二十九話 手間暇
夕日に照らされた道を、馬車が進んでいく。
運転をしているのは、アルノルドだ。
「ご迷惑でなかったでしょうか? 秘書をもう一人雇用しておけば良かったのですが」
「いえ、とんでもない。これも仕事のうちですし、大変な時ですから」
「そう言っていただけると、助かります」
「フリーデさんの釈放の目処は立ちましたか?」
「いいえ。取り組んではいるのですが、なかなか」
「昨日の今日ですからね。こちらの方でも、何か方法がないか知人を当たってみます」
その必要はない。
「ありがとうございます」
「このあたりでしょうか? 何もない森ですが」
「はい。ここでお停めいただけますか」
「分かりました。それでは後ほど、お迎えに戻ります」
「お気遣いにお礼申し上げますが、結構です」
「ここから歩いて街まで戻るのは、あまりにも距離が」
「ご心配には、及びません」
「しかし……」
「アルノルドさん、私のことを、信用していただけませんか?」
「既に信用しております。この命を、お預け出来るほどには」
私はこの男を、信用していない。
だが、今日殺すには、惜しい人材であることも確かだ。
「ありがとうございます。それでは失礼いたします」
アルノルドの馬車が見えなくなった頃、入れ替わるようにもう一台が現れた。
その馬車を、私は待っている。
騎士団が腐敗した原因はなんだったか。
最初のきっかけは、魔法軍が解体され、騎士団が治安維持と国防の両方を、一手に担うことになった時だろう。
しかし、それでも彼らは、理性を保っていた。
彼らの腐敗を決定づけたのは、占領軍の意向を受けた議会での法改正だった。
国民に信を問うことなく、半ばだまし討のように行われた死刑制度の廃止。
それに公然と反対したのは、騎士団だけだった。
そんな中で、事件が起こる。
市中での無差別大量殺人。
被害者には、子供も多数含まれた。
死刑がないことを見越した犯人は、武器を捨ててあっさりと投降する。
だが、その若い正騎士は、武器を持たぬ犯人の首を切り落とした。
彼なりの、義憤にかられた行動だったはずだ。
それまで沈黙を守っていた国民も、彼の『正義』を熱狂的に支持した。
その戦後初の熱気を恐れた議会も、占領軍も、そして司法までもが、彼の『正義』を追認する。
そうして、治安当局かつ、国軍かつ、法廷すら下せぬ極刑をも、自己の判断で執行出来る、超法規的機関が誕生した。
そのあまりにも強大な権力が、彼らの正義を腐らせていった。
死刑制度の廃止が最初に殺したもの。
それは、かつて私の信頼に値した騎士団という友軍だった。
馬車が速度を落としたのを確認して、道を離れる。
森の中へと少し進んで、その人物を待つ。
木々の間から現れた大男は、こちらを睨むように見た。
「こんなところで何をしている? 市長」
「人を、待っていました」
「そいつは、いつ来る?」
「すでに、いらっしゃいました」
「どこだ?」
「あなたです」
「……尾行に、気がついていたと言いたいのか?」
「はい、署長。いいえ、もう『前署長』とお呼びすべきでしょうか」
「お前の陰謀で辞職させられたからな。この者たちもそうだ!」
前署長の背後から歩み出たのは、二人の元正騎士だ。
「お気の毒に」
「お気の毒だと!? お前自身が仕向けておきながら、ぬけぬけと!」
「あなたのことは、どうでも良いのですが、無能な元上官に従って命まで落とすのは、不憫だなと」
「貴様、署長を侮辱するつもりか!」
「貴様が頼りにしていた魔法使いの秘書は、ここにはいないぞ!」
「もちろん、存じております。私の命を奪うつもりなら、まずフリーデを遠ざけるだろうと、予想していました」
「それが単なる強がりかどうか、確かめてやる!」
正騎士の一人が剣を抜く。
それを制すように、前署長が声を張り上げる。
「待て! この女の余裕、何か妙だ」
「署長、大丈夫ですよ! こんな小娘一匹、俺が仕留めます!」
走り寄ってきた正騎士は、崩れ落ちるように倒れた。
「え……?」
体から取り残されて宙に浮かんだ頭部が、疑問の表情を浮かべる。
彼に、自身の死を認識出来るだけの時間があったかは分からない。
いずれにせよ、頭部も思い出したように体に向かって落ちていった。
「……貴様が、やったのか?」
「はい」
「あいつは、俺の親友だった!」
「ご友人は、慎重に選ぶべきでしたね」
「……殺してやる!」
「ま、待て! 魔法使いに迂闊に近寄るな!」
無能な上官に、無能な部下に、無能な友人。
無能しかいないのか。
失望を感じながら、右手の人差し指を振る。
地面に転がる首が二つに増えた。
「よくも……よくも俺の部下を……!」
「悲しむふりは、必要ありませんよ」
「……ふりだと?」
「ご自分だけ、防魔の鎧を着込んでおいて、恥ずかしくないのですか?」
「黙れ!」
振り下ろされた太刀筋は、単調なものだ。
この程度なら、剣さえあれば、この大男を無力化することが可能だ。
空を切った大剣が、地面に突き刺さり、刀身の倍ほどの亀裂が生じる。
腕力だけで言うなら、それなりの剣士だろう。
頭部を失った死体の傍らにある剣を引き寄せる。
正騎士の剣を握るのは、六十数年ぶりだ。
当時より軽くなった。
素材が変わったのだろう。
突き出された大剣を、剣でいなす。
刀身を削りながら進む大剣と剣の間で火柱が上がる。
大剣の鍔にぶつかる前に、剣を振り下ろした。
前署長の左足から、血液が吹き出る。
その足は、二度とまともに動くまい。
「ぐおおおおおおお!」
また単調な振り下ろしか。
学習しない男だ。
半歩下がって躱す。
地面にめりこんだ大剣を、右足で踏みつけた。
そして、剣を横から振る。
私の剣を避けようとした前署長は、前のめりになった体勢を起こした。
大剣と、二つの手をその場に残したまま。
「あ……」
前署長の両腕の先から、血が流れ出る。
「これも魔法か……?」
「いえ。この剣を引き寄せて以降、使っていませんよ」
前署長の顔が、苦痛に歪み始めた。
ようやく痛みに気がついたか。
愚鈍な男だ。
「あああああああああ!!!!!」
もがきながら、手首から失われていく血を押しとどめようとする様子を、しばらく眺めた。
「さて。見苦しいので、そろそろ魔法で決着を」
指先を振る。
前署長は覚悟を決めたように、目を閉じた。
「……防魔の鎧がありましたね。先に壊さないと」
右手を閉じると同時に、前署長の鎧が砕けた。
「……これが出来たなら、何故最初から魔法を使わず、剣で……?」
前署長へとゆっくりと歩み寄る。
「あなたが、魔法を使うまでもない、取るに足らぬ五流剣士だからです」
前署長が腕を振る。
しかし、私には届かない。
飛び散った血の水滴が、防壁魔法にそって落ちていく。
「あなたに、いくつかお聞きしたいことがあります。まず、イルマさんのお兄さんについて」
「……お前のような小娘に、話すことなどない! 魔女め!」
これだけの手間暇をかけて、丁寧に心を折ってやったつもりだが、まだ抵抗するか。
その気概だけは、評価してやろう。
現代の正騎士にしては、ずいぶんと図太い。
だが――
「楽に死ねると思うなよ? 若造」




