パドリエスパ遺跡3
踏み入れた薄暗い部屋の中は先に進むと大きな広間になっていて、吹き抜けになった天井や柱は所々崩れ落ち、床にはタイルや硝子の欠片が散乱している。
正面にある大きな窓には濃淡の違う硝子がステンドグラスのように組み込まれていて、陽光に照らされて床や壁に波間に似た模様を映し出していた。
美しい光景ではあるけれど、その奥からは先程から何かが引き摺られているような、何かが擦り合わされているような、思わず耳を塞ぎたくなる耳障りな音が響いていて、奥に大きな塊が蠢いている。
少しずつ少しずつ、その存在を見せつけるように這いずって広間の中央に現れたものは、天井から漏れる光で姿をはっきりと映し出している。
ゆらゆらと狙いを定める頭と細長く巻かれた大きな体に光沢のある赤色の鱗、赤い口から覗く鋭い牙、その間から忙しなく動く二股の舌……、隣で首を傾けたミーティアは「おっきい蛇だねえ」等とのんびり言っているが、今まで見てきた敵はどれも、自分の背丈の半分程しかない小さなものばかりで、大型のものを見るのは初めての事だったのもあり、桃花は思わず身体を震わせてしまう。
リアルな見た目であまり気持ちがいいものではなく、金色に輝く瞳と長く開いた瞳孔が向けられると、胸元がじりじりと煮詰められていくようで気持ちが悪い。
息苦しささえ感じる呼吸をどうにか誤魔化そうと息を吐き出すと、桃花は唇を噛み締めた。
「行くぞ」
いつもより低い声でそう言うヴァレンに頷くと、彼とリジェットが敵の前へと駆け出していく。
左右に分かれ、ヴァレンは左、リジェットは右から攻撃を繰り出した。
此処での戦いは、今まで通りヴァレンとリジェットが敵を抑え、ミーティアは後方で魔法攻撃と回復をする、というのを基本的な行動としている。
前衛の二人にはどちらかが怪我をしたら直ぐに引いて回復に専念し、その間は片方は敵を引きつけてカバーに回るように伝えてある。
ゲームのように細かく指示を出さなくても良いので桃花にとっては大変有り難いのだが、その分、しっかりと皆の動きを観察して指示を出さなければならない。
傷つけられる所を見る事も、傷つける所を見る事も、本音を言えば、どちらも怖い。
右手を左手で握り締める事で落ち着かない気持ちを抑えながら、桃花は皆の動きに集中した。
ヴァレンは引き抜いた刀を左右に素早く振り攻撃を加え、敵が尻尾を振って攻撃を仕掛けてくると、飛び上がり後ろに避けている。
その合間にリジェットが両手を高く上げて勢い良く敵の頭へと叩きつけ、一度身を引いた所で、ミーティアは腕を上げ、杖を掲げた。
彼女の身体の周りに水が集まり、一気に大きな水の塊を作り出すと、敵の頭を目掛けて打ちつける。
水がかかった瞬間、耳をつんざくような声を上げてのたうち回る敵は、赤い鱗が蒸発するように乾いて白くなっていた。
「効いてる……、よね?」
ミーティアの後ろで桃花がそう聞くと、視線を後ろに向けたミーティアは真剣な表情を崩し、笑顔で頷いてくれる。
「うん。トーカの言った通り!」
「良かった。このまま慎重に行こう」
属性の魔法が効いているのなら、ミーティアの魔法があれば戦況が傾く事はないだろう。
後は冷静に対処していけば、きっと大丈夫。
そう言い聞かせて、視野を狭めず、周囲の状況も見逃さないよう、桃花は彼らの戦いを見つめた。
ヴァレンが左下から斜めに大きく刀を振り上げ、その勢いのまま後ろに飛んで距離を取ると、その場に敵の頭が突っ込んで床を抉っている。
敵の頭が地面にめり込んでいる隙を逃さず、ヴァレンは再び駆け出し、その頭を目掛けて勢い良く頭に刀を叩きつけた。
痛みに身を捩らせた敵は、ゆっくりと距離をはかるようにヴァレンを睨みつけていたが、金色の瞳はぎょろりと視線を桃花達に向けていて。
「も、もしかして、こっちに来る?」
此方に狙いを定められたのでは、と思わず後ずさるけれど、目の前のミーティアは僅かも動揺する事はなく、淡く微笑みを浮かべている程である。
「大丈夫だよ、トーカ。落ち着いて」
「う、うん」
落ち着け、と桃花が心の中で何度も言い聞かせ、胸元を握り締めて一瞬だけ強く目を瞑り、前を見ると、狙いを定めたらしい敵が勢いをつけて突進してくる。
赤く濡れた口内を見せつけるような敵の後ろで、ヴァレンが叫んだ。
「リジェット、止めろ!」
爪先に力を込めて駆け出したリジェットは、にんまりと笑って頷くと、敵の正面に回って頭の上から踵を落とし、一度後方に回転して跳ぶと、再び敵に向かって、今度は右から蹴りを入れている。
どうにか痛みを誤魔化そうとしているのか、怯むように頭を下げ、忙しなく体を動かしていた敵は、次第に身を守るように体をぎゅっと丸めている。
目を眇め、頭をことりと横に傾けた桃花は、その姿に既視感を感じて、大きく目を瞬かせた。
あの敵がゲームと同じような性質をしているのなら、その後に来る攻撃も同じだろう。
桃花は思い切り息を吸い込んで、ヴァレン達にまで届くよう、声を張り上げた。
