三十六話 信頼
「ブルクハルト・ヘルメスベルガー……?」
「あの時は、私が囚えられ、魔法を封じられていた。立場が逆になったな、准将」
「……娘に、何をした!?」
「私が、貴様の娘を操っていると?」
「それ以外に、考えられんだろうが! 戦前の亡霊め!」
「違う。ルジェナ・ヴァレーエフは、最初から存在しなかった」
「……何を言っている?」
「この身体が産み落とされるより前、意識というものが芽生えた瞬間から、私は、私自身だった」
「ありえん」
「この身を産んだ女は、出産の直後に死んだ。その時貴様は、医者も使用人も、すべて部屋から追い出した」
「……何故それを」
「そして貴様は、女の頬に触れ、一粒だけ涙を流した。それが、私の見た貴様が持つ唯一かつ最大の人間性だ」
宿敵は、驚愕の表情を浮かべて嘔吐する。
その吐瀉物は、しかし空中で停止した。
「汚物が汚物を吐き出すな」
逆再生するように吐瀉物が戻っていく。
それが二度と現れぬよう、魔法で宿敵の気道を締めた。
苦しむ敵の姿をしばらく眺めて、気を失う前に魔法を解く。
話しはまだ終わっていない。
「くはっ……!」
「あの女の死因を探っていたな? 世話をしていたメイドも、出産に立ち会った医師も、皆殺しにしてまで」
「……お前が、彼女を殺したのか?」
「ある意味では正解だ。私は胎児の段階から、並の魔法使い以上の魔力を有していた。それは、通常ありえないことだが、前世から引き継いだにしては少なすぎた」
「魔法を使って、私の妻を殺したのか!?」
「違う。殺したのは貴様自身だ」
「私が、最愛の妻を殺すものか!!!」
「その胸の魔法陣が原因だ。異常に増幅された魔力は、子供にまで影響を与えた。そして、出産と同時に、その魔力から切り離された女は死んだ」
「……違う、そうじゃない……」
「貴様の業が、あの女を殺したのだ」
「そんなことが、あって良いはずがない……」
「信じないというのなら、それも良かろう。愉快な思い出話は終わりだ。本題に戻ろう」
絶望の表情を浮かべる宿敵に向けて続ける。
「この胸の魔法陣は、一体なんだ?」
「……誰が言うものか」
二階と一階の床を突き抜け、なおも地中を進む銀翼龍の鱗で出来た球体を呼び戻す。
まだ、十分な熱がある。
加熱は、一度目の時より短時間で済むだろう。
宿敵は、祈るようにこちらを見た。
「ルジェナ……本当はそこにいるんだろう? こんな悪霊に負けるな、目を覚ませ!」
「……お父様!? ああ、ひどいお怪我……! 一体何が……!」
「ルジェナ!? 良かった! 私は信じていた。お前が存在しないなど、絶対にありえないと」
「……とでも言うと思ったか? ルジェナ・ヴァレーエフは存在しない。何度説明すれば理解する?」
熱した球体を宿敵の頬に当てる。
「うがあああああああああああ」
宿敵の頬を完全に溶かす前に、球体を遠ざけた。
球体に張り付いた皮が、顔面から引き剥がされる。
「口がまだある間に話せ」
「……何故、王国が滅びたか、知りたくはないか?」
「聞いてやる」
「歴史学上は、占領軍による降伏勧告を、最後の国王が受け入れなかったことになっている。だが、実際は違う」
「それなら知っている」
球体が宿敵の肩へと向かう。
「ま、待て! だが、占領軍側の主張も、彼らの主観では正しい。国王側の降伏申請は、占領軍に届かなかった」
「……貴様が、握りつぶしたのか?」
「違う! それをやったのは――」
宿敵は覚悟を決めたように目を閉じる。
「……元王国魔法軍元帥、南方戦線司令長官だ。そして、あの方は今、上院議長の立場にある」
「奴の正体なら、既に掴んでいた」
宿敵は意外といった様子で目を開く。
おそらく、私が怒りのあまり殺すとでも思っていたのだろう。
熱した球体が、宿敵の肩を溶かし始める。
今度は途中で気を失わぬよう、魔法をかけておいた。
肩から足の裏まで続く苦痛が、最後まで味わえるように。
宿敵の狂ったような叫びが屋敷中に響く。
