、珍しくアイトは頰を膨らませて不満を露わにしていて。
「もう、お嬢様は止めてって何度も言ってるじゃない。それに、ちゃんと見ているわ」
「それはそれは。いやはや、申し訳ありません」
「ロジクはいつもそうなのだから困るわ。ヴァレンの前では特に注意して、って言ってるじゃない」
「ふふ、そうでしたね」
ロジクは昔からアイトの世話をしていただけあって、彼女の幼さが前面に出てしまう相手らしい。
普段はしっかりとしていていて見る事のない幼いアイトの姿と、それを甘受して世話を焼くロジクの姿に、桃花はつい笑みが浮かんでしまう。
周囲を確認しながら、近づいてきたヴァレンは、その様子を見ると白い息を吐きながら柔らかく眼を細めていた。
きっと彼から見ても、珍しい光景なのだろう。
「トーカ」
「ん? どうかした?」
「手がかりは集まってきているが、奴の倒し方は分かってきたのか?」
ヴァレンの問いかけに、桃花は思わず固まって、視線を彷徨わせてしまう。
その事については、桃花がずっと悩み続けた事だからだ。
「あの、それなんだけど」
ディアヴルアルサーの倒し方は、手がかりの本にも載っていた。
が、どうにも情報が少なすぎるのだ。
決まった行動に対して決まった指示を出さないといけない上に、それを間違った途端、全滅寸前に追いやられてしまう。
その制約がある以上、完璧に対応を頭に叩き込まなければならないのに、それがわからないのでは話にもならないのだ。
せめて攻略本なり、自分でまとめたノートが手元にあれば良いのだけれど。
桃花はヴァレン達にそれらを話しながら、深々と溜息を吐き出した。
「それは、確かに不安要素が多いですね」
ロジクが心配そうにそう言うので、桃花も小さく頷く。
集められる手がかりも、もう残り少ない。
ぶっつけ本番でどうにか出来る程に甘い相手ではないのだから、僅かでも情報が欲しいのだ。
「だから、天空図書館にもう一度行ってみようと思って」
元々あの場所は知識の宝庫であるし、以前行った時にはディアヴルアルサーの手がかりを手に入れただけで、他にもあった可能性はゼロではない筈だと桃花は考えたのである。
思いつきだけの行動ではあるので、それだけで皆を同行させるのは些か気が引ける、と桃花が周囲の顔色を伺うと、けれど皆は顔を見舞わせて頷いていて。
「気にかかる事は追求しておいた方が良い」
「そうですね。後回しにして手が回らなくなるのは大変でしょうから」
「帰りに寄れるかどうか、ピティに聞いてみましょう」
すんなりと話が進んでいくので呆気になって、雪に足を取られて転びそうになってしまう所を、すかさずアイトが手を引いてくれる。
体制を整えて謝りながら、桃花は外套のフードを深く被り直した。
「このメンバーだと、何だか凄く頼りやすくて困るね」
子供扱いをされている、というか、甘やかされている、というか。
どうにも照れ臭くて逸らした視線の先、ひょっこりと顔を出したアイトは、嬉しそうに笑っている。
「良いのよ、それで。あたし達だって、トーカに頼ってるもの」
「そうなの?」
聞き返すと、ヴァレンも頷いて同意してくれた。
「ちゃんと指示も出せるようになってるだろう」
「そうかなあ」
以前よりは上手くなっているような気がしないでもないが、他の人ならもっと上手くやれるだろう、とどうしたって考えてしまう。
謙遜のし過ぎは逆効果だ、と仕事で言われた事があるけれど、やはり自信は一向につきそうにない、と申し訳なく思っていると、ロジクが優しく笑いかけてくれていて。
「出来る事は自分でも認めてあげましょう。それが、貴方の力になるのですから」
その言葉に、桃花は俯いて、足元を眺めた。
自分の事ながら、そう在れればいい、と願いながら頷いて足を踏み出す。
吹き付けた風でフードが外れかけ、頰は冷たいけれど、身体の芯はほんのりとあたたかだった。




