七話 策略の種子
「そろそろ出発しましょうか、フリーデ」
「はい。裏に馬車を回してございます。ルジェナ様」
フリーデが広げた外套の袖に手を通しながら、問い返す。
「どうして裏に?」
「正門には、記者が大勢押しかけておりますので」
「そう。大変な騒ぎになっているようだものね」
屋敷を出て裏庭を進むと、人影がある。
「ヴァレーエフ市長の娘さんですね? お聞きしたいことがあります!」
フリーデが立ちふさがるように前へと歩み出た。
「一体どこから入ったのですか? 警備の者を呼びますよ」
「フリーデ、構わないわ。通して差し上げて」
薄ら笑いを浮かべた男は、おそらく記者だろう。
「へへ、ありがとうございます。先月火災で亡くなった最高判事と市長の癒着疑惑について、ご存じですよね?」
「報道されていることは存じております」
「では、お二人の会話の音声も、お聞きになりましたよね? あれは、お父上の声だと思われますか?」
「父の声に似ていることは、確かだと思います」
「では、お父上は裁判における汚職に関与されたと?」
「あの音声は、父ではないと信じています」
この言葉に、偽りはない。
なぜなら、報道されている音声は、最高判事と変声魔法を使った私の会話だからだ。
もっとも、癒着自体は有罪だと断言出来るが。
「それでは、あの音声は偽装されたものだと?」
「そういったことには疎いもので、分かりかねます。……お約束がありますので、そろそろ失礼いたします」
「もし、偽装だとすると、誰がどんな目的で――」
記者の質問を遮るように、馬車の扉が閉まる。
「……将軍、よろしかったのですか?」
運転席に座るフリーデの声は、多少沈んで聞こえた。
「何か問題があったか?」
「いえ。ただ……あの音声を報道機関に届けろと指示を受けた時は、この一件で市長を追い落とすのだと思っておりました」
「私が奴を庇ったように聞こえたか?」
「はい、少々」
「なるほどな。だが、案ずることはない。全てが思惑通りに進んでいる」
以前撒いた策略の種は、着々と芽を出し始めている。
それらが成長し、根を張り巡らせ、地形すらも変える日は、そう遠くない。
「承知いたしました。差し出口をきき、申し訳ございません」
「構わん。部下の素朴な疑問から、思わぬ発見をすることもある。今後も遠慮せずに言うが良い」
「はい。ありがとうございます」
馬車がゆっくりと止まる。
「フリーデ、魔法使いギルドに行ったことは?」
「一度もございません」
「そうか。私は六十数年ぶりだ」
見上げた建物の屋根は、三角帽子のように、折れ曲がりながら上へと伸びている。
魔法使いギルドへと入ると、小柄な男が立っていた。
男は深々と一礼した後、作ったような笑いを浮かべる。
「ルジェナ様! お待ち申し上げておりました!」
「お出迎えいただき、ありがとうございます。支部長」
「白薔薇と称えられる、あなたさまにお会い出来ることは、無上の喜びでございます」
この男のように口先だけの人間は、信頼はできないが、行動をある程度予測できる。
そういった意味で、扱いやすい。
「相変わらず、お上手ですね」
「いやいや、あなたの美しさは言葉ではとても表現しきれません。さあ、どうぞこちらへ」
「ありがとうございます。お邪魔いたします」
支部長のあとに続いて奥へと進むと、数十人の魔法使いが同じ色の魔石を加工している。
一階にいるということは、最下級の新人魔法使いたちだろう。
「皆さま、とても熱心に取り組んでいらっしゃいますね」
「昇格試験を控えておりますので、皆必死です。ひと目でそれを見抜かれるとは、さすがですなあ」
「そうなのですね」
六十年前は、下級魔法使いの昇格試験といえど、決闘さながらの模擬戦で審査したものだ。
怪我は必然で、時には死者も出る危険なものだった。
それが椅子に座って魔石の加工とは、魔法使いも軟弱になったものだ。
「足元にお気をつけください」
支部長が示した場所には、人間が数人乗れる木で出来た籠があった。
それを囲うように、数十本の鉄格子が、天井に空いた穴に向かって伸びている。
籠に乗ると、支部長に手すりを掴むよう促された。
「揺れますので、ご注意ください」
「はい」
籠が鉄格子の間をゆっくりと上がっていく。
最上階にたどり着くまで、支部長の言葉通りひどく揺れた。
それほど難しくない魔法操作のはずだ。
フリーデなら、ほとんど揺らさずに最上階まで来れただろう。
この男が実力を評価され、支部長の地位を得たのであれば、魔法使いギルドの未来は暗い。
もっとも、実力以外の口先の上手さなどで地位を得たとしたら、より暗いとも言えるが。
「どうぞお入りください」
支部長が開いたドアを通り、部屋へと入る。
そして示された椅子に座った。
「それで、ご相談というのは、一体どのような内容でしょうか?」
「フリーデ、お見せしてください」
フリーデが頷いて、机の上で包を広げる。
中から現れた黄色の魔法結晶を見て、支部長は目を見開いた。
当然の反応だ。
この魔法結晶は、支部長クラスの昇格試験の課題条件そのままの品なのだから。
「こ、これをどちらで?」
「以前、知人の方からいただいたのですが、貴重な品なのでしょうか?」
「は、はい。貴重と申しますか、大変高度な魔法技術で生成されたものとお見受けします」
これも当然だ。
六十年前の魔法使いギルドでさえ、これ以上の物を作れる人間は、私以外にいなかった。
「やはりそうなのですね。これの保存に関して、注意することはございますか?」
「見たところ大変安定しておりますが、これほどの傑作となると、完璧な保存方法は、詳しく検査してみませんと……」
「支部長にお預けして、調べていただくというのは、やはりご迷惑でしょうか?」
「迷惑など、とんでもございません。むしろ、貴重な経験になりましょう。ただ、ご返却までには、時間が必要かと」
「もちろん覚悟しております。お手すきの際に調べていただければ。お返しいただくのはいつでも構いません」
「そういうことでしたら、お預かりいたします」
魔法結晶を手に取る時、支部長の口元がわずかに緩んだ。
作られたものではなく、本性が垣間見える卑しい表情だ。
その顔を見た時、確信した。
今撒いた種も、きっと芽を出す。




