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天空図書館

 天空図書館はその名の通り空に浮かぶ浮島に建つ図書館で、この世界の全ての蔵書を抱えている知識の宝庫、というものだ。

 ゲームの中ではロジクの最強武器が手に入る場所でもあるので、躍起になって探したものだが、これがまた難易度が高く、フィールドマップを歩いている間に大きな影が出来たタイミングで、あるアイテムを使用すると辿り着ける……、のだけれど、その大きな影が出来るタイミングは完全なランダムという、正に鬼畜の所業である。

 しかし、一度辿り着いてさえすれば簡単に辿り着けるようになるというゲームのシステムと同じく、飛空挺に乗った今も、体感で十数分もすれば到着してしまった。

 空に浮かぶ島は色彩豊かな花々で満たされ、古代遺跡の神殿にも似た厳かな建物の中には空まで届きそうな程高さの棚に、溢れんばかりの蔵書が並んでいる。

 ゲームの中でも特に美しいと言われている場所の一つだ。

 嗚呼、きっと素晴らしいに違いない——などと思考を遥か遠くに飛ばしながら、鳩尾から込み上げてくる不快感をどうにか堰き止めている、桃花は座席で力無く項垂れている。

 飛行機は以前旅行に使用した時、どうもそのジェットコースターじみた重力のかかり方が苦手だったのだが、飛空艇の乗り心地は更にそれを悪化させるようなものの上、悪天候時の船のようによく揺れていた。

 きっと座っていなければ更に酔っていただろう、と口元を覆いながらゆっくり息を吐き出すと、頭上から心配そうな声が降ってくる。


「大丈夫? トーカお姉ちゃん」

「ご、ごめんね……初めてで身体が吃驚してるみたい……」


 心配そうに顔を覗き込んでくるピティに、これ以上情けない姿を見せるわけにはいかない、と桃花はどうにか呼吸を整えて辺りを見た。

 どうやら無事に着陸したらしいが、とてもではないが景色を楽しめる状況ではない。

 ピティは腰に取り付けたポーチから緑色の小さな瓶を取り出すと、桃花に差し出してくれる。


「シーグリーンレモンの雫、いる?」

「……う、うん。試してみようかな」

「はい、どうぞ」


 エメラルドグリーンのような色をした液体が満たされた小さな丸い瓶を手渡され、桃花はそれをまじまじと見つめた。

 状態異常を治すアイテムだと言う事は理解しているが、思っていたよりも色も瓶の形も可愛らしい。

 蓋を捻って匂いを嗅ぐと、すっきりとした柑橘系の香りがする。

 乗り物酔いにも効果のあるアイテムなのだろうか、と躊躇いながらピティを見ると「酸っぱいけど美味しいよ」と笑顔で言うので、桃花は意を決して一思いに飲み込んだ。

 レモネードのような味がするけれどメントールのような爽快感があり、喉の辺りがひんやりとしている。

 息を吐き出しても抜けなかった気持ちの悪さが一気に消えていくのがわかり、桃花は大きく息を吐き出した。


「ありがとう、ピティ。助かったよ」

「良かった。まだたくさんあるから、何個かトーカお姉ちゃんに渡しておくね」

「うん。本当にありがとう」


 感謝の言葉を告げて席を立つと、ヴァレン達は既に外に出て様子を確認しているらしく、コクピットの中に姿はない。

 ピティは万が一の事に備えて飛空艇に残るそうで、入り口まで案内すると手を振って見送ってくれていた。


 ***


 陽光を鈍く反射しているタラップを降りると、勢い良く吹き付けてくる風に乗って、噎せ返るような緑と花の匂いが肺の奥まで流れ込んでくるようだった。

 イングリッシュガーデンのように自然豊かな庭園が目の前に広がっていて、奥には古代遺跡の神殿を思わせる建物が厳かに建っている。

 丁寧に配置を考えられ、高低差を意識して植えられた花々は実に様々で、桃花も見た事があるような花もあれば、見た事のないものもあり、その色彩の鮮やかさや香りの芳醇さに、時間があればゆっくりと眺めていたい程だ。

 庭園の向こうにある建物の入り口には噴水があり、水飛沫が光を反射して輝いていて、リジェットが欠伸を零しながら腕を伸ばして軽いストレッチをしていて、隣のヴァレンは足元や周囲を確認しながら歩いている。

