フールスの森2
大樹の根本で腰掛けながら飲み物を飲むと、深く大きく息が漏れてくる。
ピティが分けてくれたのは、透明な袋に詰め込まれた丸いトリュフチョコレートで、口に入れると甘さが口いっぱいに広がってほろほろと溶け出し、疲れた身体に染み渡るように美味しい。
ヴァレンは飲み物を飲みながら皆が休憩しているのを眺めていたが、もう少し周囲を確認してくる、と言って直ぐに森の奥へと駆け出していた。
皆、慣れていない自分を気遣っているのだろう。
足手まといにならないよう気をつけてはいたものの、想像以上の状況に、桃花は思わず唇を噛み締めた。
足を引っ張っている自覚は十分あるので、せめてこれ以上負担をかけないようにしたいのだけれど、もう少しこの世界の知識をつけるべきだったのではないか、だとか、もう少し体力をつける努力をするべきだったのではないか、と今更考えても仕方のない事ばかり考えてしまう。
後悔をするくらいなら、出来る事を最大限やった方が余程建設的だというのに。
体力的な問題は、帰宅してからクトリアやホエイルに相談してみよう。
知識については、誰か頼れる人はいるだろうか……、温かいメロウローストティーが入った携帯用のステンレスカップを手に、桃花は気付かれないように息を吐き出した。
この心許ない気持ちは、まるで此処へ来る直前の自分みたいだ、と桃花は思う。
右往左往して何処にもいられなくって、明日が来るのも今日を終えるのも嫌で、何もかも面倒に感じていたあの頃。
沢山の事から逃げてきたのに、まだ逃げ道を探そうとしている自分自身に、溜息ばかりが量産されてしまう。
せめて大好きな世界で必要としてくれる人の為に、出来る事をやっていたいのに。
どうして、こうやって、いつも上手くいかないのだろう。
ぼんやりと思考に沈み込んでいると、優しい声でロジクが話しかけてくれる。
「キュリスカの街はミーティアが育った街でしたね」
「うん、そうだね。……あ、」
すっかり気を抜いて砕けた口調になっていた事に、桃花が慌てて口を噤むと、ロジクは緩やかに首を振っていて。
「お気になさらず。指示をする上でも、その方が良いでしょう」
ロジクが笑ってそう言うので、桃花は眉を下げ、小さく笑って頷いた。
ゲームの中でも彼はパーティメンバーが困った時にそっと寄り添ってくれる存在で、その在り方は、尖ってしまった神経を刺激する事のない、穏やかで優しいものだ。
自分よりも年を重ねているからだろうか。
わからないけれど、今のささくれた気持ちをゆっくりと落ち着かせてくれる。
「ご存知かもしれませんが、街の中央に見事な花時計があるのですよ。帰りに見に行きませんか」
彼の提案を聞いていた、ピティは顔を輝かせて手を上げていて。
「ぼくも見てみたいな」
「ええ、あの場所はピティも気に入っていましたね」
「うん。トーカお姉ちゃんも一緒に見よう?」
嬉しそうにそう言ったピティの言葉に頷きかけて、桃花は思わず唇を噛み締めて俯いてしまった。
遊んでいる暇があったら、もっと、やるべき事をやらなくてはいけないのではないだろうか。
心配そうに顔を伺っているピティの視線に耐えられなくて、思わず顔を逸らすと、ロジクの穏やかな声が響いている。
「貴方が不安になっているのは、貴方が我々の負担になっているのではないか、という事でしょう?」
その言葉に、ぎくり、と桃花は身体を強張らせてしまう。
視線を彷徨わせてみるものの、誤魔化しが効くような相手ではなさそうなので、桃花は俯いたまま、小さく頷いた。
指示を出さなければいけない側の人間がフラフラしていては、動かなくてはいけない側の人間が困ってしまう。
仕事でそういった事は学んでいたけれど、いざ面と向かってそう言われるとなると、流石に堪える。
けれど、彼は困ったように眉を下げて言うのだ。
「そう思うのは、貴方が私達に誠実でありたい、という心の現れです。皆、わかっていますよ」
顔を上げると、ロジクは紫色の瞳を優しく細めていて、まるでそれは、子供の心配をしている親のような表情だ、桃花には思えた。
「そういう在り方をしている貴方だから、皆も貴方を信用しているのです。だから、無理に変わる事はありません。そのままで、良いのですよ」
変わらなければいけない、と当たり前のように思っていたから、ロジクの言葉はとても意外だ、と桃花は思い、彼の言葉を心の中で反芻する。
今の自分のままでいい、と言ってくれる人がいる事がこれ程嬉しいものだとは、今まで知らなかった、から。
目の奥が熱くて、呼吸が震える。
此処はあまりにも都合が良い世界で、だけど、穏やかで優しい、逃げ場所だ。
「うん、ありがとう」
キュリスカの花時計を実はずっと見てみたかったの、と言えば、二人は嬉しそうに笑ってくれる。
悪い方向に考え過ぎるのは、自分の悪い癖だ、と桃花はカップの中身を飲み干した。
三人で暫しの間雑談していると、樹木の脇からさざめく音がして視線を向ければ、木々の間からヴァレンが姿を現していた。
