四話 実態からの距離
「もうじき到着いたします。お嬢様」
そう言ったのは、正面に座るメイドだ。
フリーデというありふれた名に、肩まで伸びた黒髪。
平均的な背丈と、十代半ばの少女としてはごく普通の体型。
さらに銀縁の眼鏡が、唯一平均より大きな黒い瞳の存在感を消している。
時として『華』が求められるメイドより『印象の薄い地味さ』が重要な諜報員の方が向いているだろう。
馬車が止まると同時に、扉が開いた。
歩み出た先に、馬は繋がれていない。
貯蔵した魔力を動力に走る車両を、馬車と呼ぶのは妙な話だ。
騎乗もせず、騎士道をも見失った者たちを、騎士と呼び続けるよりは、些細な問題ではあるが。
かつて外壁だったものは、根本部分だけを残している。
その先に見えるのは、以前は住居や施設だった瓦礫だ。
もはや王国ではなくなったこの国の人々は、既に都ではなくなったこの場所を、いまだ王都と呼ぶ。
それは、この廃墟を生んだ占領軍に対する唯一の抵抗なのかもしれなかった。
かろうじてそれが『門』であることが分かるだけの形を残したものの隣に、石碑が立っている。
そこに刻まれた最初の一文を見た時、怒りと共に魔力が湧き上がる。
『愚かなる王が招いた悲惨な戦場』
石碑を粉砕したい感情をどうにか抑えて、目をそらした。
王家やかつての王国を非難する石碑は、この国の主要な都市の全てにある。
許可がなければ近づくことすら出来ないこの場所で、一つ破壊したところで、大した意味はない。
石碑だけでなく、教書を含めた多くの書物には、こう記載されている。
『最後の王は、再三にわたる降伏勧告に応じないばかりか、王都の民衆を盾に玉砕した』
私は、これを信じない。
だからこの場所を訪れた。
父代わりであった国王の、潔白を証明するために。
壁と門の間を通り抜けようとした時、鎧に包まれた腕が行く手を阻んだ。
「市長から許可が出ているのは『旧王都跡地の外周まで』です」
護衛の正騎士三名の内の一人だ。
「せっかく来たのですから、少し中を見てみたいのですが」
「どうかご辛抱を」
「お嬢様に何かあっては、我らの首が飛びます」
この場で飛ばしてやっても良いが、正騎士が三人死ぬ状況を考えるのが面倒だ。
「主人を失った魔法人形が、徘徊しているという噂もありますし……」
震えた声でそう言ったメイドを殺すのにも、憚りがある。
「せめて、あの一番近い柱まで」
「なりません!」
掴みにかかってきた腕を躱して、駆け抜けた。
柱のすぐ手前で、大きく踏み込むと同時に、魔法を発動させる。
足元から崩れた石材と共に、地下へと降りていく。
落下しながら、先程まで地面だった地下道の天井を見上げる。
左右の石材を引き寄せるようにして、自分が落ちた穴を塞いだ。
「お嬢様! ご無事ですか!?」
上から聞こえる正騎士の声に、応えるつもりはない。
「早く石をどけろ!」
「駄目だ! 崩れてお嬢様が下敷きになったらどうする!?」
「ならばどうやって助け出す!?」
「魔法使いを呼ぶしかない!」
現代の正騎士にしては、良い判断だ。
街までは距離がある。
往復となれば、それなりの時間が稼げるだろう。
炎魔法で明かりを灯す。
進むべき方向は分かっていた。
この避難路を造ったのは、私自身だったからだ。
街門から王宮までの距離を歩くと、緑に光る扉がある。
侵入に使用されることのないよう、厳重に施された封印は、当時のまま残っていた。
それは、ここを通った者がいないことを示している。
国王が、民衆を盾にする卑怯な人物であったなら、危機が迫った時、自分だけは逃げようとするだろう。
そうしなかったということは、国王の潔白を示す証拠でもある。
それでも、心境は少しも晴れなかった。
大戦末期に死亡したとされる国王が、この道を通って生き延びたことを、期待する気持ちがあったからだ。
わずかばかりの希望を失ったまま、封印を解いた。
王宮の内部は、ひどく荒れ果てているが、建物の構造自体は保っている。
占領軍は、財宝目当てに、王宮への攻撃を控えたのかもしれない。
真っ先に向かうのは『はとこの父』の部屋だ。
国王の最側近の部屋なら、当時何が起こったのか分かるかもしれない。
部屋へと入ると、前世の幼いころ、ここに忍び込んだ時の風景が浮かんだ。
その時共にいた『はとこ』はもうこの世にはいない。
戦犯として、処刑されたからだ。
埋め込まれた細工を押すと、そのすぐ横の壁が反転する。
現れた本棚の一番端に置かれた日記を手に取った。
終戦の日に向けて、ページをめくる。
『再三の降伏申請に対し、先方からの返答はない』
『無条件降伏以上とは、一体何を差し出せというのだ』
淡々と事実だけが綴られた日記に、はとこの父の感情は記されていない。
しかし、達筆だったはずの字は、震えたように歪んでいた。
最後のページには、短く二行だけがある。
『国王は、そのお命をもって、降伏の意志を示す決断をされた』
『私もお供するつもりだ』
「……お二人の無念、必ずや晴らします」
日記を握りしめながら、部屋を出る。
「逆賊の血が流れる、この呪われた身で成すことを、どうかお許しください」
そう言った直後、眼鏡越しの黒い瞳と目があった。
「お嬢様。こちらにおいででしたか」
「フリーデ、正騎士の方々はどちらに?」
「全員、殺しました」
淡々と言った少女は、地味さとは程遠い魔力を纏っている。