出発、到着
雲ひとつない、清々しいほどの晴天。気持ち良い風に吹かれながら私は…馬車酔いした身体を道中の草むらに放り投げていた。
「なんで…」
「いつものことじゃないですか、ロレイン様。私は予定を確認してまいります」
今回唯一私の同行者であるリリアンナがブランケットと冷たい一言を投げ掛け、エミル殿下の側近であるウィル様に謝罪と今後の予定を確認しに行った。
今日から隣国のアグリジェント王国へ向かっているのだが、現在私の体調不良により二回目の休憩中だ。
道はやはり補正が甘く、振動が胃を刺激する。エミル殿下の前で逆流物を戻す訳にはいかないので、必死で抑えているのだが…辛い。まだ一時間しか経っていないなんて信じられない。
「ロレイン、大丈夫?」
「殿下…っ、大丈夫、です」
「酔いやすいとは聞いていたけれど…だいぶ酷いようだね。はい、これ飲んで」
「すみません…ありがとう、存じます」
殿下からお茶を頂き、なんとか嘔吐予備軍を胃へ追い返した。
今回はうちの馬車ではなく、フロリエンス王国からの視察という名目のため王家のシンボルが入った、それはもう一目見れば誰が乗っているかが分かる馬車を貸して頂いている。
勿論殿下とは別々の馬車だ。
街中の移動は通り過ぎる人々が家やお店の窓やドアからチラチラとこちらを見ていた。なるべく目を合わせたくは無いが、外の風景を見ていないと吐き気に見舞われてしまう。パチッと目が合った人には軽く会釈をしていたがその度にうっ、と声を漏らしていたのは彼らには聞こえていない。
そんな目立つ馬車でも王族専用の馬車。我が家の馬車よりも振動は少なく、座席はふかふかで柔らかな触り心地。これなら酔いにくいだろうと安心していたのだが…ポンコツな私の身体は最上級の移動手段さえ拒否している。
これでは一日目の宿泊地点まで辿り着くのに相当な時間がかかってしまうだろう。せめて殿下だけでも先に行って頂きたいのだが、それを先程提案したら「令嬢を残して行くわけないでしょう」と怒られてしまった。しかし、日が沈み始めれば夜行動物や盗賊の餌食となる可能性だってあるわけで…。
「……行きましょう、殿下。日が沈む前に、何としても…」
私は無理矢理身体を起こし上げ、下を向かないように立ち上がった。少し立ちくらみがしたが、しっかり足を踏みしめる。私はやれる子だ。大丈夫。下からフッと笑う声が聞こえた気がしたが殿下に笑われようが私は逞しく前に進むしかないのだ。
「君がそう言うのなら。でも辛い時はきちんと言ってね。今回一緒に連れてきた近衛兵は実力派揃いだし、ロレインが心配することは一つもないから」
「はい…」
今日は殿下がとてもお優しい天使に見えた。
リリアンナに起こされ、馬車の外へと出ると日が沈み始めていた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。そのお陰で日が沈む前に宿泊施設へと辿り着くことが出来た。気持ち悪さもなく、なんなら空腹感さえある。
私たちの荷物は近衛兵の方が部屋まで運ぶのを手伝ってくれるらしい。まぁ可愛らしいリリアンナとお近付きになりたい下心は丸見えなのだけれど。
フロリエンス王国のシンボルが入った旗が立つこの別荘は、いわゆる避暑地だそうだ。海の季節にたまに王族の誰かが宿泊したり、今回のように視察等で長距離移動する場合の宿泊場所として使われているらしい。
ちなみにフロリエンスの旗にはシンボルのブルーデイジーが描かれている。フロリエンスの騎士団が纏っているマントの色はここから取っており、勿論馬車にも金色で縁どったブルーデイジーが描かれている。花の都なだけあって、貴族の家紋は花が多い。フェタリナーツェ家もそのうちの一つだ。
部屋を整えてもらっている間に私は居間でエミル殿下とお茶を頂いていた。リリアンナの代わりにウィル様にお茶を入れて頂いたのだが…ここだけの話、絶品。私の好みドンピシャ。何故私の好みご存知なのかは分からないけれど、素晴らしいわ。皇室の側近って優秀だからかしら。
「ロレイン、気分はどう?」
「移動中眠っていたお陰で体調が良くなりました」
「なら良かった」
「はい、殿下がお茶を下さったお陰です…」
香りも強すぎず、口当たりが柔らかなお茶で…ちょっと待って?よく考えたらあのお茶を飲んでから急に眠気が来たような気が…。チラリと殿下の顔を見ると、ニコッと笑顔で返された。
「殿下。失礼ですけれど、もしかしてあのお茶…」
「あぁ、美味しかったでしょ?この間パイリェンタから輸入したばかりなんだ」
