三話 屈辱と虚構の鎖
最高判事の屋敷を出ると、入った時と変わらぬ風景が広がっていた。
大通りを行き交う人々は、すぐ近くで人が死んだことを知る由もない。
しかし、六十年前と比べると、この街も様変わりしたものだ。
あらゆる意味で街の中心だった冒険者ギルドは、もうここにはない。
冒険者という名称自体が、企業広告を背負って山を登る者か、厄介事を引き受ける便利屋を指す言葉に変わってしまった。
当時は数歩進めば、鎧を着込んだ者とすれ違ったものだが、現代で鎧を纏うのは正騎士くらいだ。
それ以外が鎧を身に着けて街を歩けば、危険人物か変人扱いされかねない。
かつて国を挙げての討伐対象だった翼龍は、今や魔獣園の檻の中に収まり、子どもたちの人気を集めている。
街灯一つ一つに手作業で火を灯していた魔法技師たちは、ずいぶん昔に職を失ったことだろう。
この通りに並ぶ街灯にも、ここから見える全ての建物にも、魔力が自動で供給されている。
「そこの君、止まりなさい」
声の上がった方に視線を向けると、拳ほどの魔石がついた杖が見えた。
持っているのは若い男だが、あれを使いこなせるなら、それなりの魔法使いのはずだ。
「は、はい」
おどおどとした様子の若い男を、三人の正騎士が威圧するように囲む。
「大型の魔法杖を持っているが、免許は?」
「実は、少し前に財布を落として……」
「つまり、今は免許を持っていないと?」
「はい、そうです」
「逮捕しろ。免許不携帯の現行犯だ」
「そ、そんな!」
乱暴に両腕を掴まれた若い男は、連行されていく。
惜しいことだ。
戦時下であれば、小隊を一つ任せられるだけの人材だったかもしれない。
だが、現代では、たとえ本人が望んでも、軍人として成功するのは難しいだろう。
我が国の魔法軍は、戦犯が多数所属していた責任を問われ、戦後解体された。
占領軍の影響を色濃く受けた議会は、攻撃手段としての魔法の使用禁止を新憲法に書き加えた。
治安維持と国防の両方を担うことになった騎士団は、やがて権力と癒着し、肥大化していった。
我々魔法軍と意見の相違はあれど、国を守る意志が一致していたはずの騎士団は、利権を貪る集団に成り果てた。
明日、他国の侵攻が始まったとしても、彼らに国を守ることは出来ないだろう。
一方で、解散の憂き目にあった元魔法軍の魔法使いたちは、民間企業に職を求めた。
戦場で鍛えられた魔法技術は、この国の魔法工業を飛躍的に発展させ、貧困を極めた敗戦国を、経済大国へと押し上げた。
そうして、経済規模に見合わぬ貧弱な国防態勢を、かつての敵国の保護下に入ることで補う、歪な国家体制が完成した。
この国の現状は、人間に飼われる鷹のようなものだ。
自らの翼をへし折り、鎖をつけ、鳥かごに入れた人間に飼われる鷹。
鳥かごがなくなれば、地を這う小さな獣にすら、食い殺されるだろう。
かつて、誇り高く偉大であった我が祖国マナーレアは、屈辱と虚構に形作られた平和の中にいる。
そろそろ最高判事の使用人たちが、街の外まで出た頃だろうか。
混乱魔法も、じきに効果がきれるだろう。
そう考えて、屋敷の方へと振り返る。
屋敷の前では、一匹の野良猫が、壁で爪を研ぐように、前足を空振りしていた。
より厳密に言うなら『空振りしているように見える』が正しい。
野良猫は、屋敷全体を覆った透明な防壁魔法に前足をぶつけている。
猫は古来より、魔法に対する適性が高い動物だ。
そのため、魔法の存在を感じ取るのも、当然の反応だった。
嘆かわしきは、この道を歩く人々だ。
これほど大きな魔力に、気がつきもしない。
ならば、実際に見せる他ないだろう。
最初に窓が割れた。
最高判事だった消し炭と、正騎士だった石像がある部屋だ。
そこから炎が吹き出る。
この程度では、終わりはしない。
何故ならこれは、最上級の魔法を二つ組み合わせた複合魔法だからだ。
全ての窓が割れて、屋根が吹き飛んだ。
屋敷の全てを内部から破壊し尽くしても、炎は膨れ上がっていく。
人々は、みな足を止めて、巨大な球体に閉じ込められた炎を、ただ見ていた。
防壁魔法がなければ、全員死んでいただろう。
これでは、他国の魔法使いが一個中隊攻め寄せただけで、皆殺しだ。
自ら縛った法という名の鎖が、人々を魔法から遠ざけた。
屈辱と抑圧の日々が、抗う意志を打ち砕いた。
虚構で出来た鳥かごが、外敵の脅威を覆い隠した。
ならば、目覚めさせよう。
数多の大魔法使いを生んだ魔法の民を。
そして、思い出させよう。
魔法こそが、この国を偉大たらしめていたことを。
これは、復讐の証。
そして、反撃の狼煙だ。
私は、この国を変える。
そのために、手段を選ばない。