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ダグキス渓谷4


 突然目の前に飛び出してきた大きな鳥のようなモンスターに向かって、桃花は逸る気持ちを抑えてタイミングを見計らいながら、勢いよく小さな赤い硝子玉を投げつけた。

 硝子玉はモンスターに触れた瞬間、弾けるような音を立てて小さな炎を吐き出している。

 モンスターが怯んだ瞬間その場から走り出すと、背中越しに広がる熱さを感じながら、桃花は近くの岩場へと駆け込んでしゃがみ込んだ。

 背後から聞こえる酷い爆発音に怯えながらも恐る恐る振り返ると、赤い火花と黒焦げになった何かが空からぱらぱらと落下していて、面倒そうな顔をしたシージェスが剣を払い、軽々とトカゲの姿をしたモンスターを倒していた。

 渓谷を再び上へと登っていく間、戦闘は全てシージェス一人でこなしているが、その顔には少しも疲れを見せたりはしていない。

 ゲームでは当たり前の事ではあるけれど、現実にこうして戦いながら山登りをするなんて正気の沙汰ではないだろう、と桃花はしみじみ思い、手にしていた硝子玉を小さな箱の中へと戻した。


「そんなものまで持っていたのか」


 近づきながら手を振って剣を消し、彼がそう問いかけてくるので、桃花は苦笑いを浮かべて頷いてみせる。


「あまり効かないみたいだけど、何もないよりは良いかと思って」


 桃花が手にしている硝子玉はゲームで出てくるアイテムの一つで、簡単な魔法が閉じ込められているというものだが、あまりにも威力が弱すぎて、ゲームではほぼ使う事のなかったアイテムだ。

 雑貨店で見かけて、その見た目の可愛らしさが気に入って購入したものの、実際に役に立つ日が来るとは思わなかった、と桃花自身感心している。

 モンスターを倒す事は難しいが、戦う事の出来ない桃花にとっては、先程のように逃げる為の目眩しとして使えて丁度良いのかもしれない。

 シージェスは頷いて、暫し桃花を眺めると、すぐに先へと進んでしまう。

 様子を見ながら回復アイテムを使ったり、呼吸の仕方に注意をしたりしている為か、下に落ちてしまう前より、随分と身体も楽になっている。

 一緒にいるシージェスの行動が初めに登っていた時よりずっと早いけれど、今は上にいるだろう二人と早く合流しなければならない。

 歩き通しで足は痛むが、息苦しくなるよりはよっぽどいい、と息を深く吐き出しながら親指を人差し指で抉ると、前に進んでいた筈のシージェスが眉間に皺を寄せて近づいていた。

