九話 泥の助け舟
魔法使いギルドの昇降機が、いささかの揺れも生じずに上っていく。
操作しているのは、フリーデだ。
魔法の実力だけで決めるなら、彼女は明日にでも支部長になれるだろう。
「これはこれは、ルジェナ様! お出迎えも出来ず、申し訳もございません」
「こちらこそ突然お約束もなしに失礼しました。支部長……いえ、今は地区長でいらっしゃいますね」
「はい。おかげさまで先日、昇格いたしました。さ、どうぞ中へ」
地区長に促されて入った部屋は、以前とほとんど変化がない。
「地区長への昇格、おめでとうございます。本当は、何かお祝いの品でも、お持ちしたかったのですが、父の職業上、控えた方が良いかと」
「ルジェナ様とお会い出来ることに優る品など、あろうはずもございません。その美しいお顔を拝見出来ただけで、十分でございます」
「地区長に昇格なさっても、お上手ですね」
「これは私の本心でございます。……本日は祝いのお言葉をくださるために、こちらに?」
「もちろんそれが、一番の理由です。それと、一通お手紙が届きまして」
というのは偽りだ。
「手紙、でございますか?」
「はい。差出人の方は、先日地区長にお預けした黄色の魔法結晶を、私に下さった方なのです」
その人物も存在しない。
あの魔法結晶を生成したのは、私自身だからだ。
地区長の表情が曇る。
「そ、その方は、手紙でなんと?」
「『あの黄色の魔法結晶を魔法使いギルド本部で見た』と」
「なるほどなるほどなるほど。……実はお預かりした魔法結晶は、大変高度なものでしたので、詳細な検査が出来る本部に送りました」
「そうでしたか。……けれど不思議ですね。手紙には『昇格試験の優秀作品として、展示されていた』と書かれていました」
「そ、そ、それは、あれです。実に見事な品でしたので、私が提出した魔法結晶も、それを参考に生成しました! ですから、とても似た構造になっている次第でございます」
「なるほど。彼の方が、きっと勘違いなさったのですね」
「失礼ながら、そうではないかと」
「分かりました。それでは『現在本部には、よく似た黄色の魔法結晶が、二つあるはずです』と、お返事を書きます」
「お待ちを! そ、それは……」
「何か、不都合がございますか?」
「いえ、そういうわけでは……」
そう言って苦悶の表情を浮かべた地区長に、助け舟を出そう。
はじめから沈めるためだけに、こしらえた泥舟ではあるが。
「そうですか。……ところでお話は変わりますが、先日私の通う大学で、学生による試験の不正行為が発覚しまして」
「は、はい」
「その学生は、退学処分になりました。私は規則上妥当な処分と考える一方で、その方の将来を考えると、少々厳しすぎる気もいたします」
「さすが、ルジェナ様。お優しいですね……」
「魔法使いギルドでは、こういった場合、どのような処分が下るのでしょうか?」
「ま、まず不名誉脱退は免れないでしょう……」
「やはり、魔法使いギルドでも同様なのですね。ありがとうございます。とても参考になりました」
「とんでもございません」
「それでは、地区長もお忙しいかと存じますので、そろそろ失礼いたします」
「ル、ルジェナ様! 少しお待ちを!」
「はい。どうかなさいましたか?」
「さきほどの手紙の件ですが、お返事を書くのを、どうか、どうかどうかご容赦願えないでしょうか……!」
「何故ですか?」
「た、大変、お恥ずかしい限りなのですが、実は、出来心で、お預かりした魔法結晶を、私が生成したものとして、昇格試験に提出してしまいまして……」
「……なるほど」
地区長が床に頭を擦り付けるように平伏した。
「軽蔑なさるのは、重々承知でございます。ただ、不名誉脱退した魔法使いは、食っていけません。どうか、御慈悲を賜れないものかと……!」
「……手紙が届かないということは、稀にございますものね。配達の方が紛失されたり、別のお家に届いてしまったり」
「はい! それはもう、よくあることでございます!」
「では、あの手紙も、私のもとに届かなかったかもしれませんね」
「ルジェナ様! 本当に、本当にありがとうございます! このご恩は、いずれ必ずお返しいたします!」
「そう言っていただけるのであれば、一つ、お願いしたいことがございます」
「なんなりと、お申し付けください!」
「父の支持者を奪い、私が次期市長になろうと考えております。ご協力いただけますでしょうか?」
「な……! お父上は我々魔法使いギルドとも関係が深く、私一人の一存では……」
「それは大変残念です。では『次の地区長』にお願いすることといたします」
「お、お待ちください! 前言を撤回いたします。本部から何を言われようと、我が地区はルジェナ様を支援するとお誓い申し上げます!」
すがりついてきた地区長を、微笑みながら見下ろす。
「ありがとうございます。しかし『紛失した手紙が、ある日突然見つかることもある』こと、どうかお忘れなきよう」