前編
婚約破棄の王道を書いてみたくなりました。
前・後編です。
「ニコラ・フレーベル。そなたとの婚約は破棄をする」
私の婚約者でありこの国の王太子であるハンベルトが、冷酷な表情でそう告げた。それほど大声だったわけではないのに、ホールは水を打ったような静けさになった。
今日は王公貴族専用のこの学園で、年に一度催される大舞踏会の日だ。新しい生徒会の御披露目を兼ねるものだから授業の一環で、生徒だけじゃなく教師陣も全員参加、文部省のお偉方も列席している。
その大舞踏会で。開会宣言をするはずだったハンベルトは、なぜか開会ではなく婚約破棄の宣言をした。
その傍らには小さく可愛い、庇護欲をそそる女生徒。伯爵令嬢のソフィアだ。彼女はハンベルトにしがみつき、ハンベルトは彼女の腰を抱いている。
全く意味がわからない。
「ニコラ。公爵令嬢にあるまじき嫌がらせを彼女にしたそうだな。そのような醜い心の持ち主に私の妻になる資格はない。己を恥じ、即刻立ち去れ」
ハンベルトはまるで汚物でも見るかのような目を私に向けている。
そうか、と様々なことが一気に腑に落ちた。
このところハンベルトは、忙しさを理由に会ってくれなかった。放課後のお茶も、ランチも、ムリ。休日なんてもっとムリ。
学園の勉強と王太子としての勉強でお前と会う時間なんて取れないのだ。それとも睡眠時間を削って会えと言うのか。
そう不機嫌に叱られてばかりだった。
私たちは政略的な婚約だったけれど、お互いを尊敬しあい、ずっと仲良くやってきた。だからハンベルトは余程大変なのだろうと思い、彼が忙しくなくなるまで静かに待つつもりだった。
だけどあれは全て嘘だったのだろう。
何度か、ハンベルトとソフィアについての忠告を友から受けていた。信じなかった私が間抜けだったのだ。
…激しい恋ではなくても、愛情はあったのに。
涙が零れそうになるのを、目を限界まで見開いてこらえる。
ただ、これだけは言わないといけない。
「ひとつだけ申し上げます。わたくしはソフィアさんに嫌がらせなんてしておりません」
きっと誰か他の人がしたことを、勘違いしているのだろう。私はそんなことはしていない。だってハンベルトを信じていたのだから。
だが。
「なんて情けない」彼は悲しげな顔をした。「この期に及んで嘘をつくとは。かつては良い友だと思っていた。残念だよ、ニコラ」
何かがガラガラと音をたてて崩れた。
ハンベルトは私を信じない。
私はしてもいない嫌がらせをしていたことになっている。
思わずちらりと参列席に目をやってしまった。
そこにいる彼にだけは、そんな卑怯な人間だと思われたくない。
「そなたの嘘など通らんぞ。ちゃんと証人がいるのだ」
とハンベルト。その声に彼らの両脇に立っていた二人が大きくうなずいた。右にいるのが財務大臣を父に持つ公爵家長男フォーカム。左にいるのが騎士団長を父に持つ侯爵家次男アッサム。
ハンベルトとこの二人は入学以来の親友だ。
特にフォーカムの家。『二番手公爵家』と呼ばれ、なぜか代々宰相戦はうちに敗れ、ハンベルトの婚約者にもフォーカムの妹は選ばれなかった。
そんな事情をものともせずに、二人は厚い友情を培っているらしい。
でもこれは一体どういうことなのだろう。
やってもいないことの証人が二人もいるなんて。
まさか。
思いついた恐ろしい考えに、心臓がばくばくいう。
と、私のそばに誰かが来た。顔を向けると。ハンベルトの双子の弟、ランゲルトだった。
「全く忌々しい。君がそんな卑劣な本性を隠して兄上の婚約者におさまっていたなんて」
彼も私を虫けらでも見るかのような目で見た。
ずっと親しくしてきたのに。
ハンベルトもランゲルトも、もう私を信じる気持ちはないらしい。
「まだ公爵令嬢としての矜持があるなら、潔くここから立ち去れ。そなたはもうこの学園にふさわしくない」
ハンベルトの宣告に、目の前が真っ暗になった気がした。