 その行動から性格の違いが現れているようで面白く、桃花は小さく笑いながら視線を建物へと移した。

 石で作られた建物は幾つもの巨大な柱が支えていて、外観の汚れや風化具合から、相当に古い建物のように見える。

 先が窺い知れない程に暗い入り口へ足を踏み入れれば、通路の一番奥に光が見え、足を進む毎にその光量はじわじわと増えていき、建物の中をはっきりと描き出していた。

 眩しさに目を細めて視界いっぱいに広がるその広間は、円形の天窓から太陽の光が厳かに振り注いでいる。

 見上げた天井はあまりにも高く、反り返って見ていると、そのまま後ろへひっくり返ってしまいそうだ。

 深い赤色の建具に白い床は傷一つないよう磨かれ、天井近くまで設けられた本棚は長い年月を経てこっくりとした深い色合いになっていて、それを支える柱には細やかな金色の彫刻が施されている。

 整然と並べられた書籍は色とりどりで、古めかしい紙の香りが広い空間の中に満ちていた。

 空中には無数のランタンが浮かび上がり、水中の魚のようにゆらゆらと回遊している。

 ゲームではランタンを掴んだキャラクターがそのまま上に浮き上がり、上層の本を取りに行ける、という素晴らしい設定があったのを、桃花はぼんやりと思い出しながら眺めていた。


「口開けてっと埃が入るぞ?」


 リジェットがそう憎まれ口を叩くけれど、感動でいっぱいの桃花は少しも気にもならない。

 嬉しくなって本棚に近づいて綺麗に並べられた書籍の背表紙を見るが、古臭いけれど埃を被っている様子はなさそうだ。

 誰かが丁寧に掃除でもしているのだろうか、と考えていると、後ろの方でヴァレン達とは別の声がして、桃花は振り返って彼らの方へと視線を向けた。


「ロジク、久しぶりだな」

「じーさん、こんちは」

「ええ、お久しぶりです。元気そうで何よりです」


 ヴァレン達が手を軽く上げて挨拶をしているのは初老の男性で、褐色の肌に長い白髪をサイドでゆったりと臙脂色のリボンで結び、グリーンがかったグレーのスリーピーススーツを着こなしている。

 ブルーのシャツもすっきりとした印象のワイドカラーで、紺色のピンドットネクタイもシックで落ち着いた雰囲気だ。


「其方のお嬢さんは、初めましてですね」

「と、桃花、です。あの、初めまして」

「ロジク・サリマリノと申します。どうぞ宜しくお願い致します、トーカ様」


 まるで高級な宝石店にでも訪れたような佇まいに、桃花がおずおずと挨拶をすると、彼は優しそうな笑みを浮かべて挨拶をしてくれる。

 なあに猫被ってんだよ、とリジェットは茶化しているけれど、普段こうして丁寧に挨拶をされる事もないので何だか気恥ずかしく感じてしまうのだ、と桃花はしどろもどろになってしまう。

