四十一話 古い記憶
火のついた青いロウソクが、白い壁の前で浮遊している。
ロウソクを宙に浮かせているのは、その下にある緑色の魔石だ。
魔石を乗せた台が、右へと移動する。
ロウソクも追従するように動いた。
その軌跡を刻みつけたように、白い壁に焼きあとが残った。
これは『魔石賭博』と呼ばれる比較的新しい賭け事だ。
参加者は、魔石の状態を見極め、ロウソクの位置が上がるのか下がるのかを予想する。
そして、上がると予想するなら上昇、下がると予想するなら下降に賭ける。
この賭け事の特徴は、参加と離脱が任意に行える点だ。
例えば、上昇に賭けて、ロウソクがある程度上がったら離脱し、上昇分の利益を得る。
その直後に下降に賭けなおし、下降分の利益を得る、といったことも出来る。
反対に、自分の賭けた方向と、逆側に大きく動きそうな場合は、離脱すれば良い。
そうすることで、損失を最小限に抑えられる。
これだけだと、ひたすら待ちさえすれば、誰でも利益を得られるルールになるが、そうではない。
この賭け事には、離脱以外に明確な終わりが三つあるからだ。
一つ目はロウソクが天井に触れた時だ。
この場合、その時点で下降に賭けていた全員の掛け金が没収となる。
二つ目はロウソクが床に落ちた時で、その時点での上昇参加者全員の掛け金が没収される。
三つ目は、ロウソクが右側の壁にぶつかった時だ。
その時点で、離脱した場合と同じように、精算される。
現在のロウソクは、ちょうど中央に浮かんでいる。
白い壁の左右に記された数字で言うと、五十だ。
天井が百で、床がゼロということになる。
「なんか上がりそうな気がするから上昇!」
そう叫んだイルマの前に、青い紙が降ってきた。
「甘いですね、イルマさん。この魔石の大きさから考えて、五十はやや過剰です。ここは下降から入るのが正解」
フリーデのもとへ、赤い紙が舞い落ちる。
ロウソクがじわじわと下がり始めた。
「あ、まずい! 離脱!」
イルマの持つ青い紙が燃え尽きると同時に、近くの台の上に積まれたコインの一部も消え去った。
「ああ……ちょっと減っちゃった。ごめんなさい」
項垂れながらこちらを見てきたイルマ向け、首を横に振る。
「お気になさらず。全て使い切ってしまっても、構いませんので」
汚れた金が手元に残る方が、厄介なほどだ。
「……二十五はさすがに下がりすぎている。ここで離脱」
フリーデの握る赤い紙が灰となった。
「五割増やしました」
誇らしげに言ったフリーデに頷いておく。
「素晴らしいですね」
部下を褒めるのも、上官の役割だ。
「あ、本当に上がった! フリ……じゃなかった。とにかくすごいですねっ! どうして分かったんですか?」
「魔石の出力データを千通りほど集めて、パターンを分析してきました」
「よ、予習バッチリ!?」
真面目な部下だ。
本来は、そこまでする必要はなかったのだが、わざわざ口に出してフリーデの努力に水を差すこともあるまい。
「……! また二十五で下げ止まった。これは二番底……! 上昇」
フリーデに向けて青い紙が降ってくる。
「おお! 五十までいった! もう離脱した方が良いんじゃないですか?」
「いえ、この形になった時は、もっと上まで行くはずです」
フリーデの分析は正しい。
だが、彼女は根本的に理解していない。
ここが本来、法に反する賭博場だということを。
このフロアより更に地下で、魔石を操作している者がいる。
結局、ロウソクの行く末は、その者のさじ加減一つで決まるというわけだ。
そして、この賭け事で胴元が最大の利益を出せるのは、二通り。
下降を期待させてから一気に天井まで打ち上げるか、上昇を期待させてから床に叩き落とせば良い。
緑色の魔石に、亀裂が生じる。
ロウソクは一気に十を大きく割り込む。
「離脱! ……申し訳ございません」
うつむいたフリーデの手の中にあるのは、数枚のコインだけだ。
「気に病むことはありません。全て使い切っても問題なかったのですから」
「……はい」
いっそあと数十秒遅れて、コインが完全になくなった方が都合が良かった。
ここを出たあと、そのことをフリーデに伝えるべきだろう。
ロウソクが床すれすれの一を指し示し、悲鳴と怒号が交差する中、妙に通りの良い声が響く。
「ここで上昇」
私は思わずイルマを見た。
その横顔は、前世の古い記憶を呼び起こす。
魔法軍に入隊した直後に配属された部隊。
その指揮官は、大酒飲みで大食らい、魔法の腕はからきしで、仲間内の賭け事のみが取り柄の男だった。
だが、その男は、不思議と人望が厚かった。
私も、嫌いではなかった。
いや、むしろ、懐いていたと言っても良い。
彼が私を庇って戦死するその日まで。
緑の魔石が砕け散った。
しかし、ロウソクは床に落ちない。
砕けた魔石の中から、金色の魔石が現れたからだ。
それは、脱法賭博場に相応しくないほど、高品質な魔石。
賭けが成立するはずもない。
適切に使用すれば、このフロア自体すら空高く舞い上げることも出来るのだから。
ロウソクが吹き飛ぶようにして上に向かう。
そして、天井を貫いて消えていった。
「やったー! 百倍!?」
飛び跳ねるイルマに向けて、私は問う。
「何故、あの状態で、上がると思われたのですか?」
彼女は目を輝かせながら言う。
「勘っ! です!」
そういえば、最初の上官も、いつもこう言っていた。




