三十三話 目的
「五……四……三……二……一」
そう言いながら、真剣な面持ちで時計を見つめているのはイルマだ。
彼女は勢いよく立ち上がって続ける。
「さあ、本日も始まりました三時のおやつタイムですっ! まずは毎度おなじみ『今日のおやつはなんだろな?』のコーナー!」
インタビューをするように、ペンを向けてきたイルマに対し、私は回答する。
「そうですね、シュークリームでしょうか?」
「残念っ! シュークリームは明日の予定……あ、今のは忘れてください! 次の回答者はフリーデさん!」
同じようにされても、フリーデは答えない。
沈黙が続いて数十秒。
ペンがフリーデの頬を柔らかく突き始めて、彼女は根負けしたように口を開いた。
「……アップルパイ」
「惜しい! でも不正解っ! 今日のおやつは……ダララララララララ」
毎日聞かされるこの謎の擬音が、何を意味しているのか、ようやく分かった。
おそらくドラムロールなのだろう。
「じゃじゃーん! ショートケーキです!!」
「……惜しい?」
腑に落ちないように、首をかしげたフリーデの前に、ショートケーキが置かれる。
「ホールまるごととは、奮発なさいましたね。お渡しした今月の予算を超えてしまったのでは?」
「あ、それなら大丈夫です! 最初の一週間で使い果たしたのでっ!」
「なるほど。では、追加の予算を――」
「良いんです! これは、お祝いですから!」
「お祝い?」
「はい! 最近、市長さんのご機嫌が良いので、何か良いことがあったのかなって」
私に機嫌などという概念は存在しない。
だが、あらゆる思考にのしかかる黒い何かが、僅かに軽くなったのも事実だ。
もうすぐ、宿敵を亡き者に出来る。
通話機が音を立てた。
フリーデは、一つ目の音が鳴り終わる前に、受話器を手にする。
彼女はそれを耳に当てたまま、一言も発しない。
仮に発したとしても、相手に届くことはないだろう。
この通話機は、エゴール・ヴァレーエフの屋敷の通話を、一方的に流すだけだからだ。
フリーデの表情が、いつにも増して固く真剣なものになる。
彼女は受話器を置くと、私の耳元へと来た。
「エゴール・ヴァレーエフが、助けを求めました」
この瞬間を、どれほど待ちわびただろう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
扉を開くと、押し戻すような強風が吹いた。
私は、初めて訪れたその街の、もっとも高い建造物の屋上にいる。
「フリーデ、遠視魔法は?」
「使えます」
「では、あの赤い屋根の建物の六階だ」
「はい」
「窓際に立つ男が見えるか?」
「エゴール・ヴァレーエフが助けを求めた上院議長ですね」
上院議長は、写真などで以前見た通り、細身で白髪の老人だ。
「そうだ。その状態で、幻影透視魔法を使えるか?」
「申し訳ございません。その魔法はまだ……」
「では、君の眼鏡を貸してくれるか?」
「どうぞお使いください」
幻影透視魔法の使用は、法律で禁止されている。
さらに、発動時に目が青く光ることで、使用が視覚的に伝わってしまう。
目の色を変化させる魔法が付加されたフリーデの眼鏡は、それを偽装する効果がある。
眼鏡をかけて、もう一度窓際の男に視線を向ける。
幻影透視魔法を発動させると、上院議長の真の姿が現れた。
肩幅の広い屈強な肉体に、黒々とした髪、顔を斜めから両断するように出来た深い傷。
私は、その男を知っている。
「王国魔法軍元帥、南方戦線司令長官……」
高位の魔法使いにして、国王も信頼を寄せていた名将。
そして、祖国が滅んだあの最後の戦争を、始めた男。
「では、逆賊の中で、エゴール・ヴァレーエフより上位でしょうか?」
「ああ、間違いない……。あの男の立場なら、容易くエゴール・ヴァレーエフを操れるだろう」
私がエゴール・ヴァレーエフを殺さなかった最大の原因は、より上位の裏切り者との接触を、奴が徹底的に避けてきたからだ。
少なくとも、私が監視するようになってからの十数年間、奴が関わったのは、戦前には無名であった者たちだった。
当然宿敵の態度も、部下に接するが如しであったし、彼らの持っていた情報も、取るに足らぬものばかりだ。
だから私は、エゴール・ヴァレーエフを追い込むことにした。
支援者を切り崩し、市長の座を奪い、権力から遠ざけた。
そうでなければ、不正の証拠を示したところで、腐敗し、奴と癒着した騎士団にもみ消される。
エゴール・ヴァレーエフを直接脅すことも出来た。
だが、それでもし有力な情報を得られなければ、裏切り者への手がかりを失う。
その危険は冒せなかった。
「……では、ようやく」
「そうだ。ようやくだ」
「はい」
「今夜、我らの宿敵、エゴール・ヴァレーエフを殺そう」