 ロジクはトリエンシア社長が会社を立ち上げた頃から彼を支えていて、その後はアイトの世話係として彼女の面倒を見てきた人だ。

 社長がディアヴルアルサーに操られてから異変を感じたロジクは、社長が何をするつもりなのかを調べる為に旅に出ていたのである。

 こうして話しているとゲームの中の印象とは然程変わらないので、パーティメンバーの中で唯一イメージが崩れていない人物かもしれない。

 彼は立ち話も何ですから、と言って、広間の隅に置かれたクラシックなデザインのテーブルセットへと皆を案内してくれた。

 丸いテーブルは縁や脚に細かな彫刻が施され、椅子も深い赤の生地に金の鋲を打っており、高級感のあるものだ。

 テーブルの中央には小さな花瓶に花が生けられてあり、ダリアに似た花を中心に、センス良く纏められている。

 簡単に此処に来る経緯を話すと、ロジクは口を挟む事なく静かに話を聞いてくれた。


「ディアヴルアルサーの居場所を示す手がかり、ですか」

「はい。此処の何処かにその内の一つがある筈なんです」


 ゲームではランタンを調べて捕まって行けば良かっただけだが、此処でもきっとそうなのだろう。

 そう思って桃花が答えると、ロジクは考え込むように視線をテーブルに下げ、言葉を選ぶように話をしてくれる。


「此処の蔵書には大方眼を通してきましたが……、私には分かりかねます」

「え?」


 予想外の言葉に、桃花は思わず声を漏らしてしまい、慌てて口を押さえてしまった。


「じーさん、もうボケたのかよ」


 隣で行儀悪く頬杖をつきながら呆れたように言うリジェットに、ロジクは腹を立てる様子もなく困ったように頭を振っていて。


「此処の全てが頭に入っていても、それだけは見つけられないのです。お力になれず、申し訳ありません」


 ディアヴルアルサーに関する事は記憶を消されている、とミーティアが言っていたし、アイト達が感じたような妙な違和感のようなものをロジクも感じているのかもしれない。

 だとしたら、と考えて、桃花は彼に問いかける。


「あの、それなら逆に、貴方の記憶がない場所とか、変な違和感を感じた場所はありませんか?」

「成程。それでしたら此方にどうぞ」


 桃花の言葉にロジクは合点がいったようで、そう言って笑顔で席を立ち、広間の中央へと足を向けている。

 ロジクが誘導してくれた場所の床には星を模した金色の模様が描かれていて、ロジクが側に寄ると、空中を旋回していたランタンの一つがゆっくりと彼の元へと近付いていた。


「このランタンに捕まり、取りに行きたい本を口に出せば自動的に連れて行ってくれますよ」


 全体的に丸みのあるデザインのランタンは、凝縮した光のようなものが中に詰められていて、普通ならば上部に取り付けられる筈の取手が下部に付けられている。

 一体どういう構造で浮いているのか、そして、光っているのか全くもって理解出来ないけれど、ゲームの中では確かに浮いているのだし、現に目の前のランタンは意思があるかのようにロジクの側で漂っているのだ。


「え、と、これって……、その、手が外れたら?」

 

 問い掛けに、三人は一斉に顔を合わせていて。


「ヴァレン、金の(さかずき)持ってねえ?」

「ない。ピティに貰ってくるか」

「ちょっと待って! 蘇生アイテムが必要な状況っておかしいでしょう!」


 下の方にある棚であるなら何ら問題はないけれど、上の方にあるものは三階建ての家屋より高く見えるので、万が一ランタンから手を離してしまったら無事では済まない筈だ。

 ゲームでは「楽しそうで良いなあ」で済まされた事だが、実際自分でやってみるとなると此処まで大変なのか、と今更ながらに思い知らされる。

 一体どうしたものか、と頭を悩ませていると、隣に近づいてきたヴァレンが顔を覗き込んでいる。


「無理なら俺が抱えていくか?」

「ごめん。私、アイトに刺されたくない……」


 そもそもヴァレンは声と存在感から大きく見えがちだが、実際は桃花より少し大きい程度の身長で、体格も筋肉質には見えるけれど、大分細身だ。

 あまり考えたくはないのだが、下手をしたら彼の方が体重が軽いのでは、と思えなくもなく、アイトの件も相まって、なるべくヴァレンには頼みたくない、というのが桃花の率直な意見である。

 リジェットの方が体つきもがっしりとしていて身長も高いが、いかんせん性格に難があるので、こういう時にこそクトリアがいてくれれば、と桃花は切に思ってしまう。

 そんな桃花の思いを知らずに、ヴァレンは心底不思議そうに首を傾けている。


「まあ、確かにそれ避けた方が賢明ですね」

「何故だ?」

「ヴァレン、わからなくて良い事は世の中に沢山あるんだよ……」


 アイトの世話係をしていただけあり、ロジクはその意味をよくよく理解してくれたようで、しっかり頷いていた。


「ヴァレンが代わりに取って来る、っていうのは無理なのかな?」


 〝観客(オーディエンス)〟は、あくまでも観客でしかない。

 自ら行動しなくても指示を出すだけでも構わないのではないか、と桃花が問いかけるけれど、ロジクは緩やかに首を振っている。


「私では反応しなかったので、ヴァレンも同じではないかと」

「もしかしたら〝観客(オーディエンス)〟にしか反応しないのかもしれないな」

「でしたらリジェットに抱えて貰う、というのはいかがでしょう?」


 確かにこの三人の中で体力も防御力も高いのはリジェットだけなのだけれど、二人分の体重をこの頼りなさげなランタンが支えてくれるかもわからない上に、彼の性格上、素直に行動してくれるとも思えない。