深い緑に、彼のトレードマークのような赤い色はよく映える。
「ヴァレン、おかえりなさい」
「ただいま」
ピティが嬉しそうに彼の元に駆け寄ると、小さな頭を優しく撫でていて、その微笑ましさに顔を緩めていると、彼は顔を上げて真っ直ぐに見つめてくる。
見慣れない赤い瞳が不思議で、桃花が思わず見つめ返していると、彼は小さく笑って近づき、それらしいものを見つけてきた、と報告して腰を下ろした。
カップに残したままの飲み物を飲んで一息ついた彼は、ピティが用意してくれたチョコレートを一つ口に運ぶと、残っていたもう一つを分けてくれる。
「どうやらゆっくり休めたみたいだな」
それは、彼なりの励ましなのかもしれない。
「うん、皆のお陰だよ」
ありがとう、と言って口にしたチョコレートは滑らかに溶けて、優しい甘さを残していた。
***
ヴァレンが見つけてくれた場所は休憩していた場所から少し離れたところにあり、アーチ状に囲んだ木々で作られた通路の前に、背丈程の大きな岩が佇んでいた。
ゲームで見た画面の通りの光景に桃花は確信を持って皆に頷くと、三人は警戒した表情を浮かべている。
「やっぱり、変な感じする?」
「ええ、天空図書館で見つけた本と同じようですね」
問い掛けに、ロジクは困ったような表情で頷いた。彼らに影響があるという事は間違いないだろう。
こうなると、先にある場所に行くには自分だけで何とかしなければならない。
寧ろ、これが唯一の自分の出番なのだから、と桃花が深呼吸をしてから足を踏み出すと、ヴァレンの後ろに隠れているピティが心配そうに声をかけてくる。
「トーカお姉ちゃん、気をつけてね」
「大丈夫だよ。何かあったらすぐ離れるから」
笑顔で片手を振り、皆に背を向けると、桃花は悟られないように震えている両手を握り締めた。
少しずつ岩に近づくが、別段何が起きる気配はない。
ゲームでは主人公が近くを調べると岩が消えてしまったが、此処では一体どうなるのだろう。
岩の側まで近づいてから桃花が後ろを振り向くと、ヴァレンがしっかりと頷いている。
一人ではない事に安堵して頷き返すと、桃花はそっと岩を調べてみるが、何の変哲もないただの石の塊にしか見えなかった。
変化らしい変化もなく、恐る恐る指先で岩に触れてみても、何も起きはしない。
まさか此処ではない場所なのだろうか……、そううろうろと岩の周囲を見回していると、ぱち、と何かが弾ける小さな音がする。
不思議に思って音がした場所に顔を向ければ、音は次第に増えていく。
加速するように岩全体に響き渡り、大きくなっていく音に驚いていると、勢いよく腕を引かれ、慌てて尻餅をついてしまいそうになった所を、ロジクが腕で支えてくれていた。
ぶわりと風が吹き、砂埃が舞うのを腕で庇い、顔を背けてやり過ごしていたが、どうにか風の勢いが落ちてきたのを確認しつつ前を見ると、いつの間にかヴァレンが庇うように背を向けていて、腕を支えてくれているロジクの隣には、ピティがぴったりとくっついている。
完全に収まったのを確認したヴァレンは、服についた砂を払うと振り向いて、桃花に問い掛けてくる。
「怪我は?」
「な、ないです。大丈夫」
あまりに吃驚していて思わず辿々しくなる言葉に、ヴァレンは不思議そうな顔をしていたが、桃花は慌ててへらりと笑みを浮かべ、岩が塞いでいた場所を見た。
先程まであった大きな岩が粉々に砕かれ、その奥にアーチ状に囲まれた木々で道が出来ている。
安堵で思わず息を吐き出すと、支えてくれたロジクに感謝の言葉を述べて、桃花はのろのろと立ち上がった。
「ちょっと行ってくるね」
まだ鎮まらない心臓の鼓動を落ち着かせるように、胸に手を当ててゆっくりと岩があった場所に出来た道に近づいていく。
蔓のように絡み合ったアーチ状の道は桃花でも少し手を伸ばせば届きそうな程に低く、先は二メートルも行けば行き止まりになっていた。
念の為に周囲を確認してから先に歩いて行くと、道の終わりに三十センチ程の小さな金属の箱が置かれている。
『グラーティア・ストーリア』に出てくる宝箱だ。
初めて見るそれに、桃花は感動を覚えながらも努めて冷静に手を伸ばして箱に触れ、ゆっくりと開く。
耳に痛い金属音に顔を顰めてしまうが、中に入っていたものを見て、桃花は思わず両手を握り締める。
中に入っていたのは、天空図書館で見た本と同じ、赤黒い不気味な本だ。
そっと手に取り、その場で中身を確認すると、直ぐに皆が待っている場所へと桃花は戻った。
皆は既に入り口に集まっていて、桃花が戻ると安堵の表情を浮かべている。
「トーカお姉ちゃん、大丈夫?」
「うん。皆も平気? 気持ち悪くなったりしてない?」
問い掛けに、頷いている皆をじっと観察してみるが、申告通り、気分が悪くなったりはしていなさそうだ。
安心して息を吐き出すと、手にしている本を眺めて、桃花は小さく笑った。
「とりあえず、二個目、だね」
たった二つだけれどこうして手に入れられた事が、少しだけ、頼りない自分の、微かな自信になれる気がしていた。




