二十話 深き表層
私は今、廃墟に立っている。
この場所にはかつて、大きな市場があった。
大小さまざまな商店には、国内外から集められた品々が売られ、それを求める人々がひしめいていた。
市場の周りには住宅が並び、日中であればいつでも子どもたちの声が響いていたものだ。
しかし、あの美しい街は、もうここにはない。
永遠に、失われてしまった。
巨大な重機が、古びた瓦礫を押し集めている。
こうした作業は、六十年前であれば、魔法使いの出番だったはずだ。
災害などが発生した際には、王の勅令で派遣された魔法軍と、周辺の地域から集まった有志が協力して、復興を行った。
だが、現代では、そんな光景を見る機会はない。
同じ規格で大量生産された重機に、魔石などの無機物から取り出した魔力を流し込む。
操作するのは、建設企業に雇われ、業務上の訓練を受けた作業員たちだ。
そこに、魔法使いの入り込む余地はない。
「おい、待て! いったん止めろ!」
そう叫んだのは、重機の近くで確認を行っていた作業員だ。
「なんだよ、またか」
不機嫌そうな声を上げながら、もう一人の作業員が重機を降りる。
二人が重機の足元から持ち上げたのは、人の骨だった。
まるで汚物でも掴むように引きずられた骨は、廃材の隣に捨て置かれた。
そこには、同じように積まれた無数の遺骨がある。
裏切り者さえいなければ、もっと長く生きられたはずの人たち。
私が、守らなければならなかった人たち。
救えなかった人たち。
私に、そんなことを思う資格がないのは分かっている。
だが、考えずにはいられない。
何故、彼らを埋葬もせず、こんな廃墟の中、六十年も放置したのか。
無償で復興を手助けした良心に溢れた在野の魔法使いたちは、どこへ消えた?
理屈の上では理解している。
過酷な時代だったはずだ。
自分たちが生きるのに精一杯で、死者を弔う余裕すらなかったのだろう。
そんな時代を生き、そして亡くなった人々も、私が救えなかった人たちだ。
彼らが骨に変わり、忘れ去られ、統計上の数字の一つとなった今、私は生きている。
この状況を作り出した逆賊の一人、エゴール・ヴァレーエフの娘として。
そのことに、意味があるのかは分からない。
私は、運命を信じないからだ。
善良なる人々の最後の定めが、無造作に積まれた骨の山など、認められるはずがない。
もしこれが、運命だというのなら、この結果を宿命づけた者は、私の敵だ。
その者がたとえ、神だろうと悪魔だろうと、必ず見つけ出して報いを受けさせる。
今世で生まれた意味など要らない。
ただ、自ら命を絶たず、私がまだ生きている理由は明確だ。
私は、祖国の敵を殲滅する。
それを完遂した後、この身が煉獄の炎で焼かれようと、この魂が地獄に堕ちようと構わない。
「市長さん。この場所で亡くなった親戚の方がいるんですか?」
左側から尋ねてきたイルマに、問い返す。
「いえ、おりません。何故ですか?」
「今にも泣き出しそうに見えたので」
泣き出す? 馬鹿げた話だ。
極小の水魔法は、発動していない。
さらに、そんな表情を作った覚えもない。
念のため、右側に立つフリーデに視線を投げる。
彼女は小さく首を横に振った。
「そう見えましたか?」
「はい。親戚の方がいないなら、市長さんはすごく優しいんですね」
「……優しい?」
優しさは、弱さだ。
敵に付け入られる弱点になることはあっても、敵を殺す役には立たない。
そんなものは、とうの昔に捨てた。
もともと持っていたのかも怪しいほどだ。
「騎士団にいると、人の死に立ち会うことが多いんです。事故が起こった現場とか」
「大変なご職業ですものね」
「それで、たまたま通りかかった人と、目があったりするんです。そういう人たちは、同情というか『可哀想だな』って感じの表情はしても、心の底から悲しんでる人は、少ないと思います」
「なるほど」
「でも、市長さんは、ご家族が亡くなった人と同じか、もしかしたらそれ以上に、悲しそうに見えました」
「そうでしたか」
「はい。だから、市長さんは、とっても優しい人なんだなって」
妙な娘だ。
無邪気に振る舞ったかと思えば、悟ったような口をきく。
私の中に渦巻く負の感情と、その結果血塗られた手の、表層すら知り得ないのに。