 どうしたものか、と桃花が逡巡していると、当のリジェットは呑気に欠伸を零している。


「つかババア重そうなんだけど。腕折れねえ?」

「ねえ、ヴァレン。ハニードロップの蜜って骨折とかでも効果あるかな?」

「あまり酷い怪我でなければ効くと思うが」


 リジェットの無遠慮な言葉を完全に無視して会話をしながら、桃花は小さく溜息を吐き出した。

 いっそピティ達の所に戻って頑丈なロープでも貰ってこようか、せめてランタンに足場さえあれば少しは何とかなりそうだし、と苦々しい面持ちで考えていると、リジェットが子供のように手足をばたつかせて喚いている。


「あーもう! その重さじゃ俺しか持てねえし、俺が抱えていけばいいんだろ!」

「抱えるって、どうやって?」


 俵のように抱えでもしてくれるのか、と呆れた顔で聞こうとした瞬間、足元にリジェットがしゃがみ込んでいる。

 真剣に身体の重さでも考えているのかと思ったが、桃花の目の前には派手な黄色のジャケットが視界いっぱいに広がっていて、驚きのあまりに身を引こうとすると、足元から重力が消えている。

 ふわりと持ち上げられたのだ、と気がついた時には、いつもより遠くに地面があった。


「ぎゃあ!」

「あ、こら、動くなよ! バランス崩すだろ! つか、悲鳴もババアじゃねえか!」


 太腿の裏に回した腕で支えられながら、リジェットの肩に持ち上げられる格好に、桃花は思わずぎゃあぎゃあと叫んでしまう。

 赤ん坊じゃあるまいし、大の大人を片手で持ち上げられる筈がないのだけれど、リジェットは案外平気な顔をしていて、腕も簡単に怯む程弱々しくは感じない。

 だけど。


「無理! 下ろして!」

「下ろすのもキツいから却下。そんなに嫌ならさっさと済ませれば良いだろ」

「無理無理! 絶対に無理!」


 だけど、このままでは照れ臭さと恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。

 桃花は助けを求めてヴァレンとロジクを見るが、二人はにこにこと笑っているばかり。


「トーカとリジェットなら出来る。頑張れ」

「トーカ様、リジェットは強い子です。どうぞ、安心して行ってらっしゃいませ」


 二人から微笑ましさを感じるのは気のせいではないだろう。

 くそう、と汚い言葉を声に出さずに口の中だけで転がしながら、桃花はがっくりと力なく項垂れた。

 もう今更逃げられないのだから、腹を括るしかない。


「リジェット、早く済ませよう。一刻も早く」

「同感。じーさん、さっきの説明もう一回教えてくれ。どうやってやんの?」


 手早くロジクに説明を聞くと、リジェットは星の模様がついた床の上に立ってランタンの取っ手を掴んだ。

 彼の黄色いジャケットを眺めながら、桃花は羞恥でどうにかなりそうな思考を切り替える為に、何度か深呼吸をしてから声を発する。


「ロジクの記憶にない、本を教えて」


 ランタンの中央にある光が少しずつ光量を増やし、がくり、振動をしたならぐんぐんと上へ上へと向かっていく。

 眼下にはヴァレンとロジクが少々心配そうに見守っていて、桃花は乾いた笑みを零しながら二人に小さく手を振った。

 しっかりと足を固定されてはいるけれど、荷物のように抱えられている為に、否応なくどれだけの高さになっているのかが把握出来てしまうので、無意味に本棚の数を数えたりしてみるが、流石にリジェットも高度が上がるにつれて余裕がなくなってきたらしく、深々と溜息を吐いている。