「いえ、そういうことではなくて…」
「ウィルはパイリェンタ出身でね。お茶を入れるのもお手のもので、ロレインの好きそうな味に仕上がってると思うんだけど」
「…はい、私好みで驚いております」
知ってか知らずか…これ以上は聞くなと言うことなのでしょうか。勿論私はこれ以上は聞けず、殿下とお互いに興味ないだろうと思うような世間話をしながら悶々と部屋の支度が整うのを待った。
一通り仕事を終えたリリアンナが戻ってきた時は安心した。早く部屋で眠ってしまいたいところだが直ぐに夕食の時間になる。エミル殿下と共に食事なんて気が重い。お茶は何度かしたが、夕食となるとマナーもきちんとしなければならないし、粗相を起こさないか不安だ。私にストレスフリーな環境を下さい。
***
なんとか問題なく夕食を終え、私は部屋へ戻るとそのままベッドへ転がった。食べた気がしないのに嘔吐で胃に何も入っていなかったせいか、胃痛に見舞われていた。そんな私を無理やりお風呂へ連行し、髪まで乾かしあげたリリアンナお陰ですっかり寝る支度が整ってしまった。早めに眠りにつきたかったので本望ではあるが、もう踏んだり蹴ったり、殴られたりだ。
「ロレイン様、お薬を飲んで早くお休みになってください」
「うん……だけど、その前に。ヴァンちゃん、ご飯だよー……」
キュウ、とか細い声で泣くその子はのっそりと立ち上がった。カティから預かった黒くて小さな子は二、三日で傷が癒えるはずもなく、一人にしておく訳にはいかなかったのでこうして一緒に連れてきたのだ。勿論殿下には秘密で。
ご飯や生活環境を調べるために、まず何の動物の種類なのかを家の図書室で調べた。
黒い羽根からしてこの子はコウモリの一種であることが分かったが、少し長めのしっぽはトカゲのようでハッキリとした種族は分からなかった。ハーフかな?
コウモリであるならば色々な細菌を持っている可能性があるため手袋をしながらお世話をすることに決めたのだが、お世話の最中に風の精霊がその子について少し話してくれた。
曰く、カティが色々とその辺の対応はしてくれていたらしく、あまり問題はないらしい。そういうことは予め言いなさいよ。
因みに私が命名した"ヴァンちゃん"だが、これはコウモリといったらヴァンパイアだろうという安直な連想から付けた名前だ。可愛いでしょ、と言ってもリリアンナにはこのセンスが分からないらしい。興味が薄い彼女にはハイセンス過ぎたのかしら。
「私があげておきますので。そんな状態じゃあその子も心配しますよ」
「うぅ…リリアンナ…"その子"じゃなくて、ヴァンちゃんよ。…たの…んだ……」
「はいはい、早くお薬を飲んでください」
***
二日目の朝。
朝食を頂いて、すぐに出発の支度を始めた。
憂鬱だ。またあの酔いと戦わねばならない。そして何より今日はアグリジェント王国の陛下、殿下へのご挨拶と軽い親睦会が待ち受けている。視察自体は明日なのだが、まだ成人もしていない私が他国の王様にご挨拶をするなんて…緊張する。
王族とは関わり合いたくないと言った私への罰なのでしょうか。
せめて癒しをくれと、ヴァンちゃんの様子を見てみるとぐっすりと眠っていた。可愛い。
傷を癒すのに体力を消耗しているのか、ヴァンちゃんは一日の殆どを睡眠に使っている。眠っている姿も、起きてご飯をモグモグしている姿も全部可愛い。
神獣は毛並みも柔らかくて気持ちが良いのだが、サイズは大きいし。精霊や妖精たちは小さくて可愛らしいのだが、それはまた違う可愛さで…。こんなに小動物が可愛いと思うのはこの子が初めてだ。大切に守り育てよう。
「ロレイン様。支度が整いました。あと15分程でここを発つ予定でございます」
「分かったわ」
「それと…大変申し上げにくいのですが…」
「何?今更リリアンナが私に遠慮する必要ある?」
「それもそうですね」
「ちょっと」
もういいわ。リリアンナは私で遊んでいるのよね?気にしないもの。「どうぞ、話を続けて?」と私は大人な対応を見せた。どうだ。けれどリリアンナは全く顔色を変えず、話を続けた。
「では、申し上げさせて頂きます」
「…う、うん…」
そうして出発の時間が訪れた。私は有無も言わさずエミル殿下と同じ馬車へと詰め込まれる。
リリアンナから聞いたのは衝撃的なことだった。私はそんな大事なことを今まで聞かされずに呑気にノコノコと…。
「浮かない顔だね」
爽やかな笑顔を私に向けてくる殿下は昨日と違って悪魔の角が生えているように見える。分かってるくせに!
