二十二話 現代の遊牧民
馬車の窓に映る街灯の光が、次々と後方へ流れていく。
「あのイルマという従士、結局姿を見せなかったな」
「はい。今朝あった通話では『重要な話があるので、少ししたら直接話しに行く』ということでしたが」
横目で見ていた街路の中に、見覚えのある男の顔を見つけた。
「フリーデ、自然な形で馬車を止めろ」
「承知しました。……何か、ございましたか?」
「後ろを歩く男を見てみろ」
「あれは、一週間前の……!」
再開発予定地で、ナイフを手に襲いかかって来た男に間違いない。
「期待はしていなかったが、市長襲撃犯がわずか一週間で釈放か」
金でも掴まされたか、何らかの繋がりがあるのか、いずれにしても騎士団らしい仕事ぶりだ。
「殺しますか?」
「いや、後をつける。不可視魔法と、消音魔法は使えるか?」
「申し訳ございません。まだ、実戦で使用出来るほどでは……」
「では、一人で行ってくる。ここで待っていてくれるか」
「承知いたしました。どうか、お気をつけて」
男が通り過ぎるのを待って、不可視魔法と消音魔法を発動させた。
馬車を降りると、男の後ろを歩く。
男が行き着いた三階建ての建造物にも、見覚えがある。
この場所を前回訪れたきっかけになったのは、過去の選挙について調べた結果だ。
直近の市議会議員選挙では、総投票数が過去五回の平均より、二千ほど多かった。
それだけでは注目に値しないが、市民の人口自体も選挙の三ヶ月前に約二千増加していたことが、調査の結果分かった。
さらに驚くべきは、その増加した住民のほとんど全てが、この建物を住所としていたことだ。
そして、彼らおよそ二千人は、選挙の翌日に、別の市へと住所を移している。
これは、明らかに選挙法制上の欠陥だ。
通常、四年に一回行われる地方議会選挙への投票を、彼らは選挙区を移動することで、年に最大四回も行える。
全ての市議会議員選挙の投票率が百パーセントであれば、投票総数が有権者数を上回るだろう。
現代にも、遊牧民は存在するらしい。
選挙という草原を求めて、集団で旅をする現代の遊牧民。
彼らが食むのは、利権という名のミルクか、国家という名の肉か。
ナイフの男の後に続いて、建物内へと入る。
外観からでも十分認識出来ていたことではあるが、ここに二千人は居住不可能だ。
それどころか、物理的に収まりきるかも怪しい。
「お、戻ったか。お務めご苦労さん」
「おう。ったく、騎士団の奴ら一週間も拘束しやがって」
「それなら、連中からお詫びの品が届いてるぜ」
「お詫びの品?」
「お前を取り押さえた跳ねっ返りの従士だよ」
「ああ、あの女か。馬鹿力だが、顔は悪くなかった」
イルマの『重要な話』も、彼女が今日現れなかった理由もこれで判明した。
彼女は、この男の釈放を我々に伝えようとした後、自分が属する騎士団に売られたわけだ。
「お前に送られた品だ。他の奴らには手を出させてねえ。上にいるから、楽しんでこい」
「気が利くじゃねえか。お前も一緒に来るか?」
「おう。そう言ってくれると思って、とっといたんだ」
「抜け目ねえ奴だ」
奴らの品性を評すに際して、下劣という言葉すら過剰評価だ。
以前虫に例えたことも、訂正せねばなるまい。
虫にも劣る。
二人の男の後に続いて、その部屋に入ると、鎖に繋がれたイルマが座っている。
次の瞬間、彼女と視線が合ったような錯覚を起こした。
だが、イルマに私の姿が見えるはずがない。
「こ、これは誘拐罪と監禁罪と、あと色々です!」
「それは、市長襲撃より罪が重いのか?」
「監禁の期間によります。今すぐ私を解放すれば、罪は軽くなりますよ!」
「ふーん。じゃあさ、俺らがこれらからすることは、懲役何年だ?」
「……何を、するんですか?」
「見せてやるよ。いや、見せてもらうって方が正しいか」
男が刃物を取り出す。
以前、私に向けて振り上げたナイフだ。
イルマの服へと当てられたナイフは、方向を変える。
滑るようにして、隣に立つ太った男の腹へと突き刺さった。
「お、お前……ななな何やってんだよ!?」
「ち、違う! 俺じゃない! 腕が勝手に!!」
ナイフの男の腕を操っているのは、私の魔法だ。
「おい! 本当にやめ――」
太った男は、言葉の代わりに血を吐き出して倒れる。
首からあふれた血液が、床を染めた。
「なんだよこれ……! 一体どうなってんだよ!?」
「そ、それは、殺人です……懲役五年以上……」
次は、武器を探す必要があるだろう。
この建物にいる全員を殺すのに、ナイフ一本ではいささか効率が悪い。
男を操って入った隣室には、武器が並べられている。
明らかに違法なものばかりだ。
治安当局かつ国軍である正騎士にすら使用が認められていない魔法兵器まである。
その中で、手頃なものを見つけた。
魔石の付いた小型の魔法兵器だ。
これなら、魔力を持たないこの男でも、扱えるだろう。
「嫌だ……俺は、持ちたくない……!」
貴様の希望など、聞いていない。
「叫び声が聞こえたが、一体何が……お前、なんでそんなもん持ってんだ?」
「撃ちたくない! 撃ちたくない!」
「撃つって、俺を、撃つのか?」
ご名答。
ナイフの男の指が引き金を引くと同時に、正面に立つ男の上半身がはじけ飛ぶ。
なかなかの威力だ。
ナイフの男が、自身の仲間を撃ち殺していくのを眺める時間は、それなりに有意義ではあった。
破壊魔法の一種しか使用出来ないというのは対応力に欠けるが、均一化された火力が期待出来るという点では評価出来る。
魔法使いの質が低下した現代では、臨時の戦力増強手段として、選択肢に入るだろう。
ナイフの男が三階と二階を片付けて、一階へと降りると、出入り口に十人ほどが並んでいる。
「早く開けろ!」
「駄目だ! ドアにすら触れない」
当然だ。
そこには私の防壁魔法が張ってある。
「おい、俺たち仲間だろ? やめてくれ!」
「本当に……俺じゃないんだ……もう殺したくない」
言葉とは裏腹に、男の握る魔法兵器は、全員を破壊した。
魔法を解くと同時に、男が糸の切れた操り人形のごとく膝をつく。
投げ出された魔法兵器とナイフが、床へと転がった。
「違う……俺じゃない……」
ナイフを引き寄せて、空中で掴む。
不可視魔法と消音魔法を解除した。
「お前は……! 全部お前の仕業か!?」
虫以下にしては、なかなかの認識能力ではある。
魔力を込めたナイフは、紅く輝く。
「お務めご苦労。平和を破壊する敗北主義者」
頭部から両断された男は、絶望を浮かべたまま崩れ落ちた。
私は、階段を上がる間、二つの選択肢を比較検討して、結局後者を選んだ。
不可視魔法と消音魔法を再度発動させ、扉を開ける。
イルマを縛る鎖を断ち切って、その場を後にした。
あの娘には、まだ利用価値がある。




