三十五話 覚悟
「ルジェナ! 入ってくるな! そいつは危険だ!」
宿敵の声に耳を貸さず、部屋の中へと進む。
「危険などありません。彼女は、信頼の出来る優秀な秘書ですから」
「私を殺そうとしたのだぞ! お前の身に危険が及ぶ前に殺す!」
宿敵の放った炎魔法は、私の放った炎魔法で打ち消される。
「……魔法が、使えたのか?」
「ええ。昔から」
「何故隠していた?」
「お父様を、驚かせようと思って」
宿敵は大きく笑う。
「はっはっは! さすがは私の娘だ! だが、そいつは殺さねばならん。殺した後で話し合おう」
「では、戦う他ありませんね」
「戦うだと? 私と?」
中級炎魔法を乱打する。
宿敵は、その全てを撃ち落とすことが出来ず、いくつかが防壁魔法に衝突した。
だが、この程度の火力では、破壊には至らない。
「やめろ、ルジェナ! 秘書ならもっとまともな者を探してやる!」
「必要ありません。私の秘書は、フリーデだけです」
「いい加減にしないと私も本気で怒……何をしている?」
私が掲げた右手から生み出されているのは、最上級の炎魔法だ。
屋敷全体を包めるだけの炎を、人の背丈ほどに圧縮してある。
「お父様を、殺そうと思って」
「こ、殺す……?」
呆気に取られたように呟いた宿敵に向かった炎魔法は、直前で透明な壁にぶつかる。
横から通り抜けた炎が、部屋の壁を打ちこわし、隣室までも焼き払った。
豪炎の中から現れた宿敵の服は、端々が焦げ付いている。
だが、本体にそれほど大きなダメージはないだろう。
「ルジェナアアアアアア!」
宿敵は怒気を孕んだ目で中級風魔法を発動させた。
それに合わせて、こちらも最上級風魔法を形成する。
私の魔法に対して、敵が込めた魔力は、十倍以上だ。
だが、質においては、こちらが圧倒的に優る。
ぶつかり合った風によって煽られ、吹き飛んだのは宿敵の方だった。
「風魔法まで、最上級だと……?」
私は、左手に最上級雷魔法を、右手に低級雷魔法を発動させる。
同時に、飛行魔法で浮遊した。
生け捕りにして情報を聞き出すことが最良であるのは理解している。
だが、魔法の加減を少しでも誤れば、宿敵はあっさりと死ぬだろう。
しかし私は、もっと上位の裏切り者の居場所を、既に掴んでいる。
だから私は、怒りに任せてこの男を殺した自分を、きっと赦すことが出来るだろう。
ああ、幸福感とは、こういったものだったか。
少なくとも私は、数秒後に宿敵を殺すか、数時間後、あるいは数日後、あるいは数週間後、あるいは数カ月後、あるいは数年後、あるいは数十年後、あるいは数百年後、あるいは数千年後に、さらに惨たらしく殺すことが出来る。
最上級雷魔法は、宿敵の防壁魔法を粉砕した。
だが、中身は無傷だ。
これで良い。
お楽しみは、まだ続く。
下級雷魔法が発動した右手を、宿敵の額に押し付けた。
「があああああ」
焼印のように額に刻んだのは、魔法を封じる魔法陣だ。
これで宿敵は、前世の私が囚えられた時と同様に、魔法を使うことが出来ない。
魔法に対して無防備となった宿敵を壁へと磔にする。
照明が焼き尽くされた部屋の明かりを取るため、炎魔法をいくつか浮遊させた。
「ルジェナ……お前の力はよく分かった。さすが私の娘だ。その秘書も生かして良い。だから、下ろしてくれ」
「この方が、ゆっくりとお話出来るかなと」
「……この前、手を上げたのは謝る。お前を殴るなど、どうかしていた。許してくれ」
「そんなことより、その胸で光っているものは?」
「……これについては何も言えない。お前にとっても、知らない方が良い」
右手の人差し指に、魔力を集める。
氷が爪を覆い、成長するように伸びていく。
その氷の爪を、エゴール・ヴァレーエフの首元から下へと向ける。
服を切って進む氷の爪は、表皮をも裂いた。
赤い血が滴る。
人面獣心の外道でも、血は赤いらしい。
「や、やめろルジェナ」
「何を恥ずかしがっているのですか? 私を無理やり組み伏せた四年前のあの夜から、何度も肌を合わせた仲ではありませんか」
「お前は、受け入れてくれたものと……」
「表面上については、否定しません。あの時から、あなたは格段に操りやすくなった」
「操る……? 何を言っている?」
「単なる実の娘から、肉欲の対象になったことで、あなたは私に依存した。権力を奪われても、殺せないほどに」
「あれは、私のためなのだろう……?」
「市長の座を奪い、長年の政策と真逆の方針を打ち出し、騎士団と対立してあなたを追い込んでも?」
「何か、理由があるはずだ。全てを受け入れてくれたお前が、私に背くはずがない」
「誰一人、心から信用することのなかったあなたが、私だけを信じた。客観視すれば、明らかに敵であったというのに」
「違う。私たち父娘は、愛し合っていた。……そうだろう?」
「貴様が愛を語るな! 薄気味が悪い」
さらに深く肉を抉るようにして、氷の爪を進める。
「ぐっ」
赤い光によって形作られているのは、何らかの魔法陣だ。
それをなぞるようにして、爪を抉り進める。
「……話しを戻しましょう。これは、なんですか?」
「絶対に言えん」
「では、仕方ありませんね」
引き寄せたのは、床を転がっていた銀翼龍の鱗だ。
設置されていた土台が焼け果てても、これだけは形を保っている。
それを、限界まで圧縮した最上級炎魔法で包む。
数分間熱した鱗は、眼球ほどの大きさの球体となった。
「や、やめてくれ……ルジェナ!」
「では、この印について、教えてください」
「だから、それだけは言えん!」
「そうですか。残念」
宿敵の肩へと落ちた球体は、肉を焼き、骨を溶かしながら下降する。
エゴール・ヴァレーエフは、人のそれとは思えない叫び声を上げた。
気を失った宿敵を、魔法で目覚めさせる。
「この魔方陣はなんですか?」
「……言えば、お前まで殺される。だから、言えない……」
「ああ、そんなことを気にされていたのですか。では」
多量の魔力に耐えきれず、氷の爪が砕けた。
私の右手に生まれるのは、雷の槍。
「そ、それは……!」
「六十年以上前に殺した者の命を、いまさら案ずることもあるまい? 准将」




