四十八話 白い魔法
「やっぱり、お兄ちゃんだよね?」
「そうだ。……あなたが、市長さんですか?」
向けられた視線にも、投げかけられた言葉にも対応せず、私はこの異常な状態の答えを探した。
しかし、この死体を何者かが操っているわけではない。
この森の中には、魔力も、魔法使いの存在も、それどころか我々三人と、この死霊以外の存在を探知出来ない。
死霊が一歩踏み出す。
その足が地に触れると同時に、顔が苦痛に歪んだ。
それでも死霊は、こちらへと歩みを進める。
その者は、私の目前で止まった。
「俺を殺して、蘇らせたのは、赤い刻印を持つ、魔法使いでした」
「……その魔法使いは、今どちらに?」
「既に斬りました」
「なるほど」
「市長さんに、お願いがあります」
「どういった内容でしょうか?」
死霊が差し出したのは、一振りの剣。
正騎士である証だ。
「これで俺を、殺して下さい」
「お兄ちゃん!?」
叫ぶように言ったイルマに、死霊は小さく首を振る。
「このままだと、俺はいつか正気を失って、誰かを傷つけるだろう。だから自分で終わらせようとしたが、無理だった」
死霊の首には、深い傷跡がある。
想像を絶する激痛だったはずだ。
それでもなお、この男は、正気を保っているというのか?
「……承知しました」
受け取った鞘から、剣を引き抜く。
死者を殺しても、法には触れない。
「駄目!」
背後から、イルマが私の両腕を抱えている。
悲痛な声に対し、静かに言葉を返す。
「こうなってしまっては、救う手立てはありません。苦痛を終わらせて差し上げるのが、お兄さんにとっても最善です」
「そうだとしても、市長さんがやっちゃ駄目だよ……。ずっと苦しんできたんだから、これ以上傷を増やさないで」
私の首筋に、温かい雫が落ちてくる。
振り返ろうとした私の手から、イルマが剣を奪い取った。
「だから、私がやるね。助けられなくてごめんね……お兄ちゃん」
震えた剣先は、突然止まる。
「私が代わります」
力なく剣を握ったイルマの手を、フリーデの手が包んでいる。
「フリーデさんも駄目だよ……苦しんでほしくない」
「私も、イルマさんに苦しんでほしくありません」
「でも……!」
「……分かりました。それなら、半分こにしましょう」
「半分こ……?」
「一緒に、やりましょう」
「フリーデさんは、それで苦しまない……?」
「友達と、そのお兄さんのためなら、きっと大丈夫」
死霊と視線が合った。
彼は、柔らかく笑う。
まるで、何かに満足したように。
何故、そんな風に笑うことが出来る?
そこに存在するだけで、激痛が襲っているはずだというのに。
私は何故、右手に魔力を集めている?
その答えから、私はずっと目を背けてきた。
「イルマ、お前に重荷を背負わすことになって、すまない」
「ううん、私も、もっと早く見つけてあげられなくて、ごめんね」
私が右手に込めた魔力は、白い光へと変わる。
「イルマさん、ずっと、あなたに嘘をついてきました」
「嘘ですか?」
「はい。私は、魔法を使うことが出来ます」
私の目的。
それは、復讐と祖国の防衛だ。
そのために必要なら、どんなことでもやってきた。
どんなことでも、行うべきだと考えていた。
「知ってました。でも、教えてくれてありがとう」
私が守るべきもの。
それは、祖国だけだと信じていた。
だが、他にもあったはずだ。
すでに、その多くが奪われ、失われているのだとしても。
彼らが残した大切なものは、まだこの国に残されている。
私が、祖国を通じて、本当に守りたかったのは、こうした善良な人々ではなかったのか。
「剣では、苦痛を伴います。しかし、この魔法なら、痛みなく最期を迎えられます」
「でも、市長さんが……」
「大丈夫。私は、あなたのお兄さんが、穏やかな最期を迎えることを、心から願っているのです。自分でも、驚くほどに」
イルマの兄へと歩み寄る。
彼の崩れかけた顔の中で、瞳だけが輝きを放っていた。
私は、この輝きを知っている。
あるいはずっと昔に、失くしていたのかもしれなかった。
「あなたには、一度お会いしたいと考えていました」
「俺もそうです。……不思議ですね。市長さんには、初めて会った気がしない」
「ええ。きっと、イルマさんを通じて、実際にお会いするより、多くを知ったのかと」
「そうだと思います。……向こう見ずな妹ですが、これからも良くしてやってもらえますか?」
「はい、必ず」
振り返ると、二人の少女が頬を拭っている。
「イルマさん、お別れを」
「はい……」
フリーデに肩を抱えられながら、イルマは兄の前へと立った。
一際大きな雫を溢れさせて、しかし彼女は柔らかく笑う。
「お兄ちゃん。ずっと守ってくれて、ありがとう」
「守られてたのは、俺の方だよ」
二人から向けられた視線に頷いて、光魔法をイルマの兄へと向ける。
指先から薄れるように消えていく高潔なる騎士は、満足そうに笑った。
「こんなに良い友達が二人も出来て、お兄ちゃん安心したよ。ずっと仲良くするんだぞ」
「うん……!」
兄の存在と笑顔が消えると同時に、イルマの涙は勢いを増す。
私は無力だ。
この少女にかける言葉を、見つけだせないのだから。
抱きついてきたイルマの背中を支える。
「市長さん、ありがとう」
「どうか、お礼など、仰らないでください。私は、あなたを騙して、利用するつもりでいたのですから」
そして、殺すべきだとさえ考えていた。
ほんの少し前まで。
「違うよ。市長さんは、ずっと私のことを守ってくれてたんです。あなた自身からも。だから、ありがとう」
私は結局、一度死んで生まれ変わっても、強くなれなかった。
捨て去ったはずの感情が、泉のように湧き出て、私の思考を押し流した。
どうやっても感情を捨てきれないのなら、認めるべきだろう。
前世の私は、祖国とそこに暮らす人々を守りたかった。
今世の私も、そう願っている。
それを思い出させてくれたこの二人を、私は決して傷つけない。
彼女らに危害が及ぶならば、全力を尽くして守ろう。
そう思うと、もう少しだけ、強くなれる気がした。




