中編
すみません、前・後編予定でしたが、
前・中・後編になってしまいました。
「ハンベルト」
穏やかな声がホールに響き渡った。参列席の最前列、文部省のお偉方専用席からだった。
「…なんでしょう、叔父上」
ハンベルトは私から視線を外し、自分の名を呼んだ青年を見た。
国王陛下の末弟で大公のリオン殿下だ。まだ23歳の青年だけれど、文部省事務次官として、大臣の隣に座っている。陛下とは母を異にしているが、温厚かつ謙虚な人柄で、親子ほど年が離れた陛下にとても可愛がられている。
そのためハンベルトの婚約者になって以来、彼とも本物の兄妹のように親しい仲となった。
彼は、甥の糾弾をどう受け取ったのだろう。
震えを隠すために、手を強く握りしめた。
「フォーカムとアッサム以外の証人はいるのか?」とリオン。
ハンベルトは
「二人いれば十分でしょう」
と答えにならないことを言った。
リオンはそうか、とうなずくと立ち上がり、広間を見渡した。
「これは国王陛下の名代としての質問だ。ニコラ・フレーベルがそこの令嬢に嫌がらせをしている場面を目撃したものは名乗りあげよ」
朗々と響く声。
だけれどそれに返される返事は上がらなかった。
当然だ。私はそんなことをしていないのだから。
ハンベルトを見ると彼の顔は驚きに固まっていた。どうやら証人が皆無であると思わなかったらしい。つまり彼は、私が本当に嫌がらせをしたと信じていたのだ。
…彼に嵌められるよりは、そんな人間と思われた方がマシ…かな。
「さて」とリオン。「何か主張のあるものは遠慮せずに申せ」
はいっ!
と幾つもの声が上がった。
「ニコラがそんなことをするはずはありません。私たちが殿下とソフィアさんとのことを幾ら申し上げても、『ハンベルト殿下は不誠実なことは致しません』と固く信じていたのですよ!」
「ニコラは学業と王妃教育に寝る間を惜しんで取り組んでいました。嫌がらせをする時間なんてありません!」
「そもそも彼女はいつも私たちと一緒にいます。嫌がらせをしていたなら、私たちも一緒にいたはず!なのに私たちの名前は上がりませんでしたね!」
「僕たちはハンベルト殿下に何度も申し上げました!ニコラのいない隙を狙って近づいてくるソフィアは、見かけ通りの娘であるはずがないと!」
「そう、ニコラが懸命に努力をしている時間にソフィアといちゃついてばかりいるのはおかしいとも申し上げた!」
「女子の友達が一人もいないソフィアは怪しいと進言もした!」
気づけば私の周りを友達たちが囲んでいた。
嬉しさに涙がにじむ。
「そうだろうな」
リオンは満足そうにうなずいて、ハンベルトを見た。
「実は陛下から密命を受けている」
「密命…」
そう呟くハンベルトは蒼白だ。ソフィアは震えているようだ。
「そう。この大舞踏会での君たちから目を離さぬように、と。陛下はお前が近頃ニコラを邪険に扱うことにひどく胸を痛めていた。覚えがあるだろう?何度も注意を受けたはずだ」
ハンベルトは、それは…、と口ごもった。
「恋に浮かれるのは若者の特権と言えるが」
と私たちと6つしか年が変わらないリオンの言葉に、隣の大臣が吹き出しかけた。慌ててすまし顔をしている。
「王太子のお前がそれではいけない」
「浮かれてなどおりません」とハンベルト。「ソフィアはニコラに嫌がらせを受け、二人がそれを見ているのです」
ソフィアがこくこくと首をたてに振る。
「情けないな、ハンベルト。アッサムが騎士団長の息子ながら、いかがわしい店に出入りしていることを知らないか?」
ハンベルトは、え?、と声を上げて親友を見る。アッサムの顔は真っ青だ。
「それをネタに脅されたのだろう?」
リオンがにっこりと微笑むと、アッサムの膝がガクガクと震え始めた。
「それからハンベルト。フォーカムの家はなんと呼ばれている?」
リオンの問いにハンベルトは答えない。アッサムのことが余程ショックなのか青い顔でまだ親友を見ている。
「ハンベルト」とリオンは重ねて甥の名前を呼んだ。「フォーカムは『二番手公爵家』の長男だぞ」
ハンベルトはゆっくりと首を巡らし叔父を見た。口を開いたが言葉は発さないまま、再び閉じた。
「しかもフォーカム自身が二番手確定と言われていることを知っているはずだ。ニコラの兄は優秀だからな」
大臣が大きくうなずく。
「さて、二番手が一番手になるにはどうすればいい?」
一番手がいなくなることが手っ取り早いだろう。
私の瑕疵で婚約が解消になれば、兄や父にも影響が出る。
ハンベルトはそのことを理解したのか、目を見開いて傍らの親友を見て、それから私を見て、また親友を見た。まさか、との呟きが聞こえた。
「ではこの大舞踏会で、婚約破棄の宣言をしたのは何故かな?」
「…力のあるフレーベル家でも婚約破棄を回避できないようにするには、衆目の前で宣言するのがよい、と。…フォーカムが言ったから…」
尻すぼみになるハンベルトの声。あまりの情けなさに、切なくなった。周りの友人たちも痛々しいものを見る目をしている。
「たとえニコラが本当に嫌がらせをしていたとしても、だ。彼女はお前の正式な婚約者で10年にもわたって王妃教育を受けて来た身。しかも公爵令嬢で宰相の娘だ。まるで私刑のような扱いで破談を宣告するものではない。お前はそれもわからなかったか?」
リオンの口調は限りなく穏やかだ。だがそれはきっと…。
「このようなことをするお前には、王太子としての思慮が足りない、ということになる。残念だが王太子としての地位は凍結、再疑議となるだろう」
そんな!と悲痛な叫び声が上がる。
ハンベルトではない。ソフィアだった。
その一言で、彼女がしがみつきたかったのはハンベルトではなく王太子だったと分かる。ハンベルトは彼女の腰に回していた手をそっと離した。
「本当に残念だよ、ランゲルト」
リオンはそう言って、いつの間にか参列席のそばに立っていたランゲルトを見た。
「お前のその明晰な頭脳をこんなことに使うなんてな。そんなに王太子になりたかったか」
その言葉に、ホール中の人間が息を飲んだ。
「黒幕はお前だろう?フォーカムとソフィアを焚き付け、アッサムの弱みを見つけ、自分に王太子の地位がまわってくるように企んだ。私が見抜けないと思ったか?」
ランゲルトの顔は死人のように白い。
ハンベルトとランゲルトは仲の良い兄弟だった。三人で沢山話もした。あれは全て嘘だったというのか。
がっくりとうなだれる弟と、呆然とそれを見る兄と。
やるせない気持ちでいっぱいになった。