「殿下…何故私は殿下と同じ馬車に乗っているのでしょうか」
「あれ?さっき君の侍女には伝えたんだけど」
「はい、聞きました。それも込みで再度聞きいております。何故でしょうか」
ピリピリとした空間の私たちを他所に馬車は出発した。
ガタガタと揺れる音が車内に伝わり、振動も少しずつ私を刺激し始める。殿下は静かに黙ったままだった。
「…これを言うと君が視察に付いて来てはくれないと思って」
「そうでしょうか、ですがこれはあんまりだと思います」
私は外を見つめ、酔いを少しでも軽減させようとなるべくいこの怒りに集中することにした。
リリアンナも突然今朝言われたそうで、彼女に非はない。
流石にウィル様は元から知っていたみたいだがエミル殿下に口止めされていたようだ。
エミル殿下とは確かに歳も近いし、私は田舎育ちではあるが公爵令嬢。爵位も相応だ。婚約者の居ない、妖精が見える私がこうなるのは仕方がないのかもしれない。
でも私がこうして視察に大人しく付いてきているのに更に秘密事だなんて。私に関することなのだから予め知る権利はあるのに。…それを知った上で視察に参加していたとは限らないけれど。
「ロレイン。視察の間だけ、僕のパートナーになって欲しい」
「…お断りさせて頂きます」
嫌ですというか無理です。私なんかに務まるわけがありません。ここで失態なんてすれば処刑もの…。外交問題にまで発展してしまう。そんなリスクと責任、私には負えません。
「フリでいいんだ。じゃないと僕は君を守りきれない」
「守るって…何から守るんですか」
「…きっと行けば分かるよ」
殿下が何から私を守りたいのかは分からない。
守りたいと言われる筋合いなんてないし。私はそれよりもこれからエミル殿下の婚約者として二日間アグリジェントに滞在しなければならないという事実に困惑している。婚約者のフリだなんて、習ってないもの!スワンに今からでも出張してきてもらおうかしら?…冗談でも間に合わないわ。
どう振舞おうかと考えていると、ふと急に馬車の揺れが小さくなったことに気が付いた。
「…なんだか先程より馬車の振動が減りましたね」
「あぁ、アグリジェント王都に入ったからね。道が舗装されているんだよ」
窓の外を見てみると、田畑が並んだ風景から一変、一気に華やかなお店が並ぶ市街地に変わっていた。
高い建物が並ぶレンガ調の家やこだわりをもって作られたであろう時計台。真ん中には妖精のモチーフが器用に掘られていて、近くには大きめの噴水があった。
美味しそうなパン屋の匂いや私たちフロリエンスから仕入れたのか、見覚えのある美しい花が並ぶ花屋。
大陸の中心に位置するこの国にはやはり他国の特徴が多く見られる。賑やかな街に私はワクワクしてしまった。
「機嫌が直ったみたいで良かった」
「こ、これは…コホン。失礼致しました」
「もっとはしゃいでくれて構わないよ」
「子供扱いはお止め下さい、エミル殿下」
私は身を乗り出した体を元の位置に戻した。いけない。しっかりしなければ。もう少しすれば…アグリジェント王国、王城だ。