 のろのろしていて怒ったのだろうか、と眉を下げて笑うと、余計に顔つきが厳しくなっている。


「それは癖か?」

「え?」

「爪で指を抉っているだろう」


 そう言われて親指を見ると、指の腹に爪の跡がくっきりとついていた。

 何度かやっていたせいで、うっすらと傷跡のような筋が幾つも出来ていて、いつの間にこんな事になっていたのか、と桃花自身ひっそりと驚いてしまった程だ。


「ああ、うん、頭を切り替えたい時とか、どうしても我慢したい時とかに、たまにやっちゃうんだよね」


 出来るだけ深刻そうに感じられないように明るく言ってみたものの、彼は静かに瞬きを繰り返すだけだった。

 気まずい沈黙に、視線を彷徨わせた桃花がどうにか言葉を探していると、傷ついた指を覆うように、彼の両手がそっと差し出される。

 ほの明るい緑色の光が灯ると、じわりと温かさが伝わって、深く傷ついた跡が消えていく。

 回復魔法をかけてもらえるとは思わなくて、ありがとう、と告げると、彼は手を下ろして静かに言った。


「傷つけていると安心するのは初めだけだ」

「……シジェ様も、そうなの?」


 もしかして、そんな事が彼にもあったのだろうか。

 そう思って問い掛けても、彼は否定も肯定もしなかった。


「そんな事をしても誰も救われない。自分さえも」


 何の感情を浮かべない、まっさらな表情に、桃花は傷跡さえ残らない指先を眺めた。

 彼と自分が置かれている状況は、少しだけ似ている、と桃花は思う。

 けれど、絶対的に違うのだ、とも。

 誰かが救われているなら自分が傷付いてもいい、と思った事はない。

 自分だけが救われればそれでいい、と思った事も。

 ただ、現状を救って欲しくて、救われたくて、もがいているだけで。


「……でも、救わなきゃいけない事もあるでしょう?」


 彼はそれを一番よくわかっている人物の筈だ、と考えて、桃花は更に問い掛ける。

 自分の住む世界を救う為に他の世界にまで乗り込んで来たのは、彼の意思でもあるし、他の人に望まれた結果でもある筈だ。

 自らの意思でやろうとしていた事が、いつからやらなきゃいけない事になってしまうのだろう、と桃花は思う。

 ぎゅうぎゅうに詰め込まれた満員電車と、息苦しく感じる街の中から見えた青空、笑顔を張り付かせて関わる人々。

 窓すらない部屋の中に閉じ込められているみたいで、いつも逃げてしまいたくなるのは、自分自身のせいだって、わかっている筈なのに。


「誰かを救いたい人間は、救うだけの力や支えを持たなければならない。自らが揺れていれば、手を掴んだ瞬間、揃って奈落に落ちるぞ」


 彼はそう言って、冷たい氷にも似た眼で真っ直ぐに見つめてくる。

 痛い所を明確に突いてくるのは、指に食い込ませた爪の痛みによく似ている。


「だけど、自分を信じる事って、そんなに簡単じゃあ、ないよ」


 だって、でも。口を吐く言葉はまるで子供だ。

 彼の方が年下なのに、と自嘲気味に笑って、桃花は眼を逸らした。

 いつだって揺れるし、いつだって怖いし、心はいつだって抉れてしまいそうだ。

 他の人ならもっと上手くやれていたのかもしれない。

 だけど、私は私以外には、やっぱりなれないのだし、それでいい、と言っていくれる人だっている。

 それでも、震える足で一歩踏み出す時は、怖くて苦しくて仕方がない。

 先が見えない不安に、押し潰れてしまいたくなる。いつだって。


「私はシジェ様みたいに確固たる想いで世界を守りたいわけじゃない」


 ただこの場所を守りたい、だけ。

 それだって、逃げ場所を守りたいだけなのかもしれないのだから、本当に意地汚い人間だ、と思いながら桃花が唇を噛み締めれば、彼は緩やかに首を振っている。


「僕だって、姉様と姉様が住まう世界を守りたいだけだ。それだけの事で今までやってこれた」


 それが結果的に自分の世界を守る事になっただけだ、と言っているのだろう。

 その為に自分が傷ついても良いとは、だけど、彼は言いはしなかった。

 だとしたなら、彼はどうして真っ直ぐに前を向けたのだろう。


「一度も折れたくなる時はなかったの?」


 不思議に思って問い掛けると、彼は口ごもり、少し困ったように、口を開いた。


「……、なくはないが」


 言いながら、大きく息を吐き出して、彼は懐かしむように眼を眇めている。


「ずっと、がんばれ、と言ってくれた人がいたから」


 〝舞台(ステージ)〟では悪人呼ばわりされている事も少なくはなかったのに、と付け足すので、桃花は思わず顔を顰めてしまう。


「シジェ様は悪人じゃないし」


 間髪入れずにそう言えば、彼は大きく眼を瞬かせてから、困ったように肩を竦めていた。


「姉様と共にいられるように自分も頑張るから、一緒に頑張ってくれ、と。そう言ってくれた人がいたから。だから、平気だった」

「それ、私だったりして?」


 ゲーム画面に前のめりになりながらそんな事を言っていたような記憶があったような気もしたので、ふざけた調子でそう言うと、彼は腕を組んで今までにない程、顔を顰めている。


「お前なわけがあるか。もっと純粋で優しそうな子供の声だった」

「じゃあ絶対に違うね」


 純粋さも子供らしさも大分昔に消えてしまった、と肩を竦めれば、珍しく彼は大きく眼を瞬かせると、口元に手を当てている。

 どうしたのだろう、と思えば、次第に肩を震わせて、くすくすと声を漏らしているので、桃花は思わずあんぐりと開けてしまった口を隠すように両手で塞いだ。

 彼が笑うという事は、ゲームの中でも殆どと言っていい程に見る事が出来ないのだ。

 笑うと年相応の幼さが前面に出ていて、姉弟のせいか、ミーティアの笑い方にとても良く似ている。

 嬉しくなってつい頰を緩めて見つめていると、その視線に気づいた彼は、また顔を顰めて咳払いをしていて。


「さっさと戻るぞ。もう少し行けば二人に合流出来るだろう」


 そう言って、やっぱり振り向く事なく先に行ってしまう。

 自分と同じように、少しの言葉や優しさを支えにして頑張っているひとがいるのは、ささやかな事ではあるけれど、何だかとても嬉しく思える、と桃花は思って、その背中を追いかけた。


 ***


「このクソババア!」

「本当に申し訳ございませんでした……」


 中腹辺りで無事に合流出来たヴァレンとリジェットは、渓谷を下りながらずっと探してくれていたそうで、流石に大分心配をしてくれていたらしい。リジェットに至っては、桃花の頰を摘んで思い切り引っ張って烈火の如く怒っている状態だ。

 それだけ心配をかけてしまったのだろう。摘まれた頬が痛いけれど、彼の気持ちもわからないでもない、と桃花がなすがままにしていると、ヴァレンが制止してくれている。


「無事で良かった。怪我は? 具合はもう平気なのか?」


 頰を引っ張る事は止めてくれたものの、頭に腕を乗せて文句を言ってくるリジェットを宥めながら、桃花はヴァレンの先にいるシージェスを眺めた。

 相変わらず側には居てはくれないが、周囲の様子には気を配っているらしい。


「シジェ様が治してくれたから大丈夫。此処に来るまでも助けてくれたし、身体も慣れてきたよ」


 笑顔でそう言えば、ヴァレンは安心したように笑みを返してくれる。

 二人も合流するまでに大変だったのだろう、服も少し汚れているし、流石に疲れが滲み出ていた。

 申し訳なさからもう一度謝ると、ヴァレンは首を振り、離れた場所にいるシージェスの側に歩み寄って手を差し出している。


「シージェス、トーカを助けてくれてありがとう」


 差し出された手を横目で見たシージェスは、視線を戻して軽く息を吐き出した。


「お前の為じゃない」


 そう言って少し怒ったような顔で歩いて行ってしまうので、桃花はヴァレンを手招きすると、ひっそりと声を抑えて告げる。


「シジェ様、多分ちょっと照れてるだけだから」


 その言葉に、ヴァレンは不思議そうな顔をしていて。


「そうなのか?」

「お前ら、うるさい! 黙っていろ!」


 顔を顰めて怒るシージェスは、それでも皆が見えない所まで行ってしまう事はない。

 頭上に乗せられた腕が離されてリジェットの方へ向けば、可笑しそうに笑っているので、素直じゃないなあ、と桃花も笑っていた。


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