1話
「ぜぇ…ぜぇ…」
「大丈夫か?高山」
ホームルームが終わった僕らを待っていたのは武術の基礎授業。
男女が体操服に着替えて無駄に広いグラウンドで走り込みをしている。
息も絶え絶えで答える余裕のない僕の隣には服部が汗をかく事なく
飄々とした態度で走っていた。
これが大丈夫に見えるなら眼科に行く事をお勧めする。
この基礎授業は僕の様な文系のモヤシボーイが今後の武術の選択授業に付いて行けるようにする本当に最低限の基礎体力をつける為の授業だ。
開校して数年はこの様な基礎授業はなかったらしいのだが、学校の評判だけを見て入学した僕の様なモヤシが授業について行く事が出来ず留年するケースが増えて来た事によって学校側がカリキュラムに入れたらしい。
このカリキュラムを導入した事で授業にさえついていければ僕の様なモヤシも卒業の可能性を高める事ができるのだが、同時に忍耐力のない人間は転校、もしくは自主退学という形で学校を去って行く。
実際に僕らが入学してから今日に至るまで、何人ものクラスメイトはこの授業に耐える事が出来ずにこの学校を去って行った。
「ほら、もう少しだぞ高山」
「ぐぅ…おぇ……」
最後尾に居ながらも一時間近くグランドを走り続け、なんとか授業内で走り終えた
僕は吐き気を催しながらも基礎体力をつける為のメニューを終えた。
足が鉛のように重たくなっているが根性で歩きながら呼吸を整えようと息を吐く。
ゆっくりと歩きながら呼吸を整えようとしていると、筋肉ムキムキで暑苦しい空気を身に纏っている九条先生がやって来た。
なんだろう?もしかして軟弱者と怒鳴られるのだろうか?
実際、始めの授業の頃は授業内に完走する事が出来なかった為に、鬼のような形相で『もっと根性を出せ』とか色々と言われた。
今にして思えば、辞めていったクラスメイトの中には九条先生が怖くて学園を去った生徒も少なくはないだろう。
走り込みだけではなく別の意味でも心臓がドキドキしていると、普段とは違った表情で話を掛けられた。
「よく走り切ったな、高山。
最初の頃に比べればだいぶ成長したが……。
まだまだこの程度でへこたれるようでは学校生活が大変だぞ?」
突然の九条先生の言葉に思わず鉛のように重たい脚が止まりそうになった。
隣にいた服部も驚愕の表情をしている。
それはそうだろう、あの九条先生が僅かにだけど僕を褒めた?
職員室でパチンコの雑誌や競馬のラジオ中継で一喜一憂しているあのダメ人間ならぬダメゴリラが?
この先生を知る生徒なら誰だってこの光景を見たら僕たちと同じ表情をするだろう。
「なんだ?その鳩が豆鉄砲を食ったような表情は?
文句があるなら拳で語り合うが?」
僕の隣で歩きながら拳からゴキゴキという物騒な音を奏で、青筋を浮かべながら
にこやかに話す九条先生。
やばい、殺される。
「ったく、俺もこの学校の先生だぜ?
授業に関しては、お前たちの面倒をしっかり見るっての。
それにだ……お前には期待してるんだぜ?」
呆れながらも最後にはニヤリと笑って僕を見る先生。
正直、この貧弱モヤシに期待されても困ります。
僕に期待を寄せる暇があるのなら、副担任として授業以外でもしっかりしてもらいたいものだ。
本当にどうな経緯があって、この先生は教師なんてしているのだろうか?
「…先生。
前から思っていたんですけど、よく採用されましたね」
服部も僕と似たような事を思っていたのだろう。
気持ちは痛い程に分かるが、それを九条先生に聞くとは命しらずな……。
まだ半月の付き合いだが、彼は時々僕の想像を超えた人間になる。
「うるせぇよ。
つーか、この学園で副担任をやってる達人たちは全員国からスカウトされて来たんだよ」
「ですよねー。
じゃないと武術家が教師になる機会なんてありませんからね」
「まぁな」
あの九条先生と普通に話をしている服部にも驚きだが、国が武術の達人をスカウトしているなんて……。
九条先生の様な人を教育の現場へとスカウトするなんて日本は大丈夫なのだろうか?
それとも昔から言われている少子高齢化の影響が達人にも出ているのだろうか?
1
「か、体が……足が…」
基礎授業が終了し、お昼の時間がやって来た。
各々が弁当や学食で昼食を楽しむ中、僕や文系のクラスメイト達は机に突っ伏して震えていた。
「おー、喋れる余裕が出て来たんなら大丈夫だな。
今日は弁当食えるだろ?」
「う…うん」
よろよろと老人の様な動きで鞄の中から布に包まれた母さん特性弁当を取り出す僕に付き合うようにして机をくっつけてくる服部。
彼は朝のコンビニで買い物をしたらしく、コンビニのビニール袋からパンが顔をのぞかせる。
「それにしても《柳生の姫》は今日もすごかったなぁ……。
何食ったらあんな爆乳になるんだ?」
「たしかに」
パンを包装しているビニールを剥がしながら、胸が熱くなる話題を提供してくれる友人に即答する。
そして、僕らの近くに居たクラスメイト達も柳生さんの話題に反応したのかウンウンと頷いている。
「お前…この話題になると元気だよな……
なに?《柳生の姫》が好きなの?
