クトリアとホエイル
桃花がヴァレン達と出会ったのはリーヴァの街という、近代的で機械やビル等が多い、海沿いにある賑やかな港街である。
新宿歌舞伎町の雑多で賑やかな感じと、横浜赤レンガ倉庫のレトロで華やかな感じを合わせた街、というのが桃花の見解で、ごちゃごちゃしているけれど、桃花にとっては大好きなゲームの、思い入れのある大好きな街の一つだ。
けれど、矢張りゲームで見知っていた筈のマップとは、広さが各段に違っている。
何度も繰り返しプレイしていたとはいえ、ここ最近はずっとゲームには触っていない桃花にとっては懐かしさの方が大きく、朧げな記憶と眼に見える世界との擦り合わせに、目が回りそうだ。
基本的には港に近い方がレンガ造りの倉庫街。
そして、街中に入って来ると、配管が這い回っている古ぼけたビルが多く立っている。
大型のテーマパークのように、街の果てには大きな壁や背の高い鉄製の柵で仕切られていて、其処から見えるのは所謂ワールドマップなのだろう、夜のせいか、外灯にうっすらと照らされた道とは違い、何処までも続く原っぱと木々は果てし無く続きそうな暗闇に溶け込んでいて、気分が高揚するというよりは、先に見えない何かが潜んでいそうな不安からか、恐ろしさの方が勝ってしまっていた。
これからの事をアイト達に勧められて、桃花はレムルの宿屋から二人で目的地まで一緒に歩いているが、アイト以外とはレルムの宿屋で別れている。
ヴァレンはともかく、カマルとソレルには良くしてもらった上に世話になったので別れも惜しかったが、困ったらレムルの宿屋の辺りによくいるから、と最後まで優しく送り出してくれたのだ。
このままの状態が続くのかどうかは定かではないが、いずれ彼等に何かお礼が出来れば良いのだけれど。
そう考えながら歩いている道は、コンクリートから未舗装路に変わり、風景も素朴な煉瓦造りの家や、手入れの行き届いていない街路樹といった緑が増えてきている。
辛うじて等間隔で外灯はあるけれど、住宅が少ないので、田舎の夜道よろしく、先が見通せない。
街中は複雑で入り組んだ道が多いので、一度通っただけでは憶えるのが難しく、郊外に至っては緑が多く景色が単調な上にこの暗さだ。
来た道を戻れと言われた所で、到底戻れない事だろう。
女性二人で夜道を歩くのもどうかと思ったが、アイトは別段気にしていないらしい。
彼女は昔のゲームヒロインにしては珍しい、素早さと回復魔法に特化したタイプのキャラクターで、二つの短剣を手に相手を翻弄しながらも、味方を癒す魔法も使えるという、自ら戦えるタイプのヒロインだ。
レベルにも依るのだろうが、暴漢に襲われても返り討ちにしてしまえる程度の実力はあるのかもしれない。
これから訪れるのは、クトリアという男性の家だとアイトは言って、身寄りの無い桃花を預かって貰えないか交渉してくれるという。
幾ら何でも怪しい女を一人住まわせてくれ、等と願い出るだなんて厚かましいにも程があるが、カマルやソレルの勧めもあり、素直にその親切に応じたのだ。
しかし、クトリアというのはゲームに登場するノンプレイヤーキャラクターであり、作中でも屈指の強さを誇ると言われる人物である。
森人と呼ばれる一族の末裔で、とある世界とこの世界を繋ぐ、聖域の森を守る衛兵の一人だ。
(聖域の森はリーヴァの街から大分離れてたし、ホエイルと二人で〝聖域の森〟に住んでた筈だけど……)
なのに、彼は妹であるホエイルと一緒にリーヴァの街外れに住んでいるという。
聖域というだけあって、妖精や精霊が住むような幻想的な森の中で使命を全うし、森深くに建てた家で慎ましく住まう最強の兄とその妹、というイメージからかけ離れてしまったのは悲しいが、それにしたって、都会に近い街並みには不似合いだ。
辿り着いた彼等の家が、他とは違う、ログハウス風の家だったのがまだ救いだろうか。
尖り屋根は青く、しっかりした木を組んだ家の大きな窓からは、何処かほっとするような、あたたかみのある灯りが漏れている。
深い緑色に塗られた大きな玄関扉にはピンクや黄色の花で出来たリースが飾られ、金色の飾り取っ手も絵本で出てくる外国の家のようでとても可愛らしい。
「此処よ。素敵な家よね」
「は、はい」
桃花が緊張して固まっているのをわかっているのか、アイトは気を遣って色々な話をしてくれる。
