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信じて

「それで、そんな顔をして歩いていたのね」


 スプリングが弱まっていて妙に頼りなく、少し埃っぽいソファーに腰掛けて、彼女は困ったように笑ってそう言った。

 正直言って、マティリアでシージェス達と会話をした後、どんな話をしてどんな風に帰ったのか、桃花はあまり憶えていない。

 憶えていたくない、だけなのかもしれないが。

 帰宅してからホエイルもクトリアも心配していたけれど、長い接客業で染み付いた愛想笑いでどうにか誤魔化してみたが、きっと隠し切れてはいなかっただろう、と桃花は思う。

 まるで逃げるように家を出て、当てもなく街を彷徨っている間に、鉢合わせたのは目の前にいるアイトである。

 シージェスとミーティアに何か聞いていたのか、それとも狼狽していた桃花の様子からなのか、わからないけれど、彼女は何も言わずに桃花の手を握り、蒸気の吹き出すパイプや文字が擦り切れて読み取れなくなった看板を幾つも取り付けたビルの合間を抜けて、リルムの宿屋まで連れて来ていた。

 ロビーは数人の客と従業員が行き交い、併設されたバーにも客はいるが、落ち着いた雰囲気が漂っている。

 彼女は何も言わず、購入した飲み物を差し出して、ただじっと一緒に居てくれた。

 初めは沈黙に耐えられず落ち着かなかったが、アイトは辛抱強く時間を共にしてくれ、時間が経つにつれて気持ちも少しずつ落ち着いていき、桃花はいつの間にかぽつりぽつりと話をしていたのである。

 どんなに泣き言を言ったとしても、ゆっくりと相槌を返し、真剣に話を聞いてくれる彼女だったからこそ、不安を吐露出来たのかもしれない。

 アイトは古ぼけた硝子テーブルの上に置かれたぽってりとした形のカップを手に取って、温かいリリィローストティーを静かに飲み込んでいる。

 黒いレースのブラウスにラベンダー色のスカート、という落ち着いた服装のアイトは、痛みを知らない艶のある髪をアップにしているので、いつもより大人びた雰囲気だ。


「街に近づくモンスターも今までは然程多くはなかったけれど、最近は三日に一度くらいのペースで現れているわ。イズナグルでも災害が頻発しているのも確かだから、何らかの影響がある、と考えるのが自然ではあるわね」

「うん」

「トーカが不安なのは、それがトーカのせいなんじゃないか、って事?」

「それもある、けど……」

「トーカのせい、と決めつけるには材料が少ない気がするわ。世界中に変化があったのは確かだけれど、他に原因があるかもしれないでしょう?」


 アイトはそう言うけれど、そもそも〝観客(オーディエンス)〟の指示がないとディアブルアルサーを倒せない、というのなら、〝観客(オーディエンス)〟がこの世界に影響を及ぼす可能性もある筈だ。

 イズナグルを含めたこの世界が、裏ボスであるディアヴルアルサーの脅威に晒されていると仮定したなら、ディアヴルアルサーを倒さない限り、平穏は訪れないのだろう。

 そもそもイズナグルが荒廃した原因も、ディアヴルワルサーがイズナグルのエネルギーを吸い取っていたからで、そのイズナグルが壊滅したら、今度はヴァレン達の世界を狙うつもりなのだ。

 〝観客(オーディエンス)〟として——つまりはプレイヤーとして、ヴァレン達に指示を出して裏ボスを倒さないと、この世界が救われない。

 恐らく、今現在、そういう状況になってしまっているのだろう。

 ミーティアが悲しそうな顔をしていたのも、それならば納得がいく。


「でも、ディアヴルアルサーを倒せば、元に戻るのかもしれない」

「可能性はあるかもしれないわね。けれど、シージェスの言う通り、ディアヴルワルサーに関する事は全て〝観客(オーディエンス)〟からの指示が必要なの。あたし達にはあれがどこにいるかどうやって倒すかもわからないし……、動く事すら出来ないのよ」


 視線だけを俯かせて、アイトは静かにそう言った。

 青い瞳を縁取る長い睫毛の先は、彼女の感情の揺らぎを表しているかのように、微かに震えている。

 裏ボスであるディアヴルアルサーは、そもそもその居場所を突き止めるにも、世界中から少しずつ情報を手に入れなければならない上に、倒すにも必要な手順がいる厄介な敵だ。

 情報を手に入れるだけならば何とかなる、けれど、それ以上に厄介なのがその倒し方である。

 攻撃や回復といった行動のタイミング次第では、即全滅にさせられる程に理不尽な敵であり、攻略本を片手に持っていたからといってどうにかなる相手ではなく、しっかりと頭に攻略法を叩き込まなければ倒せない。

