兄とお客様
セレリア王女がリッターオルデンへご出発された後、お兄様が公爵邸へご帰宅された。
「グウェン様、お帰りなさいませ」
「皆ただいま。久しぶり」
お兄様は安定にキラースマイルを振りまく。
お陰で仕事中のメイドたちは手を止め、お兄様に釘付けだ。その笑顔でセレリア王女おも落としたことなど本人は知る由もない。
「お兄様、お帰りなさいませ」
「ロリィ、ただいま。…何だか顔色が良くないね」
お兄様は私の頬に手を当てた。もう子供ではないというのに。今はお兄様に呆れているだけですのでご安心を。
「ご心配には及びません。それよりもお兄様、我が家にはお客様もいらっしゃいますので、あまり私を子供扱いしないでください」
私にも立場がありますので、と付け加えるとお兄様はふっ、と笑った。
「はいはい。そのお客様とやらはまだ体調が良くないんだっけ」
「お医者様からは無理のない範囲で日常生活へ戻っても良いと診断を頂いたそうです」
「じゃあ後で挨拶でもしに行こうかな」
「私も付き添います」
「ん?なんで?」
「お兄様は時々失礼ですから。私がフォローして差し上げます」
「それは俺に対してロレインも大分失礼じゃない?」
***
私は午後の授業を終えた後、お仕事に一区切り着いたお兄様と共にクラレンス様が滞在されているお部屋へ赴いた。
お兄様が扉を叩こうとした所で、私はその手を止めた。
「どうしたの?ロリィ」
不思議そうにお兄様は私の顔を覗き込んだ。
私はくるりとお兄様の方へ方向転換し、小声で話す。
「いいですか、お兄様。クラレンス様はノヴェイル王国出身で話し方や文化なども違います」
そう伝えるとお兄様ははぁ、と溜め息をついた。
「僕はさ、セレリア王女の文官を勤めてたんだよ?忘れた?」
「いえ、忘れてはいませんが…一応」
全く、と吐き捨て、お兄様は私を押し退けて扉をノックする。確かにお兄様は王女の文官として様々な国の方々と交流があったはずだ。大丈夫、だと思うけれど一応釘を刺しても良いだろう。
どうぞ、という返答を得て、私たちは入室した。
クラレンス様は思いもよらぬ訪問に、目を丸くしていた。初めて見る顔に驚くのは分かるが、そんなに驚くことがあるのか?と思っていたが…。
「あ、アッシュバーン…君、若返って、」
「落ち着いて下さいませ、クラレンス様。こちらは私の兄のグヴェン・フェタリナーツェでございます」
お兄様はクラレンス様のお言葉がツボに入ったらしく口に手を当てて笑っている。
私は肘でお兄様を突いた。
「ゴホン、失礼。グヴェンです。今まで王城で働いていましたが、今後はフェタリナーツェ家次期当主として務めさせていただきます」
「あぁ、すまない、早とちりを…。クラレンスだ。訳あってこちらで治療を受けさせてもらっている」
「事情は聞いています。いやぁ、でも…使用人たちが話してた通り、整ったお顔をしている…」
「お兄様」
「それに思っていたよりも面白い方のようだ。よろしくね」
「よろしく…」
クラレンス様は何だかよく分からない、という顔をしていらっしゃった。そんなクラレンス様を見てお兄様はニコニコと笑っている。
どうやら彼を気に入ったらしい。
「クラレンス様は今日もお散歩されますか?」
「あぁ。筋肉を取り戻さないといけないからな」
「僕も散歩に付き合いたいところだけど…今日は予定が詰まっていてね」
お兄様のご予定というのは、結婚式の準備。
そう、セレリア王女がリッターオルデンへご出発される少し前のこと。
婚約者へやっとプロポーズされたと、ご連絡を頂いた。
セレリア王女からもお祝いのお言葉を頂けたとお兄様は喜んでいたが、私はセレリア王女のことを思うと胸の奥がチクリと傷んだ。
「ぼーっとしていると、目の前の木にぶつかるぞ」
「え、」
目の前にいつの間にか木の幹が見えた。
ぶつかる、と目を瞑ったが、柔らかな食感が額を覆った。
目を開けると、額にはクラレンス様の手が当たっており、ぶつかる前にギリギリ防いでくれたみたいだ。
リリアンナも何度か声をかけてくれたそうだが、私の耳には全く届いていなかった。
「すみません、少し考え事をしていました。お怪我はございませんか」
「あぁ、軽く木に当たっただけだしな」
お兄様と別れた後、雨季の最中一瞬止んだつかぬ間に私はクラレンス様と庭園へお散歩に来ていた。
木々や花々にも先程まで降っていた雨の雫を宿している。
そんな木に私がぶつかってしまったせいで、衝突を防いでくださったクラレンス様にも雫が降ってしまった。
私は持っていたハンカチでクラレンス様へ付いた雫を拭うと、少し目を見開いたクラレンス様は私から顔を背けた。
「考え事というのは…さっきの兄のことか?」
「そうです。もうすぐ結婚式だと思うと、感慨深くて」
普段はかっこよくて、おモテになられるお兄様が…うじうじとプロポーズに踏み切らない状況が続き、挙句ビビったのかセレリア王女が結婚するまでは俺もしない、とほざいた時はお母様もお怒りになっていた。
あの時久々にお兄様が怒られている姿を見たのよね。それが新鮮に感じたけれど、怒られる理由が情けない…と思った…。
「少し寂しいですが、嬉しいものですね」
「…兄か。俺にも兄がいた」
クラレンス様の口からご家族について聞くのは初めてだ。気を許してくれたのかと、嬉しくて口元が緩みそうなのを耐えていると、クラレンス様はみるみる顔色が悪くなって行った。
「どうかされましたか!?」
「頭が、割れそうな、感じが」
クラレンス様その場に蹲り、頭を押えながら唸っている。
「リリアンナ、お医者様と誰か使用人を呼んできて」
「はい、すぐに」
リリアンナは走って屋敷へ戻って行った。
ゴロゴロと雷がなり始め、また雨が降り出しそうな中、クラレンス様はかき消されそうな声で何かを話していた。
「クラレンス様、何と仰って、」
「兄上、ごめん…」
そう言い残すと、クラレンス様はその場で意識を失ってしまった。