思っているよりもずっと顔が強張っているのかもしれない。
桃花が緊張ですっかり冷たくなってしまった指先で、指で頰を引き上げながら気合を入れていると、アイトはにっこりと笑いかけてくれる。
「大丈夫よ。怖い人達ではないから」
その言葉にしっかり頷くと、ドアノブに手をかけるどころか、チャイムすら鳴らしてもいないのに突然扉が開き、アイトが庇うように目の前に立っている。
若いながらに堂々としていて気遣いも完璧な彼女は、その事には全く気に留める事も無く、軽く手を上げてドアを開けた人物に挨拶をしていた。
「ご機嫌よう、クトリア」
「やあ、アイト」
そう挨拶を返す彼は、想像よりもずっと背が高く、桃花は思わず驚いて、アイトの後ろから覗き込むように見上げてしまった。
カマルとソレルも身長が高かったが、それよりも大きいので、190cmほどはあるだろうか。
ゲームではイラストやグラフィックが出るし、細かい設定も攻略本には載ってはいたが、実際に体験してみると違うものなのだ、と改めてわかる。
活発そうな淡いグリーンの短髪とは裏腹に、小さく笑みを浮かべているだけなのに、垂れ目のせいか優しそうな雰囲気があり、鍛えてはいるが均整の取れた体格は、バスケット選手のようである。
ざっくり編んだアイボリーのニットや、履き込んだジーパンという格好は、しかし、ゲームでの衣装とは全く違って大分ラフなものだ。
ゲームの時は、黒っぽいハイネックのシャツに民族風の刺繍が付いたベストや金属の細かい装飾品、ベルトで押さえたファーのついた腰巻きとポケットが沢山付いたカーゴパンツ、といった格好だったのだけれど。
勿論、そんな格好では家で過ごし難いとは思うが、それにしたって、と桃花があれこれ考えながら軽く頭を下げると、彼の黄金色の瞳は猫のようにすっと細くなっていた。
「夜分遅くにごめんなさい。申し訳ないのだけれど、世話をして欲しい人がいるの。少し訳ありで」
「成程。中にどうぞ」
歓迎していない、のだろうか。
優しげに見えるが、どうにも表情の振れ幅が小さい為か、感情が捉え辛く、何を考えているかわかり難い。
その上、レベルを最大限上げた主人公が戦っても倒せないだろう、とまで言われる程での強さを誇り、様々な事情で実際にパーティに参加したり戦ったりはしないのだが、設定上では最強クラスに入る人物だ。
ゲームでは優しいお兄さん、といった性格だったが、果たしてどうなのだろうか。
クトリアの大きな背中が家の中へと入っていくのを見つめながら不安になって固まっていると、アイトが心配そうに振り返って、桃花の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫よ。クトリアは信頼出来る人だし、とても強い人だから、心配いらないわ」
確かに強いのは知っているし、見た目も優しげな好青年だが、ヴァレンもアイトも性格が違い過ぎるのだから、クトリアもその可能性は高い。
あの見た目で暴力的だったり攻撃的だった日にはトラウマで立ち直れない自信がある。
クトリアが家の中に入っていったのを確認してから、桃花は唇を緩く噛んで、アイトに問い掛けた。
「その……、怖く、ない?」
アイトは大きく眼を瞬かせると、両手を口元に当ててから、くすくすと可愛らしい声で笑い始めたので、今更ながら、子供のような事を言ってしまった! と羞恥で顔が一気に熱くなった。
だって、でも。そう子供じみた発言をしてしまいそうで俯くと、アイトが頭を優しく撫でてくれる。
美少女に子供扱いされるというのは大人としては複雑だが、大好きなゲームのキャラクターにされているのだから、ありがたい、と素直に思うとして。
「そうね、カマルとソレルくらいには優しい人、って言ったら安心出来るかしら?」
ただ、少し口下手だから誤解されやすいかも、と付け足すと、戯けるように両手をぱっと開いて見せるので、桃花も思わず気が抜けて笑ってしまった。
「ごめんなさい、子供みたいに」
「良いのよ。突然知らない所から来たのだし、何だか複雑な事情があるみたいだから、不安な事も多いでしょう? 無理もないわ」
行きましょう、と促されて家の中に入ると、シトラスとハーブを混ぜたような、爽やかで柔らかい香りがする。
あたたかみのある木を組んだ家の中は、民族調の織物や素朴な花々をドライフラワーにしたものを飾ってあったり、優しくあたたかな雰囲気の家だ。