「体を丸めた後に、強い炎の攻撃が来るよ! 避けるか防御して!」
前衛の二人は小さく頷くと、敵から距離をおいて、様子を見守っている。
そうして敵は丸めていた体を再びゆらゆらと動かし、身を捩らせた後、頭を後ろに引いてから、勢いよく口を開いて頭を突き出した。
鋭い牙が光る口から勢い良く吹き付けてくる、炎の塊と熱風から齎される熱さは、離れている桃花の皮膚にも確かに伝わり、あまりの事に身を竦めて蹲りそうになるのを何とか堪えていると、いつのまにかミーティアが淡く光る壁のようなものを出現させて防いでくれていた。
目の前で、ミーティアの亜麻色の髪と黒いリボンが揺れている。
彼女の後ろにいるのに、それでも頰を焼くような熱さと焦げ付く酷い匂いに、手足の震えが止まらない。
どうにか立っていられたのは、皆がいたからだ。
誰かに信頼して貰える事は、これ程に強いものなのか、と桃花は思う。
それ故に、誰かを信頼する事を、この上なく恐れてしまうものなのか、とも。
ヴァレンとリジェットは上手く攻撃を避けたらしく、直ぐに体制を立て直し、強い攻撃をした直後なのか、動きが鈍くなった敵へと勢い良く走り出していく。
リジェットは身体を捻ってから右足を振り払うように敵へと叩きつけると、そのまま身体を回転させて左足で上から蹴りを入れ、その間にヴァレンは姿勢を低く構え、敵の頭を目掛けて刀を引き抜いた。
勢い良く振り抜いた刀からは、一瞬の閃光と共に地面から衝撃波のようなものが現れ、敵に叩きつけられている。
土煙と共にのたうち回る敵の姿に、桃花は胸元を押さえ、庇うように前に立つミーティアに向かって叫んだ。
「ミーティア! 一番強い魔法打って!」
亜麻色の髪を靡かせて頷いたミーティアが、目を瞑り、螺鈿細工のように様々に色彩を変えていく杖を掲げると、周囲の空気が急激に冷えていく。
頭上からぽたりと水滴が落ちてくるので、慌てて視線を向ければ、頭上に大量の水が渦を巻くように集まっていて、ミーティアはその渦を一気に凝縮させると杖を振り下ろした。
魔法が発動する頃合いを見計らっていたらしいヴァレン達が、ミーティアの側へ駆けてくると同時に、大量の水が敵へと一気に降り注いでいく。
大声を上げてのたうち回る敵は、水流に飲み込まれると、次第に全身が真っ白になっていき、そのまま光になって霧散していった。
細かな飛沫が辺りを埋め尽くし、思わず目を瞑ると、頭にぽたぽたと水滴が落ちてくる。
どうにかそれらしい形にはなっていただろうか。不安は消えないけれど、胸の底から大きく息が零れてきて、桃花は胸元を握り締めていた手のひらから力が一気に抜けてしまう。
その様子を見ていたミーティアは、柔らかく眼を細め、ポケットから白いハンカチを取り出し、丁寧に顔を拭いてくれていた。
「あ、ありがとう」
湿った髪をハンカチで拭きながら、微笑んで頷いているミーティアの側に集まってきたヴァレンとリジェットは腕や服の袖で顔を拭っている。
「皆、大丈夫? 怪我は?」
桃花は背負っていたリュックから慌ててタオルを取り出して、皆に差し出しながら問い掛けるが、二人は平然とした様子で首を振っている。
「ヘーキ」
「問題ない。そっちも平気か?」
「うん、大丈夫だよ。皆、本当にありがとう」
笑って頷いている皆を見て、桃花も笑い返してそう言うと、敵が消えた後に残された宝箱へと足を向けた。
濡れた床に落ちた硝子やタイルが、天井から降り注いでいる光に当たってきらきらと輝いている。
少しすっとした空気が気持ち良い。
桃花が転ばないようにゆっくりと前に進むと、不意にミーティアが名前を呼んでいて。
振り返れば、真っ直ぐに見つめて問いかけてくる。
「ねえ、トーカ。怖かった?」
澄んだ瞳で見つめてくる彼女のそれは、心配をしている、というより、何かを確かめるような、純粋で透明な、何の蔑みも憐れみもない、問いかけだった。
ただ、桃花がどう思っているか、どう感じているかを彼女は知りたいと思っているのだろう。
桃花は俯いて、いつの間にか深く握り締めていた手のひらを、ゆっくりと解放する。
爪が食い込んで、赤く筋がついてしまった手のひらは、今更じんわりと痛みを齎している。
きっと、漫画やゲームの中の世界なら、こんな事を当たり前にこなせてしまう人ばかりに違いない。
それでも、自分は指先の震えが止まらないし、足は竦んでしまう。
唇を噛み締めて、震える喉で呼吸をしたって、それが嘘だとは、言えたりはしない。
これが自分なんだ、って。
認めるしかないし、ちゃんと認めて、受け止めていたい。
「うん。怖かったよ」
桃花がそう言うと、困ったように眉を下げたミーティアが駆け寄って、手を握ってくれる。
あったかくて、柔らかくて、ほっそりとした指先は、だけど優しく手のひらを包んでいて。
「でも、大丈夫。皆がいるから」
慈しみをもったあたたかさが、冷え切った自らの手に伝わってくるのを感じて、桃花は小さく笑みを零した。