「うげ、まだ上に登んのかよ……」

「うう、早く終わって欲しい……」


 二人で泣き言を言い合っていると、ランタンの光源とは違う、燦々とした太陽の光が本棚へ降り注いでいるのを感じてくる。

 いよいよ天窓の近くまできてしまったらしい。

 まさか天井にぶつかったりはしないだろうか、桃花が不安になっていると、ランタンは途端に動きを止め、横へとスライドしていた。

 そして桃花の目の前に現れた本棚の片隅には、白く発光した一冊の本がある。

 手を伸ばせば確実に届く距離だが、リジェットの反対側だ。

 重心がずれるので、一度声を掛けてから本を取った方がいいだろう、と考えて口を開くと、突然、足を抱えていたリジェットの腕に力がこもった。


「リジェット? どうしたの?」

「なん、だ、これ……、めっちゃ吐き気する……」


 呻き声を上げてそう言ったリジェットの横顔は青ざめていて、それを見た桃花は身体中から一気に血の気が失せていくのを感じた。

 どうしよう、やっぱり自分だけで何とかすれば良かったんだ、と彼のジャケットを握り締めて戻るようにランタンへ呼びかけようとすると、リジェットの厳しい声が響く。


「い……、いい、から! 手がかりあんならさっさとしろ!」

「ごめん! すぐ済ませるから!」


 途端に身体が震え出す自分の情けなさに唇を強く噛み締める事で抑え込みながら、桃花は手を伸ばして白く光っている本の背表紙に手をかけた。

 本棚から本を引き抜き、落とさないようしっかりと両手で掴むと、光は呆気なく霧散していく。

 桃花は引き攣った肺に目一杯空気を送り込むと、ランタンに向かって声を張り上げた。


「戻って! 早く!」


 リジェットが苦しそうに身体を捩らせ、腰の辺りに頭が押し付けられるのを感じながら、勢いよく下へと降りていく——というより、急激に落下していたのだけれど、あまりに切羽詰まった状況で気にもならない。

 下で見守っていたヴァレン達も異変を感じたのか、慌てた様子だ。

 急降下したランタンが一番下の本棚の辺りまでくると、がくん、と振動して止まり、その拍子にリジェットはランタンの取っ手から手を離し、桃花の身体を強く抱き締めたまま床へと転がるように崩れ落ちた。

 途端に力の抜けた腕を慌てて引き剥がした桃花がリジェットを見ると、彼は身を丸めて蹲っている。

 桃花は手にしていた本を思わず放り出し、震えた手で彼の背中をさすりながら、なりふり構わず呼びかけた。

 触れている部分が、やけに熱い。


「リジェット! 大丈夫? リジェット!

「トーカ、落ち着け!」

「お二人共、大丈夫ですか?」


 ヴァレンやロジクが慌てて駆け寄ってくるのが視界の隅に映る。

 どうしよう、と泣き出しそうになりながらリジェットの名前を呼ぶと、丸まった背中がゆっくりと起き上がり、青い髪が目の前で揺れている。


「うるさ。大声で喋んな」


 顔を顰めて憎まれ口を叩いているリジェットは、大きく息を吸い込むと盛大に吐き出して床へ寝転がっていた。

 側にしゃがみ込んだヴァレンが呼びかけると、リジェットは無事を知らせるように手をひらひらと振っているので、どうやら少しは落ち着いたのかもれない。

 即座にロジクがハンカチで顔を拭ったり、手首を持って脈を測ったりしているのを見て、桃花は忙しない鼓動を抑えるように胸元を掴んだ。

 目の前がゆらゆら揺れて、苦しくて堪らない。


「あー、やべえ、何アレ。めっちゃ気持ち悪い」

「ごめん、ごめんね、リジェット」


 桃花が俯いてそう何度も謝ると、突然鼻先を摘まれて、後ろへと押される。


「あーもう、うっせえ! いつまでも気にすんな!」


 桃花が驚いて顔を上げれば、もう何も聞きたくない、と言わんばかりにリジェットが両手で耳を押さえている。

 そうなってしまうともう何も言えず、桃花はしおしおと項垂れながら、ふと、ピティから貰ったアイテムを思い出し、ポケットからシーグリーンレモンの雫が入った瓶を手渡した。

