三十四話 呪われた聖域
宮殿のように長い廊下を歩いている。
私は、今世で生まれてから十七年間過ごした、この屋敷の全てを憎んでいた。
それは、前世の私を殺した宿敵が、祖国を滅ぼした結果、得たものだったからだ。
その場所に住い、その衣服を身につけ、その食事を取り、そのベッドで眠る。
この身には、あの男の穢れた血が、半分流れている。
だが、この魂を取り巻く全ての物質は、宿敵が滅ぼし、切り取り、貪ってきた祖国の悲劇で作られていた。
エゴール・ヴァレーエフの悪行を知りながら、その娘としての立場に甘んじることが、私には狂おしいほど苦痛だった。
だが、それも、今夜終わる。
そう考えると、この場所も違って見えてくる。
この呪われた屋敷が、もうすぐあの男の墓場へと変わる。
そうなれば、この場所は、我が宿敵を呪った全ての者たちにとっての聖域となるだろう。
「住み込みの使用人全員に、睡眠魔法をかけ終わりました」
「ご苦労。……フリーデ、奴と一対一で戦いたいか?」
「はい。ですが、よろしいのですか……?」
「私の後方支援では、君にも悔いが残ろう」
「ありがとうございます……!」
「だが、殺すな。あの男にはまだ、絞り出せる情報が残っているやもしれん」
そうは言うものの、私自身、確信を持てずにいた。
いざ殺し合いとなった時に、これほど憎い敵を、生かして捕らえるだけの加減が出来るか分からない。
だからこそ、フリーデに任せることにした。
「必ず、生かして捕らえます……!」
「君の実力は、魔法軍准将であった頃のエゴール・ヴァレーエフを超えている。そして奴は、戦場から遠ざかりすぎた」
この国を取り巻く虚構で出来た平和が、あの男を鍛えたとは思えない。
エゴール・ヴァレーエフは今も、六十年前と変わらず、三流魔法使いのままだ。
不可視魔法と消音魔法を発動させる。
この魔法もきっと、あの男には見破れない。
フリーデがエゴール・ヴァレーエフの書斎の扉を開ける。
宿敵は驚いたようにこちらを見た。
「……ルジェナのメイド……いや、今は秘書か。名前は確か……」
「フリーデ・フラウエンロープ」
「フラウエンロープ……?」
「聞き覚えが?」
「昔、そんな姓の知人がいた」
フリーデが水魔法を発動させる。
その迅速さも、その魔法に込められる魔力も、王城で戦った時より、格段に上がった。
「皆殺しにしたのでしょう?」
水魔法はしかし、防壁魔法に阻まれる。
「いや、孫娘を一人、取り逃した」
「それが私だ!」
フリーデが小気味好いテンポで、水魔法を乱打する。
防壁魔法を一撃で破壊出来ずとも、その耐久を削っていく。
「取り逃がした馬鹿どもを殺し、その後もずいぶん探させたが、まさかこの屋敷にいようとは」
「貴様に雇われる屈辱に耐えて、復讐の時をずっと待っていた」
「あの二人の孫娘なら、どれほどの脅威になるかと思っていたが、この程度か。恐れるほどもなかったな」
宿敵が放ったのは、子供の背丈ほどの炎魔法。
だが、この程度なら、心配はない。
フリーデの炎魔法は、それより一回り大きい。
ぶつかり合った二つの炎は、混ざりあい、やがて破裂した。
宿敵は、その反動で態勢を崩す。
今だフリーデ。
私が教えた魔法を使え。
フリーデの両手から生まれた雷魔法は、床に飛び散った水を伝って、宿敵へと向かう。
そして電撃が防壁魔法を包んだ。
その威力は『生かして捕らえられるか』不安になるほどのものだ。
だが――
「申し訳ございません。勢い余って殺してしまったかも――」
私は、そう言い掛けたフリーデに、叫ぼうとした。
まだ、油断するなと。
だが、消音魔法越しでは、この声は届かない。
宿敵の防壁魔法は、確かに破壊された。
しかし、その中に、新たな壁が形成されている。
その強度は、以前の十倍ほどはある。
「まさか、小娘一人に、これを使うことになるとは」
エゴール・ヴァレーエフの胸元が、赤く禍々(まがまが)しい光を放っている。
それ以上に異質なのが、そこから漏れ出た魔力だ。
並の魔法使い一人分に匹敵する魔力が、わずか数秒で流れ出ていく。
これほどの力を、奴がいつ手に入れたのかは分からない。
いずれにしても、明らかにフリーデの手に余る。
宿敵が振るったのは、下級の風魔法だ。
だが、そこに込められた尋常ならざる魔力によって生み出された風圧は、上級風魔法にも匹敵する。
フリーデは、強風に煽られた木の葉のごとく、あっさりと吹き飛ぶ。
「くっ、は……!」
「さて、どう殺すか」
もはやこれまでだ。
こんなところで、優秀な部下を失うわけにはいかない。
不可視魔法と消音魔法を無効化させる。
「お父様、私の秘書を殺すのですか?」