だが、異変を察知する者は、誰一人いないだろう。
「私が聞いているのは、その胸の魔方陣についてだ。まだ言わぬというなら、前世の私が死に至った拷問を始める」
「……そ、それだけはやめろ……」
「では言え」
宿敵は、再度死を覚悟したような表情を見せて、ゆっくりと口を開く。
「……この印は、魔王様から授かった」
「魔王だと!? 奴は既に、蘇っているのか!?」
宿敵の胸にある魔法陣が、強い光を放つ。
その光が、眩しいほどになった時、唐突に最後を迎えた。
光と入れ替わるように溢れ出たのは、大量の血液だ。
心臓を失った宿敵の顔は、力なく下を向く。
宿敵を壁に押し当てていた魔法を解除すると、床へと倒れ込んだ
「……なるほど。魔王か」
魔王の信徒は、決して魔王に背かないと聞いたことがある。
その理由は、裏切った瞬間に死ぬ魔法陣を刻まれているためか。
それにしても――
「あっははははははは! 貴様は結局、魔王にすら忠義を持っていなかったということか! 簡単に口を割らなかったのも、命が惜しかっただけか!」
宿敵の死体を踏みつける。
「貴様は最後まで、薄汚い裏切り者だったわけだ! その結果、最後に仕えた魔王による呪いで死んだ!」
さらに深く踏み込んで続ける。
「この手で殺せなかったのは、多少惜しくはあるが、これはこれで逆賊に相応しい惨めな死に方だろう」
私は振り返る。
その先には、フリーデが立っていた。
「フリーデ、喜べ! 我々共通の復讐は成った」
「……はい」
フリーデの表情には、晴れやかさが微塵もない。
それどころか、悲しみすら感じ取れる。
「何故こんなめでたい時に、そんな浮かない顔をしている?」
フリーデのもとへと歩み寄る。
「……申し訳ございません」
「……泣いているのか?」
フリーデの眼鏡を外す。
彼女の色違いの両目から流れて行くのは、極小の水魔法ではない。
「何故泣く?」
「……私は、あなたが偉大な英雄だと知った日、あなたを批難しました」
「もう過ぎたことだ。そんなこと、気に病む必要はない」
「いいえ! 『何故、家族の仇を討ってくれないのか』と、私はあなたを責めた。あなたがどれほどの苦しみを背負っていたのか、知りもせずに……」
フリーデの両目から、涙が次々とこぼれ落ちていく。
この光景によく似たものを、私はかつて見たことがある。
「君の青い右目と、普段の冷静な立ち振る舞いは、最初の弟子にそっくりだ」
「はい……。祖母本人からも、そう言われていました」
「君の赤い左目と、胸に秘めたその熱い感情は、二番目の弟子によく似ている」
「……はい。祖父の面影を感じるとも」
「そして、他人のためにこそ、涙を流せるその優しさは、きっと両方から受け継いだものだろう」
フリーデの濡れた頬を、左手で拭う。
「君の復讐は終わった。呪われた私から、離れるべきだ」
「いいえ。私の復讐は、終ってなどいません。祖父を処刑し、家族を殺したこの国の歪みこそが、私の復讐対象です」
「それは、君の分も私が必ず成し遂げる。だから君は、血の臭いのしない、穏やかな場所で、心優しき君に相応しい人生を取り戻せ」
「どうか、お側においてください。あなたに切り捨てられるその日まで、共に行きます」
愛弟子二人が、軍に入隊すると言い出した時、私は反対した。
だが、結局止めることは出来なかった。
二人の若く、真っ直ぐな意志が、彼らを戦場へと進ませた。
弟妹のように想っていた二人が、甦った気がした。
フリーデの瞳の中に、彼らは確かに生きている。
「……フリーデ。君は、私が今世で出会った者の中で、唯一信頼に足る人間だ。だから、正直に答えてくれ」
「はい。なんなりとお尋ねください」
「……私は、狂っているだろうか」
フリーデは、愛弟子二人と同じ目で、私を真っ直ぐに見た。
「ブルクハルト様。あなたは狂ってなどいません。だからこそ、それがあまりに……」
「……私も、そう思うよ」
いっそ狂ってしまえていたら、もっと楽になれたのに、と。