 桃花自身、倒すまでに相当な時間を要していたし、攻略ノートを自作してまで憶えたものだけれど、もう何年も前に倒したきりで、今では記憶も曖昧だ。

 それでもどうにかしたいなら、桃花自身が覚悟を決めなければならない、と言う事なのだろう。


「アイト達は怖くないの? 〝観客(オーディエンス)〟に望まれて、戦う事……」


 この世界で過ごし始めた時から、どうしても理解出来なかった事が、今更ながらに酷く重くのしかかってくる。

 画面上でさえ辛く感じていた痛みを、こうして生身の人間として生きている彼女達に負わせるなんて、桃花には到底耐えきれない。

 痛みを理解してくれたのが嬉しかった、そうミーティアも言っていたという事は、彼女達には自分と同じように痛みを感じる、という事なのだから。

 けれど、彼女は何でもないように、綺麗に鮮やかに笑って言うのだ。


「それがあたし達の役目だもの。何も怖くはないわ」


 息が止まりそうになる程、はっきりと告げる姿に、桃花は思わず強く手を握り締めた。


「私は此処にいる人達が大好きだから、この世界が大好きだから、傷ついて欲しくないよ」


 言いながら、これはただの我儘なのだろうか、と桃花は思う。

 駄々を捏ねて喚いているだけなら、何も言わずに受け止めるべきなのだろうか、と。

 大人なのだから。

 それが当たり前なのだから。

 それが現実で受け止めなければいけないのだから。

 だから、どんなに嫌な事でも理不尽な事でも、咀嚼出来ないまま飲み込んで身体の中に溜め込んできた。

 でも、本当にそれが良かった事なのかは、今でもわからない。

 考えれば考える程わけがわからなくなって、何もかも放り出してしまいたくなる。

 唇を噛み締めて、震える指先を抑えるだけの桃花に、アイトは優しく慈しみをもって笑ってくれて、いて。


「〝観客(オーディエンス)〟の人達は、あたし達が強くなる事を望む人が多いの。それって、あたし達が強くなる事を信じているから、ではないのかしら」


 アイトはそう言う通り、ゲームの中のキャラクター達は戦う事で強くなれるけれど、現実を生きている人間が同じように成長出来たりはしないのだ。

 それどころか、身体の中にあるものをじわじわと擦り減らして、弱くなってしまう人だっている。

 少しずつ増えていった記憶が経験となって、足を立ち止まらせてしまう事だって。

 だから自分は動けないままなのだろうか、と考える桃花に、アイトの真っ直ぐな声が届く。


「すごく卑怯な言い方だと思うけれど、貴方が信じてくれなければ、あたし達は〝舞台(ステージ)〟で歩く事さえままならないのよ」


 そう言って、アイトはそっと桃花の指先を手にとって、両手で包んでくれた。

 冷たく強張っていた皮膚に、ゆっくりと体温が伝わってくる。

 初めてこの世界で触れた、人のあたたかさだ。


「あたし達を信じてくれる貴方だからこそ、信じられるのよ。だから、トーカにも信じて欲しいの」


 震える指先に、ほんの少し、力がこもる。

 胸の奥がじりじりと煮え滾るようで、喉が震えて上手く呼吸が出来ない。

 見つめてくる優しい青の眼は何処までも直向きで、彼女達は自分達が誰かの手のひらの上でいる事を何も疑わず従っているだけだ、と、桃花は思っていたけれど、彼女達は彼女達なりに、沢山の事を考えて、受け止めているのだろう。

 足を立ち止まらせてしまって、何も考えないようにしようとしていた自分とは、あまりにも、違う。


「だから、トーカにも信じて欲しいの。どんな敵にだって、あたし達なら絶対に戦える、って。そう、信じさせて欲しいの」


 だけど、そんな自分を、彼女は信じてくれるのだ。

 ずるい、と、思う。


「……、ずるいよ、アイト」


 手の甲に額を押し付けて、桃花は震える息で、そう呟いた。

 そんな事を言われたら、嫌でも信じるしかない。

 引き攣る喉で大きく呼吸をすると、顔を上げる。

 ゆらゆらと揺れる視界でも、この世界は、いつも桃花を変わらず迎えてくれるし、優しく包んでくれる。


「信じるよ。だって、皆の事もこの世界も、もうずっとずっと前から大好きなんだから。だから、」


 だから、私に力を貸して欲しい。

 瞬いた睫毛の先が濡れていても、しっかりと頷いたアイトの笑顔は眩しい程、綺麗に見えた。

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