広いリビングに通されると、中央には木製のリビングテーブルが置かれ、左側にはカウンターがあり、その先はキッチンらしい。長い髪の女の子が忙しなく動いている。
彼女がクトリアの妹だろう。
中学生くらいに見える彼女は、クトリアと同じ髪色の長い髪を二つに分けて三つ編みをしているが、その長さは足首辺り程もあり、まるで、魔女に依って高い塔へ閉じ込められたおとぎ話のよう。
眉の上で切り揃えた前髪は幼さの象徴の様で、ピンク色のスカートやたっぷりとしたレースのブラウスが、その印象を補強している。
彼女はにっこりと笑い小さく頭を下げると、リビングテーブルに着いたクトリアの前の席を促すので、アイトと共に桃花も席へ座った。
「自己紹介がまだだったわね。彼はクトリアよ」
「初めまして」
「は、初めまして、桃花です」
簡単に紹介し合いながら座る席の居心地の悪さは、自身が異物なのだと知らしめられるようで、何処かそわそわするものだ。
クトリアは小さく笑んだまま、暫し無言になるので余計に落ちつかなくなるが、アイトを見えてもあまり気にした様子が無いので、これが彼のリズムなのだろう。
おっとりしていて落ち着いた雰囲気は、少しだけ自分の父親に似ている、と桃花は思った。
仕事人間で寡黙な父親はあまり笑わなかったが、常にのんびりとした空気を纏っていて、家族が声を荒げていたとしても、相手が落ち着くまであまり口を開かない人だった。
その父が選んだのが世話好きで話好きな母親で、家に居ても外に居ても忙しなく動いている人だが、彼の妹もそういった性質なのだろうか。
慌ただしく動いていたかと思えば、木製のトレイいっぱいに物を載せてリビングテーブルに置くと、楽しそうにテーブルへセッティングを開始している。
カップやポットが次々とテーブルの上に並べられると、美味しそうな香りが辺りに広がっていた。
「こっちは俺の妹のホエイル」
「よろしく! これ、熱いから気をつけてね!」
「ホエイルちゃん、ごめんなさいね、急に押し掛けて」
「ううん、気にしないで! お客さん来るの嬉しいもん!」
お姉さんもゆっくりしていってね! そう笑いかけると、丸く大きな瞳は好奇心に瞬き、次から次へと焼き菓子や軽食等を出してくれる。
元気良く受け答えをしているホエイルは、ゲームでも脇役で、クトリアより目立たなかった事もあり、性格ははっきりしていないが、溌剌としている働き者、という印象だった。
ゲームでは服装も民族調の赤いワンピースだったけれど、年相応でゲーム内の印象と然程変わりなく、また、性格に関してもあまり変わらないようなので、全てが変化している、という訳ではなさそうだ。
優しい兄と元気な妹。
そんな絵に書いたような兄妹と思っていた二人は、此処では少し違うが、お互いの足りない所を補って生きているように見える。
差し出されたカップを手に取ってまじまじと見るとと、花の蕾のように丸みを帯びた形と淡いピンクのパステルカラーが可愛いもので、思わず桃花は笑みを浮かべてしまった。
ポットから注がれたのは、見た目も味もコーヒーに似ている飲み物だが、此処ではクラフトマーガレットティーというらしい。
白地にマスカットグリーンの縁取りが入ったポットには、繊細な金の花柄模様が付いている。
高級そうな造りだが、平然と使っている辺り、好きなものを大切に使う事の出来る性質なのだろう。
物を直ぐ壊してしまいがちなので、大切な食器は食器棚に仕舞い込んでいる桃花には、とても羨ましい性質だ。
アイトは飲み物で唇を湿らせると、事の経緯を二人に話し始めていた。
「それで、トーカを暫く此処に置いて貰えないかしら? 遠い所から来たそうなのだけれど、住む場所も行く宛もないそうなの」
改めて他者から自らの現状を聞く、というのは何だか迷子の子供のようで、落ち着かない、と桃花は思う。
アイトの話を集中して聞きながら、クトリアとホエイルの様子を良く観察したが、表情をころころと変えるホエイルとは違い、クトリアは眉一つ動かさず、じっと話を聞いている。
〝合図〟や〝舞台〟と言うものを知らず、行く宛も元の場所への帰り方もわからない、そうした事情を話した時でさえ、ホエイルが口を大きく開けて驚いているのに対し、クトリアは、そうか、と呟いたきり。
