三十一話 脅迫者の手法
署長室の扉を、勢い良く開けた。
中にいた男は、驚いたようにこちらを見る。
「こ、これは、市長! 後ほどご挨拶に伺おうと思っておりました。本日署長に就任いたしました――」
「ご挨拶は不要です。事前に候補者のご相談がありましたので、お名前も存じ上げております」
「は、はい。失礼しました。……それでは、どのような御用で?」
前任者に比べると、気弱な男だ。
庁舎内とはいえ、職務中に鎧を身に着けていないことから分かるように、軍人としての自覚も乏しいのだろう。
「一点目は、この秘書の釈放についてです」
「そ、その娘は……いえ、秘書の方につきましては、ご挨拶の際に、ご相談しようかと……」
「彼女の逮捕は手違いによるものでした。釈放ということでよろしいですね?」
「え、いえ、その、一応署長として、事情を把握しませんと、なんとも……」
「では、私が既にお話した部下の方にお聞きください。二度ご説明するほど、私には時間的余裕がありません」
「は、はい。大変失礼いたしました。その方は釈放とさせていただきます」
首をすげ替えた効果があった。
この新しい署長は、脅迫に屈する。
「では、次の議題に移りましょう」
宙に浮く鞄から、三つの瓶を取り出す。
そして、机の上へと並べた。
「こ、これはなんでしょうか?」
「今朝、当家の門の前に置かれていたものです」
「は、はあ。何かの粉末……灰のようにも見えますが……」
「魔法使いギルドの知人の方に検査していただいた結果、動物性の灰であることは確認できました」
「なるほど。これだけでは置いた者の意図は読めませんが、何か脅迫状のようなものは、添えられていませんでしたか?」
「そういったものはございませんでした。……ただ、これらが、瓶の蓋の上に、一つずつ」
三つの小さな鉄くずを、机に乗せる。
「拝見しても?」
「どうぞ」
「かなり溶けてしまっていますね……」
「先ほどの知人の方は、正騎士の階級章ではないかと」
「ああ、確かに。大きさと重さは、非常に近い」
「ところで署長、お話は変わりますけれど、先日『焼死は実際には稀だ』と聞きました。事実なのでしょうか?」
突然の話題転換に、新署長は戸惑いを見せる。
「……交通事故と比べますと、比較的少なくはありますが、残念ながら火災も定期的に起こっておりますので『稀』というほどでは……」
「いえ、私が申しておりますのは『焼け死ぬという意味の焼死』です」
「なるほど。確かに、火事で亡くなる方のほとんどは、煙などによって窒息死や中毒死されています」
「では、どういった時に、焼死が成立するのでしょうか?」
「そうですね……実際に考えてみると、すぐには思いつきませんが……」
「私は、一つ、思い浮かびました。お聞きいただけますか?」
「は、はい。ぜひ」
「言葉だけでは説明し辛いので、失礼ながら、あなたが焼死すると仮定してもよろしいでしょうか?」
「はい、構いません」
「まず、魔法使いの方をお呼びします。とても実力のある方を。ふふ、魔法はずるいでしょうか?」
無邪気な笑みを作る。
新署長も釣られたように笑った。
「ははは、ずるいということはありませんよ」
「次に、煙を吸ったり、喉が焼けてしまわないように、首の付け根から上に、防壁魔法をかけます」
身を乗り出すようにして、新署長に近づく。
そして、人差し指の腹で、新署長の首元をなでた。
「そ、それなら、窒息を防げますね」
「それからようやく、火をつけます。ショック死してしまわないように、小さな炎を、まずは足元から」
視線を下に向けた後に、新市長の目を見る。
「……な、なるほど! ショック死もありましたか」
「炎はまず、あなたの衣服を、全て燃やしてしまうでしょう」
「は、はい。そうなるかと」
新署長の首元から、指先を滑らせるように、胸の位置まで下げる。
新署長は、息を飲んだ。
「この、あなたの胸にある階級章は、燃え尽きた衣服と一緒に、落ちてしまうでしょうか?」
「そ、そうなるのではないかと」
「私は、そう思いません。階級章の裏側が、赤黒く焼けた肉に張り付き、一緒に溶けていくような気がします」
「そ、そうでしょうか?」
「ええ。こんな風に」
二人の視線の間に、小さな鉄くずを割り込ませた。
新署長へと向けられた裏面には、焼け焦げた何かが固着している。
「なるほど、こんな風――」
言い掛けた新署長は、何かに気がついたように息を止めると、椅子ごと後方へと倒れ込んだ。
「ま、ま、まさかそれは……」
倒れ込んだまま、逃げるようにずり下がっていく新署長を、ゆっくりと追う。
靴の踵と床が、かつかつと音を立てた。
「最初に火をつけたあなたの足先は、もう肉が焼け果てて骨が見えている」
「こ、来ないでくれ!」
「全身に激痛が走っても、死ぬことは出来ない。炎はまだ、肺にも、心臓にも、達していないから」
「ひ、ひい!」
新署長の耳元でささやく。
「あなたはこう叫ぶ『秘書の逮捕は謝る! だからもう、殺してくれ!』と」
「ひ、ひ、秘書? どういうことだ? 逮捕は前署長が……そういえば、彼ら退職者三人と連絡が取れないと……」
小さな鉄くずを、新署長の階級章に合わせる。
「ああ、こうして見ると、同じ大きさですね」
「こ、殺したのか!?」
「いいえ。『私には』そんな能力ありませんよ」
「さ、さっき、魔法使いギルドの知り合いがいると……」
「ええ。とても実力のある魔法使いの方です」
「……殺させたのか?」
私は、あえて答えない。
新署長は、その沈黙に耐えかねたように、言葉を続けた。
「なら、あの灰は、三人の……」
「動物性ということでしたが、人かどうかまでは。あるいは、両方かもしれませんね」
「りょ、両方?」
「獣のように本能だけで動く、醜く、腐敗した、正騎士の成れの果て」
「こ、殺さないでくれ!」
新署長は、部屋の角へと逃げていく。
「ですから、そんな能力はないと、申し上げたはずです」
「な、なら、殺させないでくれ!! どんな要求でも呑む! 武器でも金でも、必ず用意する!」
「でしたら、一つ、捜査についてのお願いが」
「どれだけの凶悪犯だろうと、無罪にする! 証拠品の破棄なら、今すぐにでも出来る!」
「父エゴール・ヴァレーエフ前市長と最高判事の癒着事件です」
「ああ! それなら、お父上と我々との間で話がついている! 捜査は絶対に行われない」
「それでは、困るのですよ」
「こ、困る……?」
「悪事を働いた人は、しっかりと取り締まっていただかないと」
「だ、だが、偽装可能な録音程度の証拠では……」
灰の入った瓶を一つ持ち上げる。
「どんな要求でも、呑んでいただけるのでは?」
新署長は、震えながら顔を上下させる。
「わ、分かった! なんとか捜査を始める」
「では、今日の記念に、これを差し上げます。いつでも、今の会話を、思い出していただけるように」
小さな鉄くずを、新署長の階級章の上に乗せる。
新署長はそれを払い除けた。
「い、要らない! 前署長とは、なんの面識もない! だから、なんの義理もない! わ、私は、何も聞いていない!」
「では、持ち帰ることにします」
小刻みに頷く新署長を見下ろす。
「一週間以内に、当家の家宅捜索を行ってください」




