四十四話 積荷
我々を乗せた馬車が、大きく揺れる。
法定速度を超過しているのは確実だろう。
運転しているのは、冷静さを備えているはずのフリーデだ。
しかし、時折見える彼女の横顔からは、その特性を感じ取れない。
フリーデが『友人』と表現したイルマの危機であるならば、一定の説明がつく。
だが、イルマは私の隣で、無傷のまま座っている。
つまりフリーデは、関わりの薄い他人のために、冷静さを失っているわけだ。
かつて、無関係の他人の命を奪うことに対し、一切の躊躇いを見せなかった彼女とは、明らかに違う。
この変化の主因は明らかだ。
エゴール・ヴァレーエフの死という、彼女にとっておそらく最大の復讐が達成されたためだろう。
そして、もう一つ原因があるとすれば、それはイルマだ。
私は今、確かに苛立ちを覚えている。
フリーデの変化に対してではなく、その変化を好ましく感じる自分自身に。
「フリーデ、次の角を右に曲がってください」
「しかし、脱法賭博場は、まだ先ですが、よろしいのですか?」
「はい。例の女性は、移動を始めたようです」
「えっ、市長さん、なんで分かるんですか!?」
「万が一こうなった時のために、魔石を仕掛けておきました」
私の手の中にある魔法結晶の上で『水で作られた矢印』が、右方向を指し示している。
「すっごい! さすが市長さんっ!」
突然立ち上がろうと試みたイルマは、馬車の天井に顔を激突させた。
「大丈夫ですか?」
「痛たたた……興奮してつい……」
そう言って自らの額を押さえるイルマに、私は疑問を感じる。
本当に、勘づいていないのか?
あれほどの直感力を有していながら、私が『あの少女を囮に使った』という事実に、何故たどり着かない?
以前、曖昧な主観で、私の正体の一部を言い当てたように、今回も看破すれば良い。
一般市民を巻き込んだ私を糾弾し、私を見限り、私を滅ぼすと宣言すべきだ。
そうなれば、私は今度こそ、イルマを殺せるだろう。
あるいは本当に、滅ぼしてくれても良い。
「申し訳ございません、これ以上は、進めません」
前方には、海が広がっている。
日が完全に落ちた夜の港を、等間隔に立つ街灯が照らしていた。
その先の黒々とした海に浮かんでいるのは、巨大な船だ。
「問題ありません。おそらく、あの船の中に連れ込まれたのだと」
終戦後から、長らく国交を回復しなかった彼の国と、我が国を結んだ唯一の貨客船。
数々の疑惑を生み、時に経済制裁の対象ともなった曰く付きの船。
それが目前にあるのは、必然にも思えた。
「むむっ! 見張りっぽい人がいますね! どうしますか? 市長さんっ」
「フリーデ、魔法でどうにか出来ませんか?」
「承知しました。魔法で眠らせます」
ゴブリン族の男二人が倒れ込む。
その上を通って、船の中へと歩み入った。
『水で作られた矢印』に従って、地下へと進んだ。
ゴブリン族と遭遇した際は、フリーデが睡眠魔法をかけるか、それが不可能な場合は別の魔法で気絶させた。
牢の前に立っているゴブリン族の男が、こちらを見つけると同時に杖を取り出す。
その杖は、高く舞い上がった。
持ち主と同じように。
フリーデの風魔法は、以前より威力を増した。
だが、彼女が持っていたはずの『不都合な存在に対する殺意』は、既に残っているのかも怪しい。
フリーデがこの船で打ち倒した者のうち、明日以降も目覚めない者は皆無だろう。
牢の錠が開き、囚われていた人々が歩み出る。
その見覚えのある少女は、私の方へと真っ直ぐ向かってきた。
「ご無事で何よりです」
「助けに来てくれるって、信じてました」
我々をこの船まで導いた『撒き餌』。
彼女には、別の役割もある。
「二人と一緒に、この船から脱出してください」
「はい、分かりました」
「えっ! 一緒に来ないんですか?」
イルマから発せられた問いに返答する。
「ええ。私は、他に囚われている方がいないか、見て回ります」
「一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「分かりました。信じます!」
なんと滑稽なやり取りだろう。
イルマは『私が魔法を使えない』という嘘を、信じていない。
だからこそ『私が一人で行動可能である』という言を信じると答えたわけだ。
だが、こうした関係性の方が、居心地も良いというものだ。
表面上の言葉だけで繋ぐ、偽りの結びつき。
そこにあるのは、情ではなく、ただ利害だけだ。
私は、フリーデのように変わりはしない。
今世で、友を作ることは決してない。
彼女らと別れて、船内を歩く。
不可視魔法と消音魔法を発動させるために入った一室には、ゴブリン族の男がいた。
いや、男と言うには、少し年若い。
その少年は、杖を握る前に消し飛んだ。
一欠片の肉片すら残さず。
船の動力が変わり、その速度や機能が大きく向上しても、基本的な配置というのは、大きく変わらない。
この船の船長室もまた、六十年以上前の船と同じく、上層の右舷側に位置していた。
船長室内にいた男をしばらく観察して、私は確証を得た。
彼が、この部屋の、そしてこの船の長であると。
扉が開き、別の男が入ってくる。
「船長! 『積荷』が逃げました!」
「何をやっている!? 逃げられるくらいなら殺せと言ったはずだ!」
「それが、侵入者の魔法使いが、めっぽう強くて……」
「兵器を使っても構わん。一人残らず殺せ!」
「は、はい!」
ドアが閉まると同時に、不可視魔法と消音魔法を解除する。
突如として目の前に現れた私を、船長は驚くように見た。
「だ、誰だ!?」
「議員の、使いの者です」
「……どの議員だ?」
「短時間で私を送れる議員は、お一人しかいないのでは?」
「……なるほど、確かにそうだ。それで、彼女はなんと?」
「議員と、あなた方との繋がりを示す証拠を、回収したいと」
「そんなものはない」
「いいえ、万が一裏切った場合に、政治生命を断つための証拠があるはずです」
「……だから、ないと言っているだろう」
「議員がもし、議席を失えば、あなた方を救う手立てもなくなります。協力した方が賢明かと」
「……分かった。だが、本当に助けてくれるんだろうな?」
男は、手の平に収まるほどの小さな箱を取り出す。
それに魔石をはめ込むと、肩幅ほどの箱へと変化した。
差し出された資料を受け取って、男に対して頷く。
「もちろんです」
「我々は、どうすれば良い?」
「騎士団に出頭してください」
「自分から逮捕されに行けと言うのか!?」
「陸上と海上では、管轄が変わってしまいます。捜査を受けるなら、議員の影響下にあるこの地区の騎士団の方が安全かと」
「……なるほど。だが、どう申し開きすれば良いんだ?」
「『合意の上で渡航するはずだったが、誤解が生じてしまったようだ』とお伝えください」
「分かった」
駒は揃った。
後は、議席から突き落とすだけだ。