ヴァレンもそうだが、この世界の主要男性キャラクターは動じないようにでも出来ているのだろうか、と桃花が疑う程だ。アイトが彼に対してどう感じているかはわからないが、冷静に話しているので、本当に口数が少ないだけかもしれない。彼女は困ったように眉を下げると、二人へ更に頼み込んでいる。
「女性一人で心配だし、面倒を見て貰えると助かるのだけれど……」
隣で様子を伺っているばかりでは申し訳なくて、桃花もその言葉に慌てて頭を下げて、思いつく限りの事を精一杯話すが、会ったばかりの上に知らない事ばかりの人間の言葉が果たして伝わるだろうか、とみるみるうちに不安でいっぱいになってしまう。
「あの、早めに働き口も住める場所も探しますし、滞在中はお手伝い出来る事は全てやらせて下さい。なるべくご迷惑かけないので、どうかお願いします」
就職活動の面接や仕事でのクレーム対応を思い出しながら、席を立って思いきり頭を下げると、大きな手のひらが目の前でひらひらと動かされたので、思わず桃花は慌てて顔を上げた。
クトリアが、座りなさい、と言うように動かしていたその手を下げるので、おずおずと座ると、アイトが背中を撫でてくれている。
ありがとう、とアイトへ告げると、彼女は優しく笑ってくれていて、飲み物を一口カップから飲み込んだクトリアは、小さく息を吐き出すとしっかりと頷いていた。
「畏まらないで良い。〝合図〟や〝舞台〟を知らない女性を、一人で外に放り出す方が心配だ」
家の事を手伝って貰えるなら面倒を見るし、他を当たらなくても構わない、と付け足すと、また口元を僅かに緩めて笑うばかりだが、どうやら許可が貰えたらしい。
ほっとして何度も頭を下げて礼を言うと、長い三つ編みを揺らしたホエイルもにっこり笑って桃花の手を握ってくれる。
「ホエイル達と居れば〝合図〟もわかるし、お兄がいるから何かあっても大丈夫だよ!」
とっても強いんだから! そう言っている彼女も最強キャラクターの妹だ。それなりに強かった筈だが、言わぬが花という事だろうか。
けれども、どうにかこれで一先ず露頭に迷うという事は無いのだ。そう安心して一口飲み込んだコーヒーに似た飲み物は、コーヒーとしては少し味が薄いが、香りが良くすっきりとしているので飲みやすい。
甘味が苦手だというアイトも気に入っているようで、暫しカップを揺らして香りと味わいを楽しんでいたのだが、壁にかかった時計に視線を向けた途端に、慌てて立ち上がっていた。
「いけない、もうこんな時間だわ! ごめんなさい、今日は失礼するわね」
彼女も何か事情があるのだろう、ゲームの冒頭では訳有り少女だった彼女の正体は、リーヴァの街を支える大企業のお嬢様だったのだから、此処でもその可能性は高いのだし、だとしたら門限でも設けられているのかもしれない。
よく考えれば、彼女の話し方や落ち着いた立ち振る舞いも、そういった育ち方だったから、なのかもしれない。
周囲へ迅速に、けれど、失礼を欠く事なく挨拶をすると、そつなく玄関に向かう辺り、忙しい中で此処まで来てくれたに違いない。
玄関を出ると、外は来た時と変わらず薄暗く、少し肌寒いくらいで、アイトは一度空を見上げてから軽く息を吐き出すと、柔らかに笑った。
中から漏れる優しい灯りに照らされたその笑顔はとても、綺麗。
「また明日様子を見に来るわ。クトリア、ホエイルちゃん、申し訳ないけれど、よろしくね」
「わかった。アイトもお疲れ様」
挨拶を交わしていく三人の様子を見ながら、アイトにお礼を言わなければ、と桃花がそわそわと視線を動かしていると、アイトはそっと顔を覗き込んでいて。
不安そうな顔をしていたのだろうか、「大丈夫」とでも言うように小さく頷いてくれている。
「今日は疲れたでしょう? ゆっくり休んでね」
「あの、忙しい中、ありがとう。今度改めてお礼をさせて下さい」
「わかったわ。楽しみにしてる」
アイトは桃花を不安にさせない為だろう、笑顔で別れの挨拶を交わすと、元来た道へ帰りながら、何度も振り返って手を振ってくれていた。
三人でそれを見送ってから、名残惜しく誰もいなくなってしまった道を見つめていると、ホエイルがにっこりと笑って中へ入るよう手を引くので、桃花は慌てて家の中に入ったが、ふと、窓の外を見て景色を眺めてみる。
あのコンサートから帰る道は、こんなにも寂しかっただろうか、と思いながら。




