ダグキス渓谷
「何だってこんな事になってんだよ……」
乾いて砂っぽい風に髪を靡かせながら、響いてくる苛立ちを含んだ声に、桃花は思わず腹の底から息を吐き出した。
赤い土が蓄積したような大地を長い時間をかけて削っていったように、深く抉られた谷が広がっている、此処は、ダグキス渓谷と呼ばれる場所である。
人が歩けるような道が出来てはいるが、標高も高く、気軽にハイキングをするような生易しい場所ではない。明らかに、それなりの山装備の方が良いのだろう、と思われる程の場所だ。
所々生えている植物もそこらでよく見かけるようなものではなく、少ない水分や寒暖差に強いだろうもので、この環境の過酷さを物語っている。
流石に普段着のような気軽さで来れる場所でないだろう、と、マウンテンパーカーのように撥水性のある生地の上着を着用し、靴もソールが硬く滑りにくいトレッキングシューズに似たものを履いている。
ホエイル達に相談して、それらしいものを売っている店を教えて貰い購入してきたものだが、着心地も良く丈夫そうなので、先々で役に立ちそうだ。
そういった場所なので、幾らパーティメンバーとはいえ、流石に体力の少ないメンバーを連れてくるのは憚られ、相談した結果、ヴァレンとリジェットの二人には来て貰ったのだけれど、最後の一人を、回復魔法を使えるアイトかミーティアのどちらかにする予定だったのだ。
だけど。
「アイトかミーティアが来る筈だろ。何でてめーが此処にいんだよ」
リジェットの声が荒れ果てた大地に響き渡る。
目の前にいる少年は、その声にほんの僅かも怯む事はない。
ウェーブがかった薄い琥珀色の髪に、透き通る氷のような青い瞳、中性的で整った顔立ちは、まだ微かに輪郭に幼さが残っている。
肌寒い気候のせいか、その服装も黒いロングジャケットに皺一つなさそうな白いシャツ、グレーのワイドパンツにカーキの編み上げブーツ、といった格好だ。
足が細くて長いとワイドパンツを履いていても太って見えなくて良いなあ、等と明後日の方向へ思考を飛ばそうとしてみても、現実は変わりはしないので、桃花は腰に手を当てて、再び溜息を吐き出しながら横目で隣にいるヴァレンの顔色を伺う。だが、彼は彼で周囲の様子を確認をしているらしく、二人に干渉してくれるようには到底思えない。
彼はいつものように、服装は赤い厚手のジャケットとグレーのチェックパンツ、白いシャツにはグレーのカーディガンを合わせて、足元は黒いブーツだ。
冷たくなってきた指先を両手で揉み込みながら、桃花はシージェスに噛み付くように文句を言っているリジェットを止めた。
青いスカジャンとくすんだ黄色と青のチェックシャツに白のダメージジーンズ、という格好なので、どう見てもヤンキーがお坊ちゃんに絡んでいるようにしか見えない。
「待って、リジェット。ちゃんとシジェ様に話を聞こうよ」
そもそもアイトかミーティアが来る筈だったのに、後で〝ゲート〟でどちらかと合流するから、という二人の言葉に甘えて此処へ来てみれば、彼——シージェスがいたのだ。
アイト達が約束を破る事は考えられないので、彼の独断か、何らかの理由があるのだろう。
しかし、と考えて、桃花はリジェットの前に立ち、二人の距離を引き離す。
仲が悪い気がしてはいたけれど、シージェスのすました態度も相まって、リジェットの機嫌は最悪だ。
どうにか宥めてシージェスに問いかけると、彼は事もなげに言ってみせる。
「姉様とアイトは先日までの仕事で大変疲れている。それなのにこんな場所にまで連れて行くなど、正気の沙汰じゃないだろう」
ミーティアの事なら手段を選ばなそうな彼らしい言葉だが、それだけならアイトやミーティアも彼を丸め込む為に黙ってはいない筈だ。
不思議に思って頭を傾けると、ヴァレンも訝しげに顔を歪めている。
「アイトやミーティアはそうやわじゃないと思うが」
悪気の無い彼の言葉に、シージェスは冷たいアイスブルーの瞳を鋭く向けると、吐き捨てるように言った。
「貴様は黙っていろ。吐き気がする」
あまりの言い方にヴァレンを見るが、何故シージェスの機嫌を損ねたのかわからない、と言わんばかりに不思議そうに頭を傾げている。
最近になって漸くわかってきた事だけれど、ヴァレンは〝ステージ〟に関する事以外には寛容な性格をしている。