恋しちゃってんの?」
「何言ってんの?確かに柳生さんは美人だよ?
おっぱいも大きいし、顔もいい。
でも、それとこれとは話が別だよ。
僕にとって彼女は目の前に実在するけど触れる事の出来ないグラビアアイドルみたいな感じなんだ。
いわゆる二次元の存在なのさ」
「おい、今すぐ土下座して俺の二次元嫁に詫びろ」
煽るようなニヤついた表情から呆れた表情から憤怒の表情へと変わった服部。
将来は二次元の様な夢の世界に旅立つ事を夢見ているらしい。
目の前の二次元忍者の怒りを無視して、周りをチラリと視線を移すとクラスメイト達は会話に入ってくることはないが、またもウンウンと頷いて僕に同意している姿が目に入る。
「そういう服部はどうなのさ?
いくら二次元嫁が好きでも柳生さんレベルの美人が気にならないの?」
「……美人だなーって思うぐらいかな?」
「君の頭は大丈夫か?」
お返しとばかりに、反撃をするも老若男女を問わず魅了していると噂の彼女を美人の一言で済ませる服部に僕は思わず彼の頭の心配をしてしまう。
彼の眼はきっと、ビー玉かガラス細工で出来ているのだろう。
「うるせぇよ、貧弱モヤシ。
お前は知らねぇかも知れないが、柳生の女は色々と噂があるんだよ」
「噂?」
「ああ、実は……」
ゴクリと生唾を呑みながら、服部が口にしようとしている噂に耳を集中させる。
僕の周りで同意していたクラスメイト達も興味津々なのか若干こちら側に体を傾けている。
だが……。
「おい!柳生さんが廊下で大変なことになっているぞ!!」
服部がまさに噂について話そうとした瞬間、クラスメイトの男子が慌てて教室へと転がり込んできた事で中断した。
2
転がり込んで来た男子生徒の様子からただ事ではないと思った僕を含むクラスメイト達は痛む体を無視して一目散に廊下へと駆け出した。
すると、廊下には生徒達による人だかり形成し始めていた。
僕は微かにあった隙間に入り込むことにより、運よく事態を確認できる位置を確保する事ができた。
僕を含む遠巻きに見ている野次馬達の中心に彼女はいた。
そして、彼女の前には日本刀を帯剣した男子生徒が彼女の目の前を遮るようにして立っていた。
「柳生 彩芽…もう一度だけ言うよ?
僕のガールフレンドになりたまえ」
前髪をかき分け、気取った口調の男子生徒に殺気を募らせる野次馬達。
整った甘いマスクとは裏腹にその瞳は欲望の光をギラギラとさせ、柳生さんのグラマーな肢体を舐めまわすように視線を動かしている。
腰に日本刀を帯刀している事から察するに、あの男子生徒は僕らの先輩なのだろう。
……さっさと振られてしまえ。
「先ほど、『貴方に興味はないから断る』と言ったはずですが?」
「うぐ…」
僕らの呪詛や、怨念の籠った願いの通りに撃沈した謎の先輩。
当然だ。彼女は学年一のイケメンで秀才な王子様から、果ては金持ちのお坊ちゃんなどを含む多種多様な男子生徒達を例外なく振った難攻不落の大城塞にして、僕らフツメンの輝く星なのだ。
もしかしたら彼女にとっては、イケメンな面構えや金などはRPGの《石ころ》や《布の服》と変わりないのかも知れない。
「や、《柳生》の人間ならば、僕の家の事は知っているだろう?
僕の実家は君と同じく、あの《徳川》に付き従った名家で、僕は《坂田重工》の御曹司なんだぞ?」
「だから?」
「…は?」
先輩のステータス自慢は柳生さんの心を一ミリも動かす事はなかった。
その代わりに、ざわついたのは野次馬の女子達だった。
なるほど、確か性格はあまりよろしくない感じだが、あの甘いマスクと有名な《坂田重工》の御曹司という肩書はすさまじい。
幼いころから現在まで、お付き合いする女性に困った事はないのだろう。
だが、柳生さんにまたも冷たくあしらわれた事でプライドが傷つけられたのか、『あり得ない』と言いたげな表情をしている。
これは僕の想像だが、この先輩は女性は全て自分に好意でも抱いているとでも思っていたのではないだろうか?
だから、こんな一年生の廊下という誰の目にも晒される場所で柳生さんに告白する事が出来たのだろう。
僕がそんな事を考えて居ると唖然としていた先輩の表情が変わった。
顔は真っ赤に染まり、憤怒の形相へと変わる。
「決闘だ!!決闘を申し込む!!」
腰に帯刀していた刀を抜刀し、刃は潰してあるとはいえ切っ先を柳生さんに向ける先輩。
まさに絵に描いた様なクズの所業であり、野次馬達もまさかの暴挙に驚きを隠せない。
もう、どうやって収集したらわからない。
そんな、混沌とした空間の中で切っ先を向けられた彼女だけは動じる事なく、堂々とした態度で答えた。
「いいでしょう」