 効果があるかはわからないけれど、もし状態異常に近い状態ならば少しは軽減出来るかもしれない、と考えたからだ。

 リジェットは平気そうにしていたが、念の為に飲んでおいた方が良い、とヴァレンに勧められ、渋々瓶を開けて飲み込んでいた。

 今後こうした事態が起きるならなるべくアイテムも補充しておこう、と桃花が考えていると、ヴァレンが顔を覗き込んで声を掛けてくれる。


「トーカも平気か? 身体に異常はないか?」

「うん、平気だよ。リジェットのお陰。本当にありがとう」


 そう言うと、当たり前だろもっと感謝しろ、とリジェットは返事をしていて、桃花は困ったように笑って頷いた。


「あ、そういえば手がかり、放り投げちゃってた」


 安心しきっていたせいか、放り出してしまった手がかりをようやく思い出し、桃花は慌てて床の隅に転がっていた本を拾い上げる。

 痛んではいないだろうか、と申し訳ない気持ちで本の表面を撫でて観察すると、赤黒い革装丁の本はアンティークの洋書のように少し古ぼけていた。

 表側にも背表紙にも金色の模様が描かれてはいるが、文字らしいものは書かれていない。

 念の為に端が寄れたり潰れたりしていないかチェックをして顔を上げると、三人は僅かに緊張した面持ちで桃花を見つめている。


「え。皆、どうしたの?」

「いや……」


 言葉を濁すように言い淀むヴァレンの隣で、リジェットが苦々しい面持ちで言う。


「それ、近寄るとマジで気持ち悪くなる。変な感じ」


 その言葉に、ロジクやヴァレンも納得したように頷いていて。


「恐らく、〝観客(オーディエンス)〟以外が近寄らないようにしてあるのかもしれませんね」

「記憶を消せるというのに、面倒な事を……」


 ディアヴルアルサーの手がかりを手にするだけで、違和感や立ちくらみのようなものだけでなく、そういった事もあるのだという可能性を、もっとよく考えるべきだった、と酷く思い知らされる。

 桃花は痛いほど唇を噛み、赤黒い表紙の本を睨みつけると、小さく息を吐き出して三人に向かって困ったように笑った。


「ちょっと待ってね」


 中身は確かディアヴルアルサーの生態に関する情報と、かなり昔に目撃されたという情報の一部だった筈だ。

 一番初めのページから最後のページまでをざっと目を通してから本を閉じると、三人にもう一度視線を戻した。


「これで……、どうかな?」


 キャラクター達を手がかりから遠ざけたいのなら、情報を得て仕舞えばもうその役目もなくなる筈だ。

 そう思って中身を確認したのだが、どうだろうか。

 桃花が戸惑いながら三人を見ると、リジェットの側でしゃがみ込んでいたヴァレンが立ち上がり、慎重に近づいてくる。

 けれど、それも最初の内だけで、半分程の距離になると安全だと確信したのか、後ろを振り返り、見守っていた二人に頷いてみせた。


「成程。トーカが中身を確認出来れば影響は無いようだ」


 その言葉に桃花自身も安心し、本を持ったままリジェット達の方に歩いても、確かに何も感じなくなったらしく、肩を竦めたり、息を吐き出している。


「ごめん、これからはこういうのは私が取りに行くね」

「危険を確認してからの方が良い。トーカにも何か異変がないとも言い切れないだろう」


 こうした事が何度もあっては困るのだけれど、此処での生活や戦闘等の経験はヴァレン達の方が上であるのは確かだ。

 心配ではあるけれど、何か異変がないか互いに警戒していこう、と彼に話すと、晴れやかな笑顔を返してくれた。


「しかし、こうなると一度情報共有をした方が良いかもしれませんね」


 リジェットの側で困ったようにそう言うのはロジクで、彼の言葉に、ヴァレンも即座に頷いている。


「そうだな。戦闘がある場合の立ち回り等も確認した方が良いだろう」


 此処は元々モンスターも出ない場所だし、と付け足すと、床に寝転がっていたリジェットが、勢いよく飛び起きて顔を顰めている。


「面倒! どうせ戦うのは変わらないんだからいらねえだろ」

「でも、今回みたいな事が起きたら困るよ。ちゃんと話し合っておけば緊急時も安心でしょう?」


 乱れた髪やずれていたバンダナを直しながら文句を言うリジェットに、そう言って宥めると、彼は頭の後ろを掻いて唇を尖らせていた。


「アイト達はまだ合流するには時間がかかると言っていたから、今いるメンバーで一度話し合おう」


 ヴァレンが話を纏めるようにそう言うと、リジェットの手を掴んで立ち上がらせている。

 流石にもう身体も平気なようで、服についた埃を落として大きく伸びをしていた。

 ロジクが簡単に荷物を纏めている間に、桃花は辺りを眺めていたのだけれど、本棚の一番下段に、一瞬、淡く光っているように見えるものがあったような気がしたが、天窓から注ぐ陽光やランタンに灯る光の加減だろうか。

 瞬きの合間に消えてしまったそれに桃花は不思議に思って頭を捻ったが、ヴァレン達に呼ばれて直ぐに踵を返してしまっていた。

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