勿論間違っている事は間違っているとはっきりと言う性格だが、自分の感情のままに怒るという事がないのだ。
正に戦隊物のリーダーという感じだな、と桃花は再び思考を明後日の方向へ飛ばして現実逃避を図るけれど、リジェットの喚き声でやはり直ぐに引き戻されてしまう。
アイトやミーティアがいてくれたなら緩衝材になってくれたに違いないが、此処に彼女達はいないので、桃花自身がどうにかしなければならないのだ。
「ま、まあまあ。シジェ様いるなら回復も攻撃も魔法も全部出来るし、問題ないんじゃない?」
そもそも彼はラスボスだ。
剣と魔法どちらも使える上に攻撃自体が強い。その上、回復魔法まで使用出来るのだ。味方としては申し分ない人物である。
ゲームでも二周目に裏ボスを倒すのならいっそシージェスが仲間になって連れて行ければ良いのに、と桃花が思っていた事は一度や二度ではない。
そのシージェスが、まさか本当に連れて行けるとは思いもしなかった! と桃花は内心感激しながらも、リジェットの怒りに満ちた声に現実に引き戻された。
「はあ? ぜってー嫌だし」
「リジェット、ちょっと待って。先に話をさせて。お願い」
「何も話す事ねえだろ。あのガキ、さっさと帰らせろよ」
「そこを何とか」
「何とも出来ねえから」
怒っているリジェットは大抵真剣に話せば落ち着いてくれるけれど、今回ばかりはなかなか引いてくれそうにない。
どうしようかと桃花が頭を悩ませていると、漸くヴァレンがリジェットを制止してくれる。
「リジェット、トーカの言う通りにしておけ」
「……、わあったよ」
行儀悪くしゃがみ込んで睨んではいるが、流石にヴァレンの言葉には効果があったようで、リジェットはそれ以上文句を控えている。
桃花はその様子を確認すると、腕を組んでつまらなそうに溜息を吐き出しているシージェスに向き直った。
「シジェ様は私達に協力しても良いと思ったから、此処に来てくれたんでしょう? そうじゃなきゃ、ミーティアとアイト以外の誰かを連れて行けばいいだけなんだし」
その言葉に、彼は否定も肯定もしなかった。
聞いていない、のではなく、答えたくない、のだろう。
先の言動からもヴァレン達とはあまり仲良くしたそうには見えなかったし、何かわだかまりのようなものがあるのかもしれない。
その透き通る青い眼をじっと見つめてみても、彼は少しも怯む様子はなく、揺れ動く事もない。
真っ直ぐな彼らしい、と桃花は苦笑いを浮かべて口を開いた。
「でも、イズナグルの方は平気? モンスターも増えているみたいだし、忙しい中で此処に来るのは大変だったんじゃない?」
問い掛けに、彼はゆっくりと瞬きを繰り返すと、小さく息を吐き出している。
「お前が気にする程の事は起こってない。それに、お前達がどの程度戦えるかも確認しなければいけなかったしな」
成程、それが本心か。
桃花は納得して、小さく何度も頷いた。
それならアイトやミーティアが止めなかった意味がわかる。
桃花自身がパーティメンバーにどう指示を出しているのか、それは適切なのか、きちんと皆と連携が取れているのか……、イズナグルへの影響があったときの事を考えて不安になるというのなら、納得出来る理由だ。
まあ、ミーティアを安全に任せられるか、という事も大半を占めてはいるだろうけれど。
監査みたいなものかもしれないが、彼の立場からしても、見極めておかなければならないに違いない。
それに、素直ではないけれど、多少こちらの事も心配しているらしい事が理解出来たので、桃花にとって、それは嬉しく思える事だ。
「そういう事なら、皆で協力して手がかりを探しに行こう」
「はあ?」
「それに、シジェ様が此処に来れるって事は、同行しても問題ないんじゃない? 問題あったら前みたいに何らかの影響がある筈でしょう?」
それはそうかもしれないけど、と口を尖らせているリジェットの両手を掴んで立ち上がらせながら、桃花は他の二人の顔をそれぞれ見つめて頷いた。
「余計な体力使わない内にさっさと行こう! ほら、早く早く!」
此処は体力勝負なんだし、と言えば、リジェットは顔を顰め、足を踏み鳴らして先に行ってしまう。
「リジェット、待って。此処は危ないから落ち着いて行こうよ」
頰を膨らませて怒っているリジェットに駆け寄り、声をかけて宥めながら、桃花は深く溜息を吐